今治市教育委員会、村上水軍博物館はながらく能島城jの調査を行ってきたが、すでに郭などの発掘は終わり、最終段階の調査として、浜から郭えの登り道、郭と郭を繋ぐ道の調査を行っている。
写真のような浜から郭への登城道と思われる道の跡が見つかった。地山の削りだしによるもので、道路幅60cm位で山側には細い側溝が付いている。
海城の登城道はかって来島城で検出されているが、これは幅1m程で、同じく山側に幅狭の溝が掘り出されていた。岩礁棚からすぐ上がったところである。
能島城ではまた危険木の除木や景観整備のための伐採も進んでおり、今年と次年でその事業は大きく進捗するよていで、ただの島から能島城に変貌する予定である。
そして残るのはなんとも不似合いな桜ばかりとなる。
桜と史跡は愛媛県内にとっても大きな文化財上での課題だ。この件の課題はくくであるが、とりあえず以下において問題である。一度、特集してみたいな。
能島城と桜、松山城と桜、湯築城と桜、大洲城と桜
桜問題はすべて人間が起こした物で、莫迦な新聞は市民と文化財なんて視点で書いておる。