(十部)前編・「秦氏」と、「蟹」と、「法然上人」とを結びつけると見えて来るもの | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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前編

この十部では、長くなるので前・中・後編に分けて一気にUPしてあります。

 

前の記事では、岡山の桃太郎以外の伝説、三部太郎を秦氏族と重ねて考えてみました。

今日は、その伝説が残る地で生まれた法然上人からまずは考えてみます。

 

[浄土宗宗紋から考えると]

三部太郎の伝説が伝わる地には、浄土宗開祖・法然上人の実家・漆間家があります。

地域的に近いだけで、三部太郎と、漆間家との繋がりは見い出せなく、私の妄想でしかありません。

しかし、三部太郎が菅原道真(伊香氏族)のルーツとされるなら、この漆間家ともつながりが考えられます。

 

伊香氏は、白鬚神社と繋がり、秦氏と、白鬚神社が繋がっていて、

秦氏と、伊香氏が繋がっている事で、伊香氏と漆間家は繋がっていると言えます。

 

白髭神社と伊香氏族との関わりは、総社がある高島郡に、伊香(いこう・この地の呼び方)の名前が多いことで、これも、歴史的資料には見いだすことはできませんでした。

しかし、海の「烏賊」の文字にヒントは有りました。

人名に詳しい方は、伊香氏と烏賊氏の名前は同族とされていました。

烏賊(イカ)と、白髭神社が繋がれば、伊香氏との繋がりが確かなものになり、秦氏の姿がもう少しはっきりしてくるのではないでしょうか。

ここで「イカ」の紐解きを入れると長くなるので以前に紐解いた記事を見て下さい。

菅原道真や、秦河勝が持った、秦氏族の怨念が感じられます。

海の烏賊・イカに隠されたものの紐解きはコチラ

 

漆間家の家紋が原型の浄土宗宗紋は、月影杏葉紋(つきかげぎょよう)で、この紋が表すのは、「月」、「馬具(杏葉)」、「杏」、そして、「渡来人」(法然上人の母が、秦氏族であるから)のキーワードが見てとれます。

 

このキーワードの家紋の杏葉紋は、変わった紋です。

馬具をあしらったもので、馬との関りが有ると言う事が分かります。

伊香氏族の地で知られるのが、群馬県の伊香保です。

群馬の由来も、その地に馬と関わる人々がいた事からです。

この地にも、鬼の温羅(うら)のように、現地の女性と渡来人との婚姻の話があります。

伊香の特徴なのでしょうか?

渡来人が、生き残っていくためには、大和民族との融合だったのかも知れないと思ったりもします。

 

漆間家の杏葉紋を使っている氏族がいます。大友氏です。

大友氏家紋

 

浄土宗宗紋。漆間家の家紋は下の三日月が無い。

では、秦氏との繋がりはどのようなものでしょうか。

白髭神社と、大友氏の拠点は、豊国・近江・平塚で重なります。

渡来系の人々が多く住んでいた地で、

豊国は、秦氏の拠点です。

 

今日の記事は、秦氏のルーツです。

横道に逸れているようですが、秦氏の拠点、豊国(大分県)に白髭信仰が根付いている事から知る必要があるのです。


 

中編へ続く