麻績の獅子舞と八咫烏(5)我が家に現れる有り得ない現象が、確信に変わった | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

今日の記事は、私的な事が多いので、限定記事にしようと思っていましたが、

私の記事とシンクロしている方が、今までに何人もいて、

その中には、深刻な現象が出た方もいました。

私の記事を読み、その原因を知りたいと思われている方がいた事から、少しでも参考にとオープンにしました。

しかし、表示できない部分がほとんどです。

その点、ご理解の上お読みください。

 

このシリーズでは、ここまで、元善光寺の地、座光寺にある麻績(おみ)神社の祭りから紐解いてきました。

麻績神社は、当初、八幡神社でした。

何故、神社の名前を変えたのでしょう。

未来へ繋がるためとしか、今の私には考えられないのです。

 

ここに祀られた配置や、元善光寺の寺紋や、獅子舞から繋げた賀茂神社を見てくると、子供の守護の形が見えてきました。

これは、その前のシリーズの「大甕(おおみか)神社」とも繋がつてくるのです。

大甕神社について書き始めた時には、座光寺の麻績神社の知識も無く、我が家とのつながりを感じ取っていなかったのです。

ですから、既に不思議な結びつきの中に私はいたようです。

と言うより、今の自分の思考、出来事が、過去からのストーリーも一瞬で切り替えているようにも感じるのです。

☆三地点と我が家の相関図

 

今、この私に纏わりつくストーリーは、我が家の子供達に信じられないほど結びついていました。

特に、長男の家族に現れていて、大阪で伴侶を見つけ名古屋に戻って来た事などは、善光寺縁起と、とても似ているのです。

善光寺を造った本多善光が、大阪で見つけた如来を故郷に持ち帰り、臼の上に置いたら光が現れた事と、麻績神社には、イザナミの子の災いを鎮める施しがあった事が、見事に長男家族に当てはまったのです。

 

☆元善光寺と賀茂神社との相関図

 

麻績神社の名前は、長野の善光寺の近くにある麻績(おみ)村から付けられたようで、そこは、伊勢神宮外宮との繋がりがある地で、聖(ひじり)上人が修行した聖山で知られます。

元善光寺にある麻績(おみ)神社と、この聖山の麻績村との関係は、正に我が家との繋がりなのです。

私は、この繋がりを知るまでは、我が家に起きる不思議な事は、半信半疑でいましたが、これを知って確信に変わったのです。

もし、これを読まれている方のお子さんの名前が「火子」と言う字の名前で、その子の母が、イザナミの地で生れ、「おみ子」という名前だったら、どう感じられるでしょう?

この名前は仮の名ですが、それ以上に驚く繋がりを持つのです。

特徴も、誕生日もです。

 

☆麻績と賀茂と我が家の相関図

 

 

この下鴨、上賀茂の形は、比叡山守護宮の日吉大社と、賀茂の繋がりから、北辰信仰の形と同じであると思われます。

それは、北斗七星と、北極星で表され、麻績神社の獅子舞でも、それが秘められている事から、火の子の火を鎮める役割を下鴨神社が持ち、御手洗(みたらし)の泉を北斗七星の柄杓に入れ、下賀茂の子(上賀茂)に掛けるとなるのです。

下賀茂神社に上賀茂の神の祖父が祀られている事も、私には理解できるのです。

これは、間違いなく我が家の事を表わしているのです。

 

火の子の母親が、イザナミとの縁を背負っているのは、こんな事からも感じました。

長男の嫁が初めて名古屋に来た時、

どう言うわけか、一緒に名古屋の裏鬼門の荒子観音を訪れました。

その時、彼女は、「私は、墓とか、このような古い寺の雰囲気が好きです」と言っていたのです。

寺だけなら分かりますが、墓を取り上げた事から、

私は、変わった事を言う子だと印象に残っています

 

名古屋に来たばかりの子に、荒子観音へ連れて行ったと言うのは、今思うと、とても奇妙に感じるのです。

名古屋の観光スポットとして訪れるほどではない場所なのです。

 

2020年に堕ちた習志野隕石とも関わりがあるかのように、麻績神社境内には、名の知れた「麻績の里の舞台桜」があります。

桜で知られる千葉の佐倉市が、私には大きく関わって来るのです。

それは、やはり「子供を守る」事が大きく関わり、隕石が堕ちただろう佐倉市周辺に、香取神社が点在していたのも、その前のシリーズで書いて来た「大甕(おおみか)神社」の祭神の香香背男神(カカセオ)」が大きく関わっていたのです。

「伊香」の一族は、雷と関わる菅原道真で知られる事から、「香(か)」を「火(か)」とすると、私の子の紐解きは、

見事にはまるのです。

香取神宮と、大甕神社との関係も、上賀茂、下賀茂との関係と同じであると言え、「雷(火)の子」=「香香(火火)の神」になり、香取の神が「香(火)を一つ取り去る」と受取れるのです。


 

長男の嫁が働いている会社は、私が勧めた所で、上記の神(香香背男)を表しているのです。

それも、その場所がイザナミに繋がるような特徴を持つのです。

また、その地は、子供の守護を表してもいるのです。

そして、その会社は、古くからその場所にはなく、この地に来る前は、私の記事で良く出て来る大須の宇津木橋の近くなのです。

 

金気の数から、宇津木橋の紐解きを何年も前にしました。

宇津木橋は、卯の花の木で、ウサギの木なのです。

ウサギは、産まれる事を意味し、卯の花の木は、穢れを浄化する力を持つとされ、「守る」事から、産まれた子供を守る意味を持つとしました。

 

この木は、名古屋では、私の生まれた頃に花が咲きます。八十八夜頃です。

八幡神です。

 

不思議なのは、長男が家を建てた時、オープンハウスとして使われたのですが、訪れた時、驚きました。

大きな白兎の置物が飾られていたのです。

卯の花の木の卯杖は、年の初めの卯の日に天皇の住まいを浄化するために使われます。

この卯の花を紐解いたのが2012年です。

その時の卯の花の木を写した場所が、荒観音の前だったのも、既に繋がっていたのだと、今感じたのです。

(卯の花の記事はコチラ)

 

大須は、菅原道真ゆかりの地で、麻績神社の獅子舞も菅原道真の伝説を舞っていたのです。

 

このように、幾重にも繋がりを見せたのです。

そして、今日まで続いているこのストーリーを紐解く事には、危険を伴う事を知りました。

吉凶が背中合わせなのです。

 

その災いを取り除く事は、長女の子供が産まれる時の奇跡から可能と思われます。

 

それは、

自分の心を練り上げ、

信じる力を養い、

地から吹き上がる力を感じ、

ゆらぎの無い意思を持ち、

卯(宇宙)の力と、

意識をシンクロさせるのです。

 

これは、宗教家でもない私が感じた個人的感想です。

たまたま奇跡が起きただけかもしれません。