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これは18日(土) 14:45~17:00に行われます。


①坂本豊治「(出雲市教育委員会)「出雲市国富中村1号墳の葬送儀礼とその特色」

②栗田茂敏(松山市埋文センター)「松山市葉佐池古墳2号石室における葬送儀礼}

③亀沢一平「(松野町教育委員会)「装飾付須恵器の変化とその特色」


の三本からなります。


なにを検討しようとしているかと言うと、横穴式石室は埋葬後、閉塞石で固めて密封しますが、追葬のためにではなく、閉塞石をこじ開け中に進入して、石室内に棺を損壊したり、副葬品を引き出したりすることが盗掘ではなく、あり得たであろうかということです。それは死者の再生を阻止するという目的で行われたとするものです。


坂本豊治さんはこれで国史跡となった中村1号墳で見られた種々の損壊行為をスライドを使って解説してくれる筈です。まさに”よみがえるな(なは否定です)”の世界です。


葉佐池古墳2号石室内も不思議な現象が見られました。なんと、木棺が形をナサナイ位に木っ端状態となって石室前面に散乱してました。また須恵器にも変な現象が見られました。はたして、これも””の話なのでしょうか。調査者の栗田茂敏さんがきっとスライドを使って話してくれます。


これら横穴式石室の中心的な副葬須恵器に装飾付き須恵器があります。きれいなまま(完形のまま)、ちゃんと石室内に据えられておれば問題がないんでしょうが、時に変な現象があります。それは子持ち一部を欠いたりすることで、はてなんでこんなことが興るのでしょうか。その謎を亀沢一平さんが解析してみせます。


どうだ、面白いでしょう。是非、おいで下さい。

下條は以前から瀬戸内の大陸系磨製石器は稲作伝来と共にセットとして出現するのではなく、北部九州の影響を受けながら徐々に整い充実して行くと言う立場をとっていた。


それに対して、伐採石斧を取上げ、いやいや中部瀬戸内は九州より早くいい伐採石斧が出現していたのだと言う見解と土佐では九州とは関係なく独自に韓半島と接触し、いい伐採石斧などを知って造ったのだという見解などの異論が出されていた。


これらに対して九州における伐採石斧の新たな展開発展の過程を提出して反論し、合わせて各種石斧の組成も当初からセットで存在するのではなく、段階的にかつ漸次的に充実度を高めるとの見解をだす模様である。

第一部は瀬戸内弥生石器を巡る諸問題でしたよね。

そのトップは高木邦宏・児玉志(愛媛県西予市教育委員会)の「製作実験から見た石庖丁の型式と地域」


西予市がある愛媛県も、徳島県も和歌山県から畿内南部も石庖丁の材料は全部、同じ結晶片岩。みな緑色をしてますね。だって、中央構造線上の三波川帯に属してる石ですから当たり前ですよね。


でもね、その製作品を見ると形が地域によって違うのは当然なんだが、形ではなく仕上げの精巧さ、形の決まりなどが随分愛媛のものとそれ以外のものでは違うんですよ。


何でそんなに違うのかと言うのが取り組みのはじまり。


愛媛の材料で造るとどうも上手く形が収まらない。製作に参加した人たちに言わせるとモデルに従って造ろうとしても思いのまま成らず、出来上がったのが形ですって。それでは形が文化にならない。


そこで徳島の吉野川・鮎喰川から、和歌山、奈良の紀ノ川を走り回り、材料を集め、製作実験を行い、選られた結果を発表するものです。


製作過程なども発表されるが、机の上であるいは遺物見ただけでの想定とは違うリアリティありますよ。


是非、御一見、御一聴を。