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3/3のやや寒いが快晴の日、住民60名ほどが集まった。西予市教委の肝いりではあるが。


ボーイスカウトの子等とそのお母さん、年配の男女、地元保存会の面々。相変わらず20-50代はいませんね。仕事疲れか、ゴルフかパチンコか、いろいろあるんでしょうね。


初めに前方後円墳と石槨(石室)について学習。畿内にある典型的な前期前方後円墳(椿井大塚山古墳)と比較して、この古墳の前方部の長さ短いこと、石槨が粗い礫石で築かれていることの違いを、墳裾を歩いたり、後円部から前方部を眺めたり、石槨ののぞき込んで学習。これらの特徴は古い古墳の特徴をもっていることが話された。


お母さん方がよく反応したが、子供は「分からん」と発声。こんな話は屋内で図や写真などを使って丁寧にプレゼンしないと無理だな。そうした施設がないのが致命的だな。お母さん方も説明を受けなければ分からないよとの声。そりゃそうだ。


次いで古墳周辺のチガヤに浸食してきた外来のカヤ?の除草。この地はもと茅場だったそうで、その面影を残すために古墳の外側はチガヤで植栽した。あれこれの頑張りで大分邪魔者の除草ができた。


昼食後、いよいよ石積み。これには葺き石に適した石の選材、運搬、備え付けとなるが、まあ手数のいること。老若男女、だれでもいい、手数が力、人海戦術ですね。博物館などの古墳築造には筋骨隆々の男がもっこを担ぎ、シュラを引く図がありますが、リアリティに欠けてますね。


みんなよく働いて進むこと進むこと。その積み方も上手ですよ。


古墳でただ遊ぶのではなく、創造的な一日でした。
しもちゃんのブログ 墳丘裾を歩いて、短い前方部の確認

しもちゃんのブログ 石槨をのぞき込んで、礫石積みを確認

しもちゃんのブログ チガヤゾーンに蔓延る外来期限のカヤ?を除草

しもちゃんのブログ 皆で石積み

しもちゃんのブログ 最後の押さえは美事ですね、感心。

前回は美しいからと無邪気に植えられた桜が如何に史跡に災厄を及ぼしているかについて報告した。この問題は全国的に深刻な問題で、愛媛県の史跡湯築城にても問題になっている。


こんかいも植生が史跡に災厄を及ぼす話であるが、今回は前回と違って、史跡に生じた植生を的確に管理することなく、放置したために災害が発生した事例を紹介します。



しもちゃんのブログ これは愛媛県宇和島市の宇和島城の石垣が木に押されて崩壊した例です。石が転げ落ちているところがよく見えるでしょう。

そしてその上にモシャモシャちしているのが木の根っこです。これは楠の根っこで、石垣の傍に生えたため、根が石垣に邪魔されて真っ直ぐ伸びることが出来ず、何重にも湾曲した状態で押え込まれていた。でも日々、石垣に圧をかけ続け、石垣は耐えきれず、とうとう崩壊したのである。根は1立方センチメートルあたり10kg圧をもつそうだから、石垣もたまらないですね。石垣と反対側の根は奇麗に真っ直ぐ伸びていました。


さてこの木は楠ですから、わざわざ植えた物とは考えられず、飛んできた種がたまたま生長したんでしょうね。

 そうそう石垣沿いの植生と言えば、わざわざ植えた物も多々ありますね。きれに等間隔に植えられていたり、銀杏や欅など紅葉を愉しむため植えた物も多いです。これらもやっぱり桜と同じで、その根が石垣を圧迫しているにもかかわらず、葉が美しいからと言って、除伐に反対する人が多い。


だが多くの常識のある人はきちっと話をすれば、惜しみながらも大概理解してくれますよ。

タチの悪いのは誰だろ思う。お判りでしょうね。


遺跡の保存問題は中心的には開発などの外部からの侵害から守ると言う視点で展開されてきたし、今日でもなおそのスタンスは変わっていない。


このスタンスはその通りであり、大事であるが、遺跡に災厄をもたらす原因は実はその内部にも抱えていることをこのシンポは史跡を例として取上げたのである。


史跡に内部から災害をもたらす主因は”水と植生”にあり、その原因は人災もあれば天然災もあれば複合しているものもあるなど複雑であるが、その因を探求し、除外しなければ多くの災害から史跡は逃れることはできないでしょう。


植生について言えば人災にもとづくことが多い。

その一つは人の手による植栽によるものであり、他の一つは長年の放置がもたらす災厄である。


今回は前者の植栽がもたらす史跡破壊について報告します。


その典型で地下で史跡を苦しめているのが”桜”です。


この桜はヤマザクラではなく、江戸末ごろ開発された観賞用のソメイヨシノで”あっ、奇麗”なんて刹那的感覚で地下のことなご考えず、たった年一週間のために所構わず、そしてあちこちの史跡や遺跡の上に植栽されています。


その結果が下の写真。


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この写真は愛媛県今治市宮窪町”国史跡能島城”の地下の状態。

能島城は中世村上水軍能島村上の代表的な海城。15-16世紀に活動した海賊の城として著名。近年の調査でその構造や機能の詳細が明らかになりつつあり、とても同時代の山城の延長で捉えられるものではない独自のものであることが判ってきた。


その発掘で明らかになったのが上記写真で、15末-16初のいわゆる地鎮遺構で浅い掘る込みのなかに土師器皿と円銭が納められていた。その遺構のなかに桜の根が中に潜り、上に走り、遺構を破壊し、土師器を砕いて進撃している現場写真なのだ。


この城には昭和初期から桜の植樹が始まり、戦後も昭和40年頃までそれを続けていた。その桜も今や多くがテングス病や膏薬病にかかり寿命を迎えようとしていて、これからとう対処するか正念場を迎えようとしている。

 たった年一週間の人の慰みのために、二つと無い歴史遺産がムザムザと破壊されるのを手をこまねて看過せよというのか。


桜で苦しむのは各地の城跡に植樹された桜であろう。桜名所の誉れ高い城ほど、桜人気とそれの遺跡破壊の懼れとの間で苦しみ寿命に来た桜をどうしたものかと悩んでいると聞く。桜で有名な青森弘前城、長野の上田城などもそうらしい。


そういう時勢にありながら、桜が奇麗だからと識者の反対にもかかわらず新たに植えたのが愛媛松山城三の丸の桜。企業や個人からの寄付で植栽したとのことだが、たとえ善意であろうと、年月が経ち、桜がさらに生長した折、これらが地下で文化財にどんな災厄を与えるか考えるとゾッとするが、善意のつもりが文化財破壊の補助者の汚名を浴び泣ければいいが。


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松山城三の丸の桜。50本前後は植えている。

年々地下も壊されてゆくのだ。