前の記事で、取り上げた羽黒(犬山市)が不思議な繋がりを見せたのです。
その記事をアップした12時間後、
お客様を訪れた時、こんな話になりました。
「昨日は、天気が良かったので遠出しました(高賀神社へ)」と話を振ると、お客様が「私も、犬山へ行きました」と返ってきました。
そして、続けて、「犬山の羽黒に友人が住んでいたから」と言われました。
驚きました。
メジャーな町なら分かりますが、ピンポイントで、「羽黒」が現れるとはビックリです。
私の方から羽黒に、誘導してはいないのにです。
一生の内で、羽黒の事が話題に出ることは、有るか無いかの事です。
それも、一日も経ってない繋がりは、偶然の域を超えています。
いつもの事ですが、驚きます。
そんな事があった2日後、これもお客様を訪れた時、気が付きました。
それは、前回の記事で出てきた「宮古島」「高賀神社」と重なる事でした。
この場所の画像を見て、何が繋がったのか探して見て下さい。
この場所、「高須賀町(名古屋市中村区)」と言います。
私の記事で良く登場する黄金地域の西側に在ります。
この名前にも「賀」があります。
高賀と、高須賀
と言う具合にです。
この場所にも泉があったのだろうか?と、興味を持ちました。
「賀」の字を使用されているだけで興味を持ったのであれば、日本全国に沢山あるので、意識し過ぎると言われるでしょうが、
この画像に写っている願成寺について考えると、この町の名前に意識が行くのです。
以前にも、この寺について書いてきました。
不思議な繋がりが幾つかあり、このお堂の上を緑の火球が分裂し、幾つかの筋を残して飛ぶのを見たことがあります。
稀な現象です。
このように、この寺と私は何が不思議な力で結ばれているかのようです。
この寺は天台宗のお寺で、名古屋の北に隣接する春日井市の密蔵院の末寺とされます。
密蔵院は、御嶽(みたけ/岐阜県)から来た僧によって造られた事から、宮古島と美濃の類似を書いてきた私にとって、「賀」と「御嶽(みたき/宮古島)」に、ここでも繋がるのです。
美濃・高賀神社とは、藤原氏と、その守護宮・春日大社と重ねて来た事から、密蔵院の在る春日井市と、春日大社が、繋がりは見られませんが重ねて見てしまいます。
願成寺は、名古屋の十二支巡りの酉年本尊の霊場で知られます。
美濃の御嶽は、犬山に伝わる桃太郎伝説の鬼の棲家で、その伝説には、酉が重要なアイテムとして隠れていて、
それは、養老に繋がっているとしました。
宮古島と、結びつけてきた中で、養老は重要なポジションでした。
その養老を紐解いた時、この願成寺のある黄金地区と、以前にも結びつけてきました。
その養老の伝説(瓢箪)の中に隠れている酉の字の紐解きを以前し、それは、三輪の一族が関わっているともしてきました。
それらは、この高須賀と言う場所とも不思議な繋がりを見せるのです。
この寺の道を挟んだ向こう側は千成学区です。
千成とは秀吉の馬印の瓢箪を表します。
そのルーツは、三輪族の多く住む地、岐阜にある稲葉山です。
不思議なことに、私は豊臣秀吉の誕生の地に今は住み、幼少の頃に住んでいた母方の三輪の地が、高須賀から西に行った稲葉地でした。
洞戸の宇留良の東には三輪神社があり、その地の伝説には「瓢箪」が絡んでいるのです。
養老の「瓢箪伝説」、「三輪」と、美濃の高賀神社を中心に重なっているのです。
養老の中心的神社は「多岐神社」で、その隣に「泉町」の名前が見られ、鍛冶屋跡地も残っており、日吉地区に面していて、
泉と、鉄を絡めると繋がりがより強く感じられます。
