2/5ごろから3週間、西予市庁の1階ロビーで表記の展示が行われている。
昨冬、一般の人とともに作った石庖丁の作品発表を兼ねてのことである。
以前にも紹介したが和歌山から徳島、愛媛、大分、熊本に抜ける中央構造線の結晶片岩はその脈線沿いの地域で盛んに石庖丁素材として使われる。とりわけ紀ノ川に関わる関西の南半分、徳島の吉野川支流鮎喰川沿い、愛媛の中予、南予は顕著で、昨年は南予の肱川の結晶片岩で製作実験を行った。
ところが、肱川の結晶片岩では、なかなか思うような形態(型式)にできず、孔もなかなかあかない。また形も小振りになってしまって、ある意味伊予出土の石庖丁に共通するところもあるが、関西の細長い直線刃半月形の奇麗なものが出来上がらない。
ここに問題の発火点があって、古代伊予人が不器用、型式無視、根気不足などと言った人間の要因に基づくのかなとも考えたが、まてまて同じ結晶片岩でも何らかの地域差あり、それに起因するかもしれないと考えた。
そこで実際、鮎喰川、紀ノ川の結晶片岩を採集して実際にやって見ようと、現地に出張採集して皆で実験におよんだのである。
今回の展示はその成果展である。
それだけでは、面白くないので、各地の出土品や未完成品も展示してある。
なかでも、大阪府和泉市池上曽根遺跡や松山市六丁場遺跡の未製品が製作工程に応じて展示してあるのは、日頃倉庫の隅に転がっているだけになかなか見れるものではありませんよ。
石庖丁を造るにはまず、手頃の大きさ(造る石庖丁に見合う)の扁平礫(厚さ2cm位か)を採集し、これの背に打撃を加える多分両極打法で二つの剥片に分ける。この行程が大事で、大抵の行程復元にはここのところが欠けている。従って最初の素材は片面は自然面で、残る片面は剥離面となっている。
これから言われるような行程で進行するが、もっとも時間を要するのは穿孔である。経験上の話を集めると最短7分、最長はまる一日もかかり、あかなくてギブアップもあるなどここに苦労話は集中する。
その実際については次回。
大阪池上曽根遺跡の石庖丁製作工程品。報告では一番左を素材とするが、厚すぎ。真ん中が扁平礫を二つに分けたもので、片面は自然面、片面が剥離面となっている。
松山市六丁場の未製品。
愛媛肱川材でt皆が造った石庖丁。結構在地の特色が出ているよ。いろんな形があるということです。
是非 皆さん 一度見にゆきましょう。
次回は石庖丁作りの悪戦苦闘というか泣き笑い