マグニチュードではなく「震度」にこだわる理由
かつては気象庁職員の体感で判定、議論の末ようやく決定
日本独自の震度階
「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その536
└──── 島村英紀(地球物理学者)
正月早々に起きた能登半島地震から2カ月半が経過したが、改めて振り返ってみたい。
最大震度7、マグニチュード(M)7.6だった。震度7は阪神・淡路大震災(1995年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振(いぶり)東部地震(18年)などだ。
じつは阪神・淡路大震災までは震度7は特別のものだった。震度7の地震なのに、震度6としか記録されなかった地震があるからだ。
その地震は福井地震(1948年)。Mは7.1。福井平野の北部では98~100%もの家が倒壊してしまった町や村もあった。
地震が起きたのは夕方だったので屋外で農作業をしていた人も多かったが、それでも3800人余の犠牲者が出た。そのほとんどは福井市と坂井郡(現坂井市)に集中していた。人口比でいえば日本史上最大級の死者を生んでしまった。
この福井地震での最大の震度は6と記録されている。いまなら当然、震度7だったが当時の震度は6までしかなかったからだ。
この福井地震の大被害を見て翌年気象庁は震度階に震度7を追加した。もちろん日本初だ。阪神・淡路大震災までは気象庁職員が現場に行って現場を確認しなければ出せなかったものだったのだ。
熊本地震以後、この制約はなくなった。震度を機械で観測して数値を出すようになったのは91年からだが、その前までは気象庁の職員が体感や経験や、被害を目で見て判定していた。地震学者たちを集めて加速度と速度を組みあわせ、しかも今まで使われてきた震度と矛盾しないよう議論の末、ようやく決まったものだ。
気象庁の震度は日本だけにしか使われていないものだ。日本だけの震度にこだわる理由として、気象庁は建物の造りや、つってある金魚鉢などが日本独自だからと言う。
日本の震度の目盛りは0から7までだが、世界のほとんどの国では、1から12までの目盛りを使っている。
電球の明るさにたとえれば、マグニチュードは電球そのものの明るさ、つまり100ワットの明るい電球か、20ワットの暗い電球かの違いだ。
一方、震度は電球に照らされている机の上の明るさだ。
電球が暗くても、机が電球から遠くても、数字は小さくなる。
ある地震が起きたとき、震源から近ければ震度は大きく、震源から離れるほど震度は小さくなっていくのと同じだ。
(島村英紀さんのHPhttp://shima3.fc2web.com/
「島村英紀が書いた『夕刊フジ』のコラム」より 3月22日の記事)
(たんぽぽ舎メルマガより転載)