自分自身とはゆかりのない街、京都。
自分は奈良育ち奈良ラブなのでむしろ少し何クソと思う街(笑)
ある年を境に定期的に行く様になりました。
昨日行ってきて。
昔書いた日記を若干転載します。20代のころの文章ですが、少し端折って。
『今日は京都までお墓参りに
実は僕の職場で去年亡くなった方なんやけど
お彼岸やしその方の誕生日が近かったもんで
好物やったたこ焼きとコーラを置いてきました
きっとウマウマと頬張ってくれていることでしょう
自分がこの仕事を初めてまもない頃、ある方が自分が担当するグループホームに入ってて
その方は40年程ずっと入所施設に押し込まれてきた
(残念ながら昔の日本の障害者施策というのは 酷いものだったのですよ。迷惑だから入ってお きなさい怒、、 みたいな)
方で一昨年やっと施設を出て僕が見ているグループホーム (シェア生活みたいなの) で生活 する事になったんやけど、実は末期癌に犯されていて
(きっと入所施設時代のずさんな食生活からきたものだと思います。)
わかった時は正直頭真っ暗なりました
やっと障害のある方が当たり前に地域で生活できる、、、
今からやんかーなんて感じで絶望でした
わかってからは余命1年をどうやって過ごしてもらうか、
ああよかったなあ、と思ってもらえるか
人生の先輩に対してこんな若造に何ができるのかなんて鬱々としてました
やっと彼の発する言語が理解出来てきていい関係を築けてきたかなあなんて思っていた矢先…
とにかく残された時間はもうない
楽しんでもらわんと
彼の思い出の地である宮崎にも一緒に2人で行った
飛行機楽しそうでした
ビール飲んで「赤や~(顔が)」 といってた時思いだします
動けるうちに行けてよかった!
でももう体力がなくなってきて動けなくなって、車椅子で病院通って…
やわらかいたこ焼きくらいしか食べれなくなって
(入院はしてほしくなかったのです、彼の好きな様に過ごして欲しかったんで…)
ホームで下血した時は泣きました
スローモーション
二人きりやったから衝撃でした
こんな血ってでるんやって
そこからは病院で過ごす事になるのですが
モルヒネをなんぼ打っても
痛い痛いと言う貴方にさすってあげる事しかできなくて
でも正直連日の泊り込みはきつかったナア…
どうしても最後は彼の「家」であるホームで最後を看取りたかったのですが彼がもうしんどい から? ここ(病院)でいいと言われ、そのまま逝かれました
骨を彼の部屋に置きました
お帰りって…
正直僕必死やったから
満足できる支援ができたかどうかはわかりません
初めて担当になっていつも一緒に居たから僕にとっては家族以上の存在でした。』
以上転載。
ということで、毎年何度か京都へ行きます。
この仕事を続けようと思ったのもやめようと思ったのもこの出来事。
生きる事とか死ぬ事とかおぼろげに教えてくれた。
命ってのを年端もいかぬ若造にしっかりと教えてくれた。
今しっかりとわかってきた気がする。
自分は今この世界で生きているので、こっちの世界で頑張っていきます。
今年は少し遅れてスイマセン。
お花を飾り、墓を洗い
ちゃんとコーラを持って行きましたので、ご勘弁を。
飲んでくださいまし。
あ、京都ではレアなタクシーのマークよつばを発見しましたよ、Mさん。
なおと
