愛媛大学御幸寮問題とは何だろう。
愛媛大学の西効に御幸町というところがあって、飛び地のようなところに学生寮がある。民間から資金を借りて、これを立て替え、留学生などを入寮させ営業しようという計画が進行していたらしい。
問題はその事業ではなく、寮敷地に存する埋蔵文化財をどうするかにある。
この土地に埋蔵文化財が包蔵されていることはもう明々白々で、それは、愛媛大学埋蔵文化財調査室の3次の発掘によって立証されていた。
一次調査は2001年.3月に外灯施設の改修に伴って南北に少し長い長方形の敷地の西縁沿いを試掘溝によって調査したモノで、連弁をもつ龍泉窯青磁、土師製三脚付き羽釜などを出し、13-14世紀の中世水田の広がりを明らかにした。これに関する報告は「愛媛大学埋蔵文化財調査室年報-1999・2000年度-」として2003年に公にされている。
二次調査は、2005年2月に今度は敷地北縁沿いを施設建設に伴って試掘溝によって調査したモノで、一次調査次の中世水田層に連接する水田層の存在の可能性を指摘し、、グランド面から下45cm以下は調査を必要とすると指摘している。こんどは中世だけでなく弥生土器片も出土している。この詳細については「愛媛大学埋蔵文化財調査室年報-2004年度-」として2006年に公にされている。
ご丁寧にもさらに三次調査が2007年12月に行われて。この調査は寮建設に伴う事前調査で、敷地のど真ん中に6本の試掘溝をいれて行った。この結果、縄文・古墳の遺構・遺物、中世の土器、陶磁器と水田・畠が出土し、この地が紛れもない遺跡であることが立証され、地下120cm以下に工事が及ぶ場合は発掘調査が必要としている・この調査については「愛媛大学埋蔵文化財調査室年報ー-2007年度-」として2009年に公にしている。
かくして誰が見ても遺跡である御幸寮の敷地の扱いはどうなったか。しかも、公的機関の年報として公にされ、一種の周知の遺跡がである。
大學が金銭を出し調査し、しかもその結果を公にしたのであるから、発掘者は当たり前、施設関係の担当部局、会計部局、施設計画を進める諸委員会、おそらく学長も、みんな知っておりながら、遺物発見届けも出さず、いわんや発掘届けも出さず、当然発掘はせず、突然2009年5月に重機を投入して遺跡の破壊を始めたのである。添付の写真は破壊当初のものです。
みんな口をつぐんでおれば判らないと、象牙の塔に閉じこもり、秘密主義、閉鎖主義を徹底させて、違法に近い脱法行為をやったのである。これが知に輝き、地域に開かれた愛媛大学のやることで、コンプライスも何もあったものじゃない。バブル期の悪質土建屋でもこんな質が悪いことはしない。
独法化して民間並みになり(それでもほとんど税金による運営じゃないか)、御幸寮が遺跡登録されていないことをいいことにした蛮行で、大學は銭金がらみの土建屋的発想に浸りきっていることを示している。
この危機は外部の動きや行政の素早い対応で、遺跡登録され、かろうじて発掘にはいたった。地元新聞報道によると弥生土器や水田跡?がでたと調査室の調査者は悦に入り、ニュースになっていたが、調査者も新聞社も問題にするポイントが違うだろう。あほか。
したがって、調査者は重機が入っても、現場に駆けつけることなく、知らぬ顔のハンベイ。脱法同盟の一味同心として「黙っておこう」に徹するばかり。事前調査をやってるのだから地下のことは、一番知っているはずだから、現場に居れば直ちに遺構、遺物の破壊を指摘でき、文化財を救う道も開けるかもしれないのに、自らは何もしなくて隠れるばかり。
もう一つある。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の四国支部四国連絡会の事務局は愛媛大学にあって、ある教員が幹事をやっている。幹事は調査室員でもあるから、この大学脱法行為を当然知っているにもかかわらず、まったく無視。黙りを決め込んで、会員にアナウンスすらしない。なーにが「保護対策委員会」か。文化財脱法黙止委員会ではないか。この連絡会のうさんくささについては又の機会に。
御幸寮現場だが、重機による遺跡破壊の決定的写真は2.43MBのオーバーで載りませんでした。ご免。本の時は載るかもな。