被災地にて | now2 ブログ 

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 障害福祉関係者。大阪で障がいのある方ない方全ての人の支援に関わらせて頂いてます。 全ての人が地域で当たり前に暮らせるように(これって当たり前のことやのにね)

 東北から帰り色々思う。まだ、まとまらない。


 何度か派遣スタッフとして現地に行かせて貰っている。前回は同年2月、雪の降る中、道路が凍る中、景色が見えないのと同じく、まだなにも形になってなく、進んでいなく、また進み方も分からなかった。今も考えている。今回もまた自分の中で色々と葛藤をしながらの10日間だった。

 南三陸町の中心部は景色は変わらず。瓦礫が端に、車は山積み。塩水に浸かった流木が山積み。確かにライフラインは復旧し、皆、とりあえずの暮らしは出来ている、様に見える。ただ、それだけ。

 復興はまだまだ遠い、とか復興に向けて、等いたるところで言葉を聞く。復興って何。ある大阪の知り合いの方が言っていた。

 震災以前より、経済的に貧しくとも、インフラが整わず、不便になろうとも、被災地で生きる事の、幸福度を感じられる社会を構築するのが、「復興」の本義だと考えている、と。

 外からの無責任な定義だなとも感じているが大筋こういうところか。これに足して落ち着いた、安定した日常の回復。そして、新しい形としての地域作り。

どこかのブログで載っていた。「復興」という文字を辞書でひく。「一度衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。また盛んにすること」とだと。
「再びもとの盛んな状態」にはならない。もともと盛んな状態ではなかったのだから。

 でも、新しく生まれ変わって盛んにすることはできるはず。震災前の状態に戻すこと、以前の日常の回復が、決して復興ではない様な気がする。震災前より新しく魅力的な町へと前進することが必要である、と自分は思う。前を向いて、進化していく。

本当の「復興」って何だろう。

 決して簡単なことではない。外の自分たちに何ができるのか、一緒に寄り添い、常に考えて動かないといけない。もちろん重要なことは。その中心に現地の人がいることである。

 毎日町の中心部を抜け、送迎もこちらとは感覚が違う。変わったのは、防災庁舎跡地前に観光バス、観光客。複雑な想い。せいぜい金落とせよ、と思って毎日業務で車を走らせる横目で見ていた。


 自分もこの町の人間ではない。そんな人間ができること。自分は生活の場ではなく家も職も他にある。町にいて、余所のヒトだろう?っといった誰が言うでもない言葉が、日々頭の中に刺さり、酷く繰り返す。極端な話、業務にのめり込む中、自分はこの町にとどまって生きて行かないといけないのではないだろうかと変な錯覚に、感傷的に短角的に思った事もこの間あった。


そうでないと、この土地、この場所が分からない。でも自分は他の場で生きている。

 関わった子どものことば。「もう帰るの。違う人が次に来るの。」と言った台詞のこの土地の、被災地の、非日常の特殊性を感じた。

 しかし、今の立ち位置の自分ができることは自分がまだまだ未熟で拙いながら、培ってきたものを伝え、共に力になり精一杯のものを瞬間にしっかりとする。そして自分自身もきっと成長して糧になり、繰り返す。目の前にあることを一つ一つしていく事、次のスタッフにバトンを渡し、点ではなくしっかりとした線でつながっていく。それを繰り返して行くことの重要性を感じている。

 現地の人の話で、彼女も友達も津波で流された。仕事場も流された。あの車の山の中に僕の車あるんですよ、買ったばっかりなのにって。地震も小さなものだが何度か重なってあった。現地スタッフの娘さんもまだまだ、傷は癒えず。

 関わった子どものことば。「あそこに家があったの。僕の家はなくなりまして今はあのカセツ住宅になります。」ふと送り際に言う。これが今。


 親御さんとも話していて、色々「今」の問題を抱えている。それぞれ何通りもの人生。それでも出て行かないなら、この場で生きていかないといけない、と。

 事務所はまだまだ形が出来ていない様に感じた。そんな中で放課後デイをはじめる。パッと10日入っただけの自分にはわからない様々な動きや事情もあるだろうし、一概には言えないのだが。

 ただ、預かっているだけではいけない。その場だけじゃダメなのだ。現状の体制もあってか、そう感じた。本当に始まったばかり、継続した支援が必要と感じている。

 この職、生業として、その人がその人らしく生きていくために自分たちがすること。様々な視点を持って欲しい、と自分達にとっては当たり前の事なんだけど。

 自分たちは、どこでも行ける。この町で生きていきたいと思っている障害のある子どもたちの将来に選択の幅をなんて思った。あるケースで支援学校の高校一年生。親は入所を考えている、と。祖父母は私たちが家で見る、と。本人の想いはそこにない。2年後に卒業する。

 彼の想いも引き出して行って本当にその人らしい生き方を一緒に模索していくこと。そのための土壌作りをやろうとしている。今南三陸町の日中活動としての場は作業所がひとつしかない。そこの辺りも含めてやろうとしていることがどんどん形になって欲しい。じっくりとあせらずに進んで行って欲しい。そのために力になれるのであればまた行きたいと思う。

 土地柄、土地性についても考えさせられた。最終的には現地の、その場で生きていく人たちで復興に向けて進んで行かなければならない。

 感覚が全然違う。その地域にあった形を構築していくこと。大変だが、語弊を招かずに言うとこんなにやりがいのあることはないと思うので、もっと現地スタッフのモチベーションを上げて欲しいと感じた。新人スタッフが入り、貴重な現地で生活をして現場で生きているスタッフ。熱意もある。
そこへのフォロー不足を否めなく感じた。

 最後に、大阪には大阪の、南三陸町には南三陸町の形がある。その土地にあった福祉、地域の形を構築していく事。まだ復興は始まったばかり。あらためて感じる。


 文章の通り、自分の中ではうまくまだまとまっていない。ただただ、続けていきたい。

 今からだ、といつでも思う。


                                          以上