7/16の愛媛新聞で上述の内容が報じられたが、巷でも残念がる声。
河野氏の居城国史跡湯築城の西、200m。道路拡幅に伴い、2002年に一丁に渡る直線溝が出土し、中からは15世紀後半から16世紀前半の遺物が出土して、河野氏の居館の一部ではないかとの指摘は当時からしばしば興っていた。
その方一町と考えられる東北隅付近で600㎡余に渡る病棟建設工事が行われ、現地に行ったときはミキサー車でセメントが流しこまれていた。居館であれば溝や建物跡などの出土が期待され、城と居館をセットで把握することができるまたとない機会であった。
問題は居館址を示すかもしれない有力な溝が出土しているにもかかわらず、何の手も打たず、包蔵地に指定していなかったことにあると議論だてされている。包蔵地にしてしていなかったのは、ミスと言われても仕方あるまい。
だが問題はそれだけではないだろう。包蔵地指定絶対主義に問題ありといえないかどうか。
といいうのは、包蔵地指定絶対主義は非包蔵地は今回にようにフリーで開発を認めることになるのだが、誰がすべての包蔵地を掌握できているといえるのか。ことに今回のように早く都市化されコンクリート下に埋まった遺跡は現認できないだろう。また厳密な線引きは遺跡認定の裁量を小さくしはしないか。
包蔵地認定なんて暫定的なもので、今はこれだけが判っているに過ぎず、ほかに未発見のものを含め沢山のものが存在するとの立場にたち、民間であろうと工事にさきだち立会、試掘の権限を確立すべきではないか。
それくらいのことをやってる行政も現にあるが、遺跡の存在が明らかであるにもかかわらず、公(遺跡台帳や印刷地図の公表など)にせず、隠蔽文化財行政が通用するところで、なんぼ弁解の声を聞かされてもむなしいよな。