今日の記事は、私的な事が多いので、限定記事にしようと思っていましたが、
私の記事とシンクロしている方が、今までに何人もいて、
その中には、深刻な現象が出た方もいました。
私の記事を読み、その原因を知りたいと思われている方がいた事から、少しでも参考にとオープンにしました。
しかし、表示できない部分がほとんどです。
その点、ご理解の上お読みください。
このシリーズでは、ここまで、元善光寺の地、座光寺にある麻績(おみ)神社の祭りから紐解いてきました。
麻績神社は、当初、八幡神社でした。
何故、神社の名前を変えたのでしょう。
未来へ繋がるためとしか、今の私には考えられないのです。
ここに祀られた配置や、元善光寺の寺紋や、獅子舞から繋げた賀茂神社を見てくると、子供の守護の形が見えてきました。
これは、その前のシリーズの「大甕(おおみか)神社」とも繋がつてくるのです。
大甕神社について書き始めた時には、座光寺の麻績神社の知識も無く、我が家とのつながりを感じ取っていなかったのです。
ですから、既に不思議な結びつきの中に私はいたようです。
と言うより、今の自分の思考、出来事が、過去からのストーリーも一瞬で切り替えているようにも感じるのです。
☆三地点と我が家の相関図
今、この私に纏わりつくストーリーは、我が家の子供達に信じられないほど結びついていました。
特に、長男の家族に現れていて、大阪で伴侶を見つけ名古屋に戻って来た事などは、善光寺縁起と、とても似ているのです。
善光寺を造った本多善光が、大阪で見つけた如来を故郷に持ち帰り、臼の上に置いたら光が現れた事と、麻績神社には、イザナミの子の災いを鎮める施しがあった事が、見事に長男家族に当てはまったのです。
☆元善光寺と賀茂神社との相関図
麻績神社の名前は、長野の善光寺の近くにある麻績(おみ)村から付けられたようで、そこは、伊勢神宮外宮との繋がりがある地で、聖(ひじり)上人が修行した聖山で知られます。
元善光寺にある麻績(おみ)神社と、この聖山の麻績村との関係は、正に我が家との繋がりなのです。
私は、この繋がりを知るまでは、我が家に起きる不思議な事は、半信半疑でいましたが、これを知って確信に変わったのです。
もし、これを読まれている方のお子さんの名前が「火子」と言う字の名前で、その子の母が、イザナミの地で生れ、「おみ子」という名前だったら、どう感じられるでしょう?
この名前は仮の名ですが、それ以上に驚く繋がりを持つのです。
特徴も、誕生日もです。
☆麻績と賀茂と我が家の相関図
この下鴨、上賀茂の形は、比叡山守護宮の日吉大社と、賀茂の繋がりから、北辰信仰の形と同じであると思われます。
それは、北斗七星と、北極星で表され、麻績神社の獅子舞でも、それが秘められている事から、火の子の火を鎮める役割を下鴨神社が持ち、御手洗(みたらし)の泉を北斗七星の柄杓に入れ、下賀茂の子(上賀茂)に掛けるとなるのです。
下賀茂神社に上賀茂の神の祖父が祀られている事も、私には理解できるのです。
これは、間違いなく我が家の事を表わしているのです。
火の子の母親が、イザナミとの縁を背負っているのは、こんな事からも感じました。
長男の嫁が初めて名古屋に来た時、
どう言うわけか、一緒に名古屋の裏鬼門の荒子観音を訪れました。
その時、彼女は、「私は、墓とか、このような古い寺の雰囲気が好きです」と言っていたのです。
寺だけなら分かりますが、墓を取り上げた事から、
私は、変わった事を言う子だと印象に残っています。
名古屋に来たばかりの子に、荒子観音へ連れて行ったと言うのは、今思うと、とても奇妙に感じるのです。
名古屋の観光スポットとして訪れるほどではない場所なのです。
2020年に堕ちた習志野隕石とも関わりがあるかのように、麻績神社境内には、名の知れた「麻績の里の舞台桜」があります。
桜で知られる千葉の佐倉市が、私には大きく関わって来るのです。
それは、やはり「子供を守る」事が大きく関わり、隕石が堕ちただろう佐倉市周辺に、香取神社が点在していたのも、その前のシリーズで書いて来た「大甕(おおみか)神社」の祭神の「香香背男神(カカセオ)」が大きく関わっていたのです。
「伊香」の一族は、雷と関わる菅原道真で知られる事から、「香(か)」を「火(か)」とすると、私の子の紐解きは、
見事にはまるのです。
香取神宮と、大甕神社との関係も、上賀茂、下賀茂との関係と同じであると言え、「雷(火)の子」=「香香(火火)の神」になり、香取の神が「香(火)を一つ取り去る」と受取れるのです。
長男の嫁が働いている会社は、私が勧めた所で、上記の神(香香背男)を表しているのです。
それも、その場所がイザナミに繋がるような特徴を持つのです。
また、その地は、子供の守護を表してもいるのです。
そして、その会社は、古くからその場所にはなく、この地に来る前は、私の記事で良く出て来る大須の宇津木橋の近くなのです。
金気の数から、宇津木橋の紐解きを何年も前にしました。
宇津木橋は、卯の花の木で、ウサギの木なのです。
ウサギは、産まれる事を意味し、卯の花の木は、穢れを浄化する力を持つとされ、「守る」事から、産まれた子供を守る意味を持つとしました。
この木は、名古屋では、私の生まれた頃に花が咲きます。八十八夜頃です。
八幡神です。
不思議なのは、長男が家を建てた時、オープンハウスとして使われたのですが、訪れた時、驚きました。
大きな白兎の置物が飾られていたのです。
卯の花の木の卯杖は、年の初めの卯の日に天皇の住まいを浄化するために使われます。
この卯の花を紐解いたのが2012年です。
その時の卯の花の木を写した場所が、荒子観音の前だったのも、既に繋がっていたのだと、今感じたのです。
大須は、菅原道真ゆかりの地で、麻績神社の獅子舞も菅原道真の伝説を舞っていたのです。
このように、幾重にも繋がりを見せたのです。
そして、今日まで続いているこのストーリーを紐解く事には、危険を伴う事を知りました。
吉凶が背中合わせなのです。
その災いを取り除く事は、長女の子供が産まれる時の奇跡から可能と思われます。
それは、
自分の心を練り上げ、
信じる力を養い、
地から吹き上がる力を感じ、
ゆらぎの無い意思を持ち、
卯(宇宙)の力と、
意識をシンクロさせるのです。
これは、宗教家でもない私が感じた個人的感想です。
たまたま奇跡が起きただけかもしれません。