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遅ればせながら、おめでとう御座います。今年もよろしく。

標記の研究会の新年会に顔出ししたら25名くらいが、賑やかに新年を寿ぎ、研究会のこれからを願って、バカバカしい話に盛り上がっていた。こういうときは皆元気だ。何と夜9:00から看板の翌日1時ごろまでへばりついてはなれないのだからな。

もっとも、夕刻からきっちり、研究会をやってのあとのことです。

その日のテーマは山陰発の甑型土器について。その日の演者は甑型土器だから甑だろうと言われたものに対し、かって出土状態や土器に残された割れ、擦痕からロープワークを想定し、これは甑ではなく、梁などから火床の上につり下げるものとかって発表していた。

 ところが、最近、韓国などでこれらに似た土製品が組み合わせで円筒状にし、排煙具として使われた例が出土したので、それとの関係をどう整合的に考えたらいいかということで再検討した苦心中の作の発表でした。韓国例のほうが新しく、列島得意の外国からの伝播でホイといかないところが苦心のネタでした。

いづれ、公になることでしょう。

11月30日、宇和島市きさいや広場、市民ギャラリーで、表記の講演会が愛媛大学東アジア古代鉄文化センターと宇和島市の共催で開かれた。


田口さんは現在山形にある東北芸術工科大学教授、東北文化研究センターの所長でマタギの研究家として著名な人。


新潟の三面・小国、長野秋山郷、秋田阿仁のマタギの活動を通して狩猟民の生態を明らかにしている。


マタギのとらえ方はテレビなどで紹介される奥山での熊猟と言った一面的なものでなく、狩猟、漁労、最終、農耕に渡る全面的名物で、一年の生活においては冬を越す越冬ではなく、収穫物のない夏をどう凌ぐかという越夏こそ問題なのだと。


また狩猟には奥山などで展開される積極的攻撃的な猟と集落近辺での排除的、防御的な猟があるという。

集落近辺での農作物は鳥獣にとって美味しい食べ物であり、だから鳥獣は引き寄せられ、また被害を抑えるための排除の対象でもあるという相補的関係にあるという。


ここで弥生集落論に思いをいたすと、弥生の鏃は縄文伝統としての狩猟具か戦闘のための武具かの二種に単純に分けて始末してはいまいか。


弥生の農耕の開始とは今までになかった新たな鳥獣を集落近辺に引き寄せることであり、これとのやり取りが大きな課題であったはずだ。近世のシシ垣のみならず、今でも農家はこれらの撃退に苦労しているではないか。


この観点から鏃のみならず、集落の施設も含めて再考する必要があるんじゃなかろうか。


高地性集落論なんて邪馬台国誘致のための観念の産物なんだよ。それにしても近頃は高地性集落論なんて大声あげて宣う輩はいなくなったな。みんなどこに行った。

いろいろ考えさせられる講演会であった。
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今治市教育委員会、村上水軍博物館はながらく能島城jの調査を行ってきたが、すでに郭などの発掘は終わり、最終段階の調査として、浜から郭えの登り道、郭と郭を繋ぐ道の調査を行っている。


写真のような浜から郭への登城道と思われる道の跡が見つかった。地山の削りだしによるもので、道路幅60cm位で山側には細い側溝が付いている。


海城の登城道はかって来島城で検出されているが、これは幅1m程で、同じく山側に幅狭の溝が掘り出されていた。岩礁棚からすぐ上がったところである。


能島城ではまた危険木の除木や景観整備のための伐採も進んでおり、今年と次年でその事業は大きく進捗するよていで、ただの島から能島城に変貌する予定である。


そして残るのはなんとも不似合いな桜ばかりとなる。


桜と史跡は愛媛県内にとっても大きな文化財上での課題だ。この件の課題はくくであるが、とりあえず以下において問題である。一度、特集してみたいな。


能島城と桜、松山城と桜、湯築城と桜、大洲城と桜

桜問題はすべて人間が起こした物で、莫迦な新聞は市民と文化財なんて視点で書いておる。



しもちゃんのブログ 右が山側、真ん中の窪みが溝。
しもちゃんのブログ 上の道をさらに上ったところだが、接続するかどうかは不明