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2013年2月16日午後、福岡市天神のアクロス福岡7階大会議室で開かれた表記の催しは以下のようでありました。


会の進行並びに内容は予告の通りでした。再記すると以下の通りです。

挨拶:下條信行(古代学協会評議員)

講演:田中良之(九州大学大学院教授)「いわゆる渡来説の今」

    裵眞晟(釜山大學校准教授)「韓半島南部における初期農耕文化の動態」

    端野晋平(岡山大学埋文調査研究センター)「渡来文化の形成とその背景」

    三阪一徳(九州大学大学院)「土器から見た弥生時代開始過程」

    下條信行(愛媛大学名誉教授)「生産具(石斧)からみた稲作開始期の農耕荷担者」

シンポ:コーディネーター・溝口孝司(九州大学大学院教授)


幾つかの論点は次のような論が提起された。

列島への発信(出発)地:洛東江の支流、南江を中心とするあたり

              沿海州、満州、マレーシア、中国江南なんて言う明治以来のとんでも見解を総括

上陸地:北部九州玄界灘沿岸の地、そこにおいては渡来人は少数で在来人との交雑、開発は在来人の   

      実労働、ペースで進行した。

       出雲→大和、山口、鹿児島に渡来なんて言うのが従来説

渡海の原因:半島寒冷化による農業停滞が南への新天地開拓に走らせたとの想定に対し、韓半島はむし     

         ろ農耕隆盛の時期であり、そうした事象は無いと否定的。

         従来説には中国江南や韓半島での戦乱説がある

列島内への拡散:人種的には玄界灘沿岸での交雑種が拡散、その地において在地人と交雑

        文化的にも在地文化(縄文文化)の色合いが濃ゆくなる。

 などなど。


参会者は150人とほぼ満席。準備した資料もほぼ無くなった。

普通ならシンポのころから退席者がぞろぞろでるのに、まったく変化なく、最後まで耳を傾けていた。その熱意に感服するが、関心が高いlことがよく判った。


一般の参加者も多かったが、研究者も多数、遠方からも参加していた。

たとえば、OK早稲田教授、SD東大教授、NW香川大、NK徳大、NY九大、OB熊大などの大學教員、世界・日本・九州考古学会会長、博物館・埋文センターなど九州関係はもとより、中四国からも参加していた。

 しかし、概してこれら課題に参加した人は、目先の考古事象を愉しんだり、熱中するにとどまらず、意識ある人が多いようだ。


明治時代以来、この問題に関連して考古学が引きずってきた負の遺産、これの総括無くして、考古学は近代を超克できません

のんきに○○論争なんぞを愉しんでばかりでは、メディアと同レベルだ。


しもちゃんのブログ 会場の様子

しもちゃんのブログ 講演の様子

しもちゃんのブログ シンポの様子


緊急ブログです。


今、報告書の製作が進行していると聞く西予市笠置峠前方後円墳の放映がどうしたことか、あい続くとのことであるので、以下緊急連絡します。この古墳調べれば調べるほど古い要素をもってますね。要注意だよ。畿内大本営発表古墳主義とは二味くらい違うぞ。


是非みてね。


予定は以下の通り。


南海放送TV

2/24(日) AM11:45~  南海テレビ もぎたて

       おなじみの笠置文化保存会の小笠原さんが登場とのこと


愛媛朝日テレビ

2/20(水) PM8:54~

2/25(月) PM6:55~

        これは市長がでるそうな


西予CATV  キラリポイント

         ジオパーク関連   毎週金曜



またちょっと休んでいましたが、福岡の”担い手は誰だ”の報告を次回します。大成功でしたね。




2/5ごろから3週間、西予市庁の1階ロビーで表記の展示が行われている。


昨冬、一般の人とともに作った石庖丁の作品発表を兼ねてのことである。


以前にも紹介したが和歌山から徳島、愛媛、大分、熊本に抜ける中央構造線の結晶片岩はその脈線沿いの地域で盛んに石庖丁素材として使われる。とりわけ紀ノ川に関わる関西の南半分、徳島の吉野川支流鮎喰川沿い、愛媛の中予、南予は顕著で、昨年は南予の肱川の結晶片岩で製作実験を行った。


ところが、肱川の結晶片岩では、なかなか思うような形態(型式)にできず、孔もなかなかあかない。また形も小振りになってしまって、ある意味伊予出土の石庖丁に共通するところもあるが、関西の細長い直線刃半月形の奇麗なものが出来上がらない。


ここに問題の発火点があって、古代伊予人が不器用、型式無視、根気不足などと言った人間の要因に基づくのかなとも考えたが、まてまて同じ結晶片岩でも何らかの地域差あり、それに起因するかもしれないと考えた。


そこで実際、鮎喰川、紀ノ川の結晶片岩を採集して実際にやって見ようと、現地に出張採集して皆で実験におよんだのである。

今回の展示はその成果展である。


それだけでは、面白くないので、各地の出土品や未完成品も展示してある。

なかでも、大阪府和泉市池上曽根遺跡や松山市六丁場遺跡の未製品が製作工程に応じて展示してあるのは、日頃倉庫の隅に転がっているだけになかなか見れるものではありませんよ。


石庖丁を造るにはまず、手頃の大きさ(造る石庖丁に見合う)の扁平礫(厚さ2cm位か)を採集し、これの背に打撃を加える多分両極打法で二つの剥片に分ける。この行程が大事で、大抵の行程復元にはここのところが欠けている。従って最初の素材は片面は自然面で、残る片面は剥離面となっている。


これから言われるような行程で進行するが、もっとも時間を要するのは穿孔である。経験上の話を集めると最短7分、最長はまる一日もかかり、あかなくてギブアップもあるなどここに苦労話は集中する。


その実際については次回。


しもちゃんのブログ 大阪池上曽根遺跡の石庖丁製作工程品。報告では一番左を素材とするが、厚すぎ。真ん中が扁平礫を二つに分けたもので、片面は自然面、片面が剥離面となっている。

しもちゃんのブログ 松山市六丁場の未製品。

しもちゃんのブログ 愛媛肱川材でt皆が造った石庖丁。結構在地の特色が出ているよ。いろんな形があるということです。


是非 皆さん 一度見にゆきましょう。


次回は石庖丁作りの悪戦苦闘というか泣き笑い