趣味って命かけるものだと思っていた話 | Passione Diary

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NPO法人京都難病支援パッショーネ 
難病患者さんへの就労支援活動を行っています

 

 最近は新しく勉強したいことが見つかり早速資料を取り寄せてワクワクな〔R〕です。ライフワークとしてやっていきたいことの一つに役立ちそうな気がします。

 

 趣味って余暇を消費するためのものだったり、人生のスパイス的に生活のサブコンテンツと考える人も少なくないのだなということを割と良い歳になってから知りました。

 

 趣味の合い間に人生やるんじゃないんですか?

 

 そもそもあまり趣味だとか仕事だとかプロだとかアマチュアだとかに僕はあまり境界がない人間なので、目の前に来たものはなんでも全力でやりたい人です。

 

 ◯◯が趣味です。と言われるとそれに人生かけてる人なんだなと思ってしまい、深掘りするとそうでもなかったということに昔は結構ショックを受けていました。

 別に空気読めない系の障害じゃないんですが、趣味に関しては「趣味」と言われるとみんな熱量は持っているものだと思い込んでいたので結果的に空気読めてない感じになりますね…

 

 趣味は読書です。と言われれば今でこそ「無難に答えてる可能性」という線を考えますが、読書を趣味にしているのであれば月に20〜30冊とか読んでるんだろうなとイメージしてしまいます。実際本の虫と呼ばれる人たちにはそういう人いますしね。

 でもよくよく聞いてみると月一冊も読んでないみたいな感じだったりすると僕の頭はバグるわけです。読書かでもない僕でも忙しい月でも3、4冊は読んどるでと思うので。

 

 映画好きですと言われると僕のイメージでは月に最低でも20本は観てるイメージで一つ作品言えば芋蔓式に次々と関連作が出てくるものだと思っているのでネトフリもU-NEXTも入ってなかったりMOVIXの会員証も持ってなかったりするとまた僕の頭はバグるわけです。

 僕は人に「◯◯みたいなキャラが出てきてこれこれみたいなシーンのある映画なんやったけ?あれって誰々が出てた?」と聞かれて「それは◯◯って映画で誰々は出てない。誰々が出てたのは多分××って映画とごっちゃになってるな」というところまで逆引きできるのでそのくらいには知ってる人が映画好きなのだと思っていました。

 映画鑑賞が趣味のない人のとりあえずの言い訳だなんて思いもよらなかったです。

 

 そんなわけでガチの趣味が幅広い僕にうっかり◯◯好きですよと答えて地獄を味わった人は数知れず、最近は趣味は◯◯ですと言われても「わーい同じ趣味の人だ」と思わずワンテンポ置いてどのくらいの熱量の人かというのを見定めることにしました。

 すごく大人になりました。

 

 

 別に趣味なんて個人の好みの範囲でやるものなので熱量なんて人それぞれだと思うのですが、最近の趣味って熱量低い人多いな〜と思うのが正直なところです。

 最近の若者ではなく老も若きも何に関しても無気力というか、お手軽に楽に楽しめるものないかな〜という人が増えてるように思います。

 スマホでなんでもできるからなんですかね。というと最近のわけぇもんはの老害認定されそうなのですが。

 

 まぁでも渋沢栄一が大正に書いた本の中に「最近は色々便利になってきたけどその分人間味が薄れてきてて嘆かわしい」的なことが書いてあって大正でもそう感じたんなら令和なんかそりゃ末期だろうな(笑)と思います。紀元前にすでに「最近のわけえもんは」という言葉が使われてたとも言いますからいつの時代も熱量が余ってる人間からすると、世間の人のやる気のなさは感じていたのかも知れません。

 

 最近は何が違うかというと、熱量の低い人とすごく高い人の差がはっきりしているので実は僕らのような趣味人には意外と生きやすい時代のような気がします。

 少し前であれば雰囲気趣味人が社会の勢いに紛れてなんとなく生き残れていたので、こちらとしても紛らわしい奴が混じってくるので困ることが結構ありました。

 「自分も一緒にガッツリバンドやりたいです」みたいに誘ってくるのでめっちゃやる気あるやんと思って引き受けたら、全然進歩しないし「こういう練習してみたら」と薦めても全くがんばらない。 

 頑張れることも含めて才能だなと思い「君もういいよ」と言って泣かした人間は一桁ではありません。

 

 最近はもうなんか「がんばらない」ことがいいみたいな風潮なので頑張らない奴は本当にすぐ頑張らないのでこちらとしては見分けやすくなりました。

 

 僕は「頑張らない社会」とか「がんばらない生き方」みたいなフレーズが大嫌いです。

 

 がんばらずに何かを得ようというのはコ◯キだよそれ

 そりゃ公金チューチューが蔓延ります

 

 確かに「病んで」しまうほど「無理をする」社会や生き方はどうかと思いますし、それを強要されるのは誰だって嫌です。できないことはできないでいいと思うのですが、できないから全部いいやというのは違うと思うのです。

 

 アクセルをベタ踏みするか、完全にブレーキをかけて思考停止するかのどちらかしかしないという風潮がいよいよこの国を亡国へいざなってるように感じます。

 

 生きてる限り頑張れよ、シャカリキ頑張れよ

 

 というのが僕の信条です。

 

 おそらく今「頑張らない生き方」という免罪符をびらびらさせている人たちは頑張ってたことが間違ってたんじゃなくて、間違った方向に頑張ってただけなんですよ。みんな同じ方向に言われた通りに頑張ってて、それがしょうもないことだったと気づいただけなんですね。

 

 僕も障害によってできないことはありますが、一つできなくても10のできることを身につければその一つを補うことはできると思っています。

 

 そうやって10を手にいれるにはやはり頑張るしかないのです。

 

 それは別に人に言われてやる仕事に限りません。日々生きる中で趣味に娯楽に全力でぶつかるのも生き方だと思います。

 がんばらなくていい、生きてるだけで偉い、とかいうふざけたフレーズのせいで本当に「頑張っている」人が自己責任、利己主義と言われる社会は間違っています。

 

 別に頑張りたくない人は頑張らなくていいと思います。ただちょっと静かにしてて、今頑張ってる人いるから。

 

 誰だって頑張る人間を応援したいというのが人情だと思います。そうして個人も社会も充実していけるものであることには違いないので、頑張る社会ももう一度僕は見たいと思います。

 何にでもいいから頑張りましょう。

 

 頑張らずに手に入るものなんかないし、仮に手に入れてもそんなものは泡と消えるのです。

 

 

 とりあえず僕は趣味という人生のメインコンテンツに全力を注ぎたいと今日も思っています。

 もっと頑張ろう!!