冷酷な仕打ちを続ける愛媛大学の文京遺跡いじめ① | しもちゃんのブログ

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また愛媛大学が学内にマル秘の○○委員会を立ち上げ、文京遺跡を永久に地下に封じ込めようとしている。


この際、改めてこれまでの経過を辿り、ことの真相を知ってもらおうとおもう、数回にわたるかな。


愛媛大学は「地域に開かれた大学」とか「地域に輝く大學」とか唱えながら、実は象牙の塔に隠れ、閉鎖主義、秘密主義を貫いて、コンプライアンスなぞなんのその、説明責任も果たさず、やりたい放題をやってきた。学外の多くの関係者も実情を知らされ、”エッツ”と驚く始末でもあるしな。


愛媛大学構内文京遺跡は1985年ころまで松山市教育委員会が、それ以後は愛媛大学に考古学研究室が設けられたこともあって考古学教室が、その後は学内に設けられた埋蔵文化財調査室が担当し、今日に至る。


その間、この遺跡が弥生中期後半から後期前葉の大集落で、松山平野の基幹集落であるだけでなく、墓制からではなく集落から社会構造や階層化、この集落の対外交渉などを解明できる列島でも希有な遺跡であることが判り、「弥生都市」と評価する研究者もでてきた。各種の貴重な遺物が出土したことは言うまでもない。


こうした成果のもと、市民によるマスコミへの保存要望投書、500人に及ぶ参加者のもとでの文京遺跡シンポ、マスコミの大きな取り扱いがあって、市民・研究者の保存への熱望は高いモノになった。


これ等を受けて、松山市文化財専門員会はその職務の見識を発揮し、「文京遺跡の保存・保護に関する要望」を決議し、松山市教育長名(公文)で平成9年7月1日付けで愛媛大学長に保存要望書を提出した。


この折り、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会(矢島国雄委員長)も保存要望書を愛媛大学に提出することになるが、同時に同文を愛媛県知事、同教育長、松山市長、同教育長に提出し、保存への働きかけを要望した。ところが、上記委員会はこうした自治体に働きかけを行い、屋根の上に上げながら、後にその梯子を取り外すようなことをするのだ。


大學は地元や学会のこうした要望を受け、それを受け入れる英断を下し、学内諸手続きを経て、「・・文京遺跡の重要性を考慮して、別紙のとおりグリーンゾーンの範囲を決定し、遺跡の現状保存・保護をはかり、学生・市民の憩いの広場として活用する計画を進めることとしました」と保存・保護決定書を鮎川恭三学長名(公印)で、松山市文化財専門委員会に提出した。平成10年10月15日のことである。


それから10年弱、大學も独立法人化し、学長も替わり、埋蔵文化財調査室長も定年退職で替わったころ、大学内遺跡の扱いについて、大學当局からきな臭い煙が立ち上り始めた。ぶんきょう駐車場化への布石とも位置づけられる事件で、大學の学生寮「御幸寮」のスクラップアンドビルドに対する埋文への対処に関してである。


時の学長はもと愛媛大学埋蔵文化財委員会委員長で、鮎川学長時の副学長である。

今日はピクチャーがなく、文字ばかりで長くなった。この「御幸寮」問題はまた明日。