幼名、日吉丸と付けられた秀吉の瓢箪についても、洞戸の南に位置する稲葉城で拾ったものとつながり、名古屋の秀吉の地、中村とも繋がるはずです。
その中村の願成寺は昔、広大な境内を有し、西端は、岩塚と言い、ヤマトタケルから付いた地名であり、この寺のご本尊が目にご利益のある薬師如来である事から、高賀神社の魔物を封じている星の宮神社が目にご利益があり、それにはヤマトタケルが隠れ居て、目にご利益のある泉が湧き出ているのです。
三輪一族は、願成寺近くに沢山住んでいませんが、不思議な事に、岩塚のヤマトタケルの伝説の元になった七所社の裏(鴨付町)に、私の母方の三輪の実家が在ったのです。
また、高校の同級生の太田さんが願成寺から道を挟んだ場所に住んでいました(千成学区)。
その太田の姓のルーツは、三輪であり、賀茂御祖神社(京都下鴨神社)の祖師でもあるのです。
そして、太田さんに尋ねると、金属加工を生業としていて、子供の頃は、願成寺東の黄金地区の金山神社近くに在ったと言われました。
その場所には、40年ほど前に、泉が湧いていて、馬の水飲み場として賑わっていたと、この近くのお客様から聞いた事があります。(中村区長土居町)
鍛冶屋と、泉は、ここでも切り離せないようです。
願成寺の薬師如来も、不思議な繋がりを見せます。
前の記事で書いた、
洞戸の宇留良(ウルラ)薬師如来を宮古島の砂川(ウルカ)神社と繋げた事も重なるようなのです。
薬師如来の願成寺のある高須賀町の地名の由来に「砂が流れ着いた場所」と言われる事も、繋がりを強く感じるのです。
この金山神社近くには、豊丸産業と言うパチンコメーカーがあり、この会社の方に歴史を聞いたことがありますが、それは、この地に住んでいた閉鎖的な社会を持っていた人々との繋がりを感じる内容だったのです。
この会社の名前の「豊」は、創業者の名前からと記憶しています。
そして、入口エントランスには、勾玉を思わせるデザインの庭に井戸があります。
我が家の長男の嫁の勤める会社が、豊丸産業の近くにあり、その玄関にも、井戸が有るのです。
今時、大都市の真ん中で井戸が見られる場所も少ないと思うのです。
そして、数年前まで長男は、この地の泉があった場所に住んでいたのです。
この地も、美濃や、養老と、宮古島と繋がるなら、豊臣秀吉の瓢箪は、鉄を生業として、俗世間とはかけ離れた一族だった証明です。
不思議な事に、娘の嫁いだ先の地も、同じような一族のようで、娘の義父の名も「豊」なのです。
「豊」が表すものは、三輪の大神神社(奈良桜井)では「大黒様」であり大国主で、「出雲」に導きます。
これは、上記でも書いた秀吉と繋げた一族と重なるのです。
秀吉の正室の「ねね」の姉も鍛冶屋に嫁ぎ、秀吉の生家の隣の加藤清正の父も、美濃から移って来た時、「ねね」の姉の嫁ぎ先へ居候していた事から、美濃、鍛冶屋、中村(名古屋市)が繋がっていたと言えます。
このように、「賀」には泉や、瓢箪が隠れていました。
瓢箪の中に魔物が潜んでいたとする高賀神社の伝説から、泉がその入口になると考えられます。
「黄泉(よみ)」の変わった読みの字にも「泉」が見られ、
この願成寺のある黄金地区からも、この地と、黄泉の入口に繋げてしまいます。
その入口で知られるのが、出雲の黄泉比良坂ですが、長男の嫁が生まれた場所なのも不思議な縁を感じざるを得ないのです。
秀吉も、この不思議なパワーを知っていたから、瓢箪を旗の印としてもちいたのでしょう。
これらのことから、瓢箪に秘められたものもが、美濃、そして、宮古島から見えて来るのです。