眉山に残る戦争遺跡・・・その② 前編 | 遺産、遺跡を求めて…

遺産、遺跡を求めて…

見りゃわかるさ(笑)

その①より時間が空きましたが・・・


戦争遺跡の少ない徳島県では非常に貴重な遺構だと思います。
徳島県では、知る限り初めて確認できたトーチカです。

本土防衛用に構築された陣地となります。
位置的には眉山東部で、展開していた部隊は陸軍第155師団第450連隊第二大隊第五中隊。
陣地は完成していたと思われますが、徳島空襲で一面まる焼けとなり陣地をここより少し西手の竹林院に部隊を移してますが、そちらは開発により陣地跡は残ってないかもしれません(少し探索してみたのですが、陣地跡らしきものは発見できず。)

因みに竹林院です。






トーチカを発見したのは「2021,11,23」です。
発見・・・とは少し違うかな。墓地を抜けて眉山へ続く古く細い谷沿いの道よりトーチカは確認できます。全く誰も通らない場所ではなさそうなので、目に留まってる方も居るんではないでしょうかね。
ただ・・・何か分からないだけ。。。そう思います。


陣地跡が残るのは、このお寺の裏手(付近は一面焼け野原となりましたが、このお寺は空襲で焼ける事なく残りました。)





お寺に近い方より。




破壊跡もなく、状態は良いもののトーチカ内部への交通壕は崩落してます。







上部、大戦末期に造られた遺構では良く見かける型枠代わりの丸太も、一部残ります。



腐って無くなった部分・・・丸太の跡が残ります。




銃眼・・・




トーチカ裏手は尾根部より大きく崩れてます。




トーチカ上部・・・




トーチカ内へ続く交通壕は陥没してます。





2基目は30m程奥。因みに2基共に銃眼は山道に向いてます。




こちらの方が状態は良いですね。




銃眼は縦200横600・・・くらいだったと思います。




こちらも上部に丸太が使われてます。







こちらはトーチカ内部も確認する事ができます。

陥没により塹壕の様になってますが、当時は素掘り隧道でトーチカ内へ続いてたはずです。



写真奥がトーチカ内で右手側に銃眼。




内部・・・




素掘り隧道だった交通壕・・・




トーチカ内より銃眼部。本来であれば、銃眼は少し屈んだ位の高さなので、かなり土砂に埋もれてますね。




銃眼上部と左右の3か所に通気口があった形跡。






後、谷沿いの低い場所に2m角程の広さで掘り込まれた歩兵陣地跡と思われる場所。



分かりにくいかな・・・キレイに四角に掘り込まれてます。



上部に草木でも被せてたのでしょう。




2基のトーチカが山道を見下ろす位置に造られてますが、この遺構は小さな谷を挟んで山道を目線の高さで確認できる場所に造られてます。





と、まぁ・・・前編はこれくらいにしときます。




     ~おしまい~





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