ちょっとした機会があって、今治市朝倉下経田の遺跡を覗いてみた。国道関連の調査である。
下経田遺跡そのものは現説で公にされているように、主に弥生末から古墳初期の住居址、墳墓群(小児用壷棺墓)、流路などからなるが、今回見たのは径2~3mはあろうか、浅い土壙に廃棄された(と思われる)土器群である。
小形丸底系土器、高坏を主に二重口縁壷、直口壷などがあり、甕はほとんど出土しない。非常に祭祀に使われた土器群の様相が強く、どんな器種構成か整理が楽しみである。
それだけでなく、その時期が又、この地では得難い時期の資料で(多分布留Ⅰのあと)、その型式的特徴は布留Ⅰと大きく変化していて、その同定がまた楽しみである。
またコヤ遺跡も奇妙な現象を示す遺跡ですね。もっと大胆に新しい見解を導入しないと、理解できないかも。
各調査者も熱心で、話もハヅミ、面白かった。