瀬戸考研大会予報② 下條発表 | しもちゃんのブログ

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下條は以前から瀬戸内の大陸系磨製石器は稲作伝来と共にセットとして出現するのではなく、北部九州の影響を受けながら徐々に整い充実して行くと言う立場をとっていた。


それに対して、伐採石斧を取上げ、いやいや中部瀬戸内は九州より早くいい伐採石斧が出現していたのだと言う見解と土佐では九州とは関係なく独自に韓半島と接触し、いい伐採石斧などを知って造ったのだという見解などの異論が出されていた。


これらに対して九州における伐採石斧の新たな展開発展の過程を提出して反論し、合わせて各種石斧の組成も当初からセットで存在するのではなく、段階的にかつ漸次的に充実度を高めるとの見解をだす模様である。