時代を駆ける:辻口博啓/5止 オヤジを肥やしに頑張った | 親子交流(面会交流)支援団体の代表であり、お坊さんでもあり、母でもある私の日々徒然日記

親子交流(面会交流)支援団体の代表であり、お坊さんでもあり、母でもある私の日々徒然日記

一般社団法人びじっと・離婚と子ども問題支援センターの代表理事であり、大法寺副住職でもあり。そんな自分の日々徒然日記。

 ◇HIRONOBU TSUJIGUCHI

 <29歳で「世界一のパティシエ」の夢をかなえて帰国した辻口さんを、“スカウト攻勢”が待っていた>


 国内外の有名レストランやホテルなどから誘いがあり、「契約金1億円」の申し出もありました。でも、すべて断りました。倒産した実家の和菓子屋「紅屋(べにや)」再建へ向け、雇われの身でなく、自分の店を早く持ちたかった。その後「辻口さんが納得できるケーキ店を開きましょう」と1億5000万円をポンと出してくれる事業家が現れ、開店のめどが立ちました。


 開店までの半年間、本場フランスに渡り、国立製菓学校に留学し、南仏ラングドック地方の地中海に面した港町のパティスリー(菓子店)でも修業した。店の裏に「モン・サン・クレール」という丘がありました。眼下に広がる街並みや海を見ながら、今後の菓子作りや古里のことをあれこれ考えるのが好きで、ほぼ毎日登ってましたね。


 <帰国後、東京都内で店舗を探した。半年間で100件以上の物件を下見し、98年3月、目黒区自由が丘に待望の1店目を開いた>


 修業で上京した18歳の時、初めて降りたのが東急東横線の自由が丘駅でした。修業店は1駅先の田園調布駅近くにありましたが、面接まで時間があり、途中下車した。街の中心部を少し外れると、豊かな緑と閑静な住宅街が広がっていて、こんな場所に店を出せたらなあと思いました。


 店は駅から10分以上歩く不便な場所で、店に続く坂が、南仏の丘の雰囲気に似ていたので、店名は「モンサンクレール」とつけました。その後、近くにレストランやさまざまな店が増え、僕の店が人の流れを変えたと言われてます。


 <当初は売れず、半年後、赤字が2000万円に膨らんだ>


 もう少し売れると思っていました。売れ残ったケーキは大型バケツに捨てましたが、半年間はバケツ2個分を捨て続けました。悔しくて「今に見てろよ」と。


 当時、メディア取材は断ってました。利益が出るまで自力で達しないようでは「本物」ではない。そんな時、人気テレビ番組「料理の鉄人」(フジ系)から出演依頼がありました。料理人同士が腕を競う番組ですが、スタッフから「過去、パティシエは7人出演したが全員負けた」と聞き、闘争心に火がつきました。イタリア料理人と「バナナ」で対決し、パティシエで初めて勝ちました。これを機にメディア取材も解禁。一般の方にも名前を知ってもらえるようになり、店の経営も軌道に乗り始めました。


 <モンサンクレールに続き、「世界初」のロールケーキ専門店やショコラ、パン、コンフィチュール(ジャム)などの専門店を次々開店。04年には東京都世田谷区・二子玉川の百貨店内に「和楽(わらく)紅屋」を開き、19年前に倒産した「紅屋」再建の悲願がかなう>


 店名を、ただ「紅屋」にしたかったけど、別の和菓子店が商標登録していた。和と洋の素材を融合させた「和スイーツ」の専門店でラスクやどら焼き、ロールケーキなどを売ってます。


 <「紅屋」再建の1年前、偶然にも父武良さん(68)と18年ぶりに再会した>


 友人の借金を肩代わりして、紅屋を倒産に追い込んだ、あのオヤジです。僕が18歳の時に2度目の修業先に、お金の無心に現れてから会っていなかった。20歳の時、母(67)と離婚し、行方知れずになってました。それが、ある日、江戸川区役所から「お父さんらしき人が病院に運ばれた」と電話がありました。ベッドに寝かされたオヤジはやせて小さくて、「家族に合わせる顔がない」と話そうともしない。


 数日後、モンサンクレールの看板ケーキ「セ・ラ・ヴィ」を手に、再び病室を訪れました。世界一になった大会の日本予選で作ったケーキで、セ・ラ・ヴィは「人生」の意味。紙皿に載せて差し出すと、涙をポロポロこぼしながら「うまい、うまい」と食べてくれました。現在は末期がんと闘病中です。


 紅屋がつぶれたからこそ、ここまでやってこられた。オヤジを肥やしにして頑張れたんです。夢を持ち続ける厳しさと、かなえた時の喜びを味わわせてくれたのもオヤジです。今は感謝の気持ちしかない。


 今後、パリやニューヨークに出店して勝負したいし、健康と美容に効くアンチ・エージング・スイーツにも取り組みたい。やりたいことは山ほどある。僕はお菓子を作るために生まれてきたと思っているので、僕なりの「菓子道」を究めたい。そして、死ぬ間際、最期に作るお菓子が、人生最高においしいお菓子だったらいいなあと思っています。=辻口さんの項おわり


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 ■人物略歴

 ◇つじぐち・ひろのぶ

 パティシエ。石川県七尾市生まれ。県立中島高卒。数々の国内大会で優勝後、97年、世界最高峰の大会「クープ・ド・モンド」で世界一に輝く。現在、東京都や石川県などで計11店を展開する。42歳。


【毎日新聞 2010年2月10日 東京朝刊】

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皆さんは、社会的養護という言葉を知っていますか?

社会的養護とは、まだまだ聞きなれない言葉ですが、なんらかの事情で家庭での養育・保護が得られない子どもを社会で養育・保護する仕組みのことです。

両親の離婚後、この社会的擁護を受けなければならない子どもたちがたくさんいることを多くの皆さんに知っていただきたいと思います。

離婚の際、当事者たち(父母子ども)のみでは、離婚に至るまでの様々な過去のいきさつに縛られてしまい、起こっている問題に気がつけなくなってしまいがちです。

そのため、私たち第三者の立場の人間が冷静に問題点を見出して離婚後も父母のお互いがお互いを尊重しあい共同育児をしていきたいという想いになっていただけるように促していきます。

お父さんも、お母さんも、子どもたちも、それぞれが、それぞれにとって大切な人なのです。

面接交渉とは、
別居・離婚に際して子どもに父母が親としての配慮をするという概念の基に行われます。

面接交渉の仲介支援とは、
父母の対立が激しくて、子どもの意思が尊重されないということがないよう、子どもの健全育成のための親子交流を実現させ、父母の皆さんが自己選択・自己決定・自己責任において共同育児ができるようお手伝いをする子育て支援です。

もしも万が一、父母の一方が子どもの意思を操作したり、もう一方の親子関係を破綻させようとするなどの精神的虐待、父母並びに義父母からの身体的虐待など子どもの福祉が危険にさらされている場合には、第三者という立場で客観的に児童相談所や臨床心理士・精神科医との連携をとらせていただきます。



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