長崎は、明治31年(1898年)に制定された「要塞地帯法」に基づいて軍事拠点とされた都市なんですよね。ちなみにこの時指定されたのは、東京湾、対馬、下関、由良、津軽、舞鶴、芸予、広島湾、豊予、佐世保、壱岐、父島などだそうです。 1944年、日本本土への空襲が頻繁になる中、町内会、職場、学校など市民の手で防空壕堀りが行われ、それは原爆投下の日まで続けられていたそうです。
丘陵に囲まれた長崎は、崖下や山腹に多くの横穴式防空壕が作られました。
長崎県は諏訪公園の崖下にコンクリートで固めた防空壕を1945年3月に完成させ、県の防空本部にしました。壕中には、長官(知事)室、参謀長(警察部長)室、通信室、伝令室などが配置され、また通路でつながった防空監視対本部が設けられていました。
それが今回のブログの主人公である、立山防空壕(長崎県防空本部跡)です。
原爆が投下されたとき、この場所から惨状が国の防空総本部へ送信されたり、救援救護の手配や県外への応援要請が行われたそうです。
ちなみに、この場所は爆心地から約2.7キロだそうです。
では登場してもらいましょう。立山防空壕(長崎県防空本部跡)です♪
場所は長崎歴史文化博物館の隣になります。ちなみに見学は無料でした。
入ってすぐの通路です。
左手に流し台…
長官室、参謀長室、通信室、伝令室横の通路…狭いですw
通路横には何ヶ所か通気孔がありましたね。
通気孔の扉
何の部屋だったか…(笑)立ち入り禁止でした。
各部屋は中からも繋がってましたね。
そうそう、中には展示物も少しありましたよ。
防空監視隊跡へと続く通路(立ち入り禁止でした)
防空監視隊跡は別入口もありますが…立ち入りは禁止でしたwww
これは入口から内部を見たところ。
ちなみに女子挺身隊が監視業務を行っていたそうです。
以上、立山防空壕でした。
ここは時間が余ればよってみようと思ってた所でした。
て事は…まぁ要するに時間が余ったんでしょうね(笑)
つー事で少しぶらぶらと…
せっかくなんで長崎歴史文化博物館を……
スルーして(笑)
諏訪神社へ
道中の安全を祈願して。パンパン(*´∀`*)
次の目的地近くに宿を取るべく出発~!!
途中の一服休憩場所にて、次の目的地がどこかにあります( ̄ー ̄)ニヤリ
と…何となく撮ってみた橋…
オマケ…休憩で止まったコンビニで見つけたカステラ¥350なり
切り端って(笑)
まぁ、切り端でも本場のカステラはウマーでしたよ♪