今年はよい年だった? ブログネタ:今年はよい年だった? 参加中


タイトルの言葉は、昨年の暮れに掲げた「2012年の目標」

2010年から、ぼくらの会社では、全員が翌年の自分のテーマ、自分の目標となる言葉を書いて、それぞれの事業所の入り口に掲示します。

そろそろ社内でも、来年の準備の一つとして、一人一人で考えてもらう時期がきました。


先生 その983


今回で4回目になるのですが、特にマンネリ化することなく、みんな新鮮な気持ちで真剣に考えてくれているのが嬉しいですね。


昨年からは、一年前に作ったテーマと、その時の気持ちを振り返って、その上で来年のテーマとなる言葉を考えてもらっています。

在りがたいことに、みんな文字数びっしりに、テーマへの想いを書いて提出してくれます。

やらされ感はあるのかもしれないけど、それぞれ真剣に取り組んでくれるのが嬉しいですね。


制約条件は、10文字以内の言葉にすることだけ。

昨年と同じ言葉をテーマにするのも、もちろんOKです。


例えば、運送会社ですから「無事故」、あるいは「健康」というテーマを選ぶ人は多いです。

それを選ぶ理由は、「自分の中で達成感がないから」なのか、「うまくいっているから継続したい」なのか

意味は一緒でも、そこに込めた思いを再確認しないと、言葉だけが独り歩きしてしまいます。

それこそ、テーマも理由も「みんな違って、みんないい」なのです!!


ちなみにボク自身はどうだったのか?

「まず動いてみる」といいつつ、思うほどは動けなかったです。

アクセルを踏もうとしても、ギアがニュートラルのままだったり、サイドブレーキがかかっていたりして、空ぶかししているような状態でした。


ある方に相談したところ「厄年にそんな目標を立てる方が悪いよ」と、一蹴されましたけど(笑)

でももしも、無理してハチャメチャな行動をしていたら、大事なことを失っていたかもしれないです!!


自分の思い通りにならないチャンスは、自分の身を守ってくれたのかもしれません。

それに、毎日何かしらの挑戦していたはずだからね

たまには、自己肯定しておかないと(笑)


もちろん「まず動いてみる」という気持ちは、来年も引き継いでいきますが、「もっと根本的なことを見直していこう」と思っています。

2013年のボクが、毎朝パッと見た時にグッとくる言葉

くだらないかもしれませんが、発表は来年のお正月にしたいと思います!!

今までブログを書き始めてから、こんなにも間を空けて記事を書かなかったのは初めてです。

わずかながらでも、楽しみにされていたみなさん、ごめんなさい。

21日に関しては、完全なる寝落ち、というかサボりです

そして明けて22日の夜から、ボクを悪夢が襲いました。


先生 その982


実は20日の夜、長女が「吐き気がする」と言ってうずくまり、そのまま大量に嘔吐!!

その後も何度か吐いてしまい、翌朝病院で診てもらうと、ノロウィルスの可能性が高いと言う診立てです


しばらくは、おふくろ(おばあちゃん)がそばについてくれることになり、妹やお母さんから隔離して予防することになりましたが、22日の朝には長男に罹患!!

彼もまた、吐き気が続き、食事もできない状態に陥ってました。


そして夜には、一番不安だった一歳の次女も嘔吐してしまいます。

この時点で、翌日の楽しみだった「これ聞いて、元気にならんやつはおらんやろ2012」と、「スターリィマンのおくりもの設立パーティー」への出席を、断腸の思いでお断り。

何しろ、二女はボクの膝の上で吐いてしまっていますから、自分に罹っている可能性大です!!


そして案の定、22日の夜中

突然の嘔吐と下痢に襲われ、胃の中のものかすべて吐き出されました。

昔自分がアレルギーだと知らずにお酒を飲んだ時でも、ここまで苦しい吐き方はなかったです。

苦しさのあまり、ほとんど寝れない状態で翌朝を迎えました。


お医者さんも緊急外来しか受け付けないため、水分補給だけで自宅療養

すべてを出しきったあとは、何も残らないので、吐き気は治まったのですが、食欲が湧かないのです!!

インフルエンザでも、扁桃腺炎でも、無理と分かっていても食欲が無くなったことはなかったのに!!


そんなわけで、昨年に引き続き、悪夢のようなクリスマスイブとなってしまいました。

おかげさまで、昨日からちょっとずつ、食事を食べられるようになりましたが、まだいつものようにラーメンやカレーが食べたい気にならないです。

改めて、健康に食事ができるあり難さを実感しました。


それにしても、子供たち3人は、この苦しみによく耐え抜きました。

特に二女は、体が小さいから、吐瀉物がのどに詰まって窒息する恐れがありますから怖いです

でも、実際に一番回復が早かったのは、彼女でしたからね。

家族が元気でいられることに感謝して、ここからノンストップで1000人目を目指します!!

DVDを見るときは、真っ先に特典映像、特にメイキングを観るのが好きな稲葉です。

映画でも、コンサートでも、舞台でも、作り手や演じ手にしか語れない、あるいは見せられない魅力が伝わってくるじゃないですか!!

それを見るのは野暮だという人もいますが、ボクは特典映像が無いDVDは、買う気がしないですね。


先生 その981


先日の筑波山神社のお礼参りのあとも、鬼澤さんやぬまっち、鎌ちゃん、昌樹たちから、世界大会の裏話を聴かせていただきましたが、これも関わった人にしか分からない話がいっぱい。

やっぱり舞台の裏話は、ずっと聴いていて飽きないものです。


ドリームプランプレゼンテーション2012世界大会のウェブサイト でも、当日の様子や、プレゼンター、パートナーのインタビューが紹介されはじめました。

予選は観に行けませんでしたが、20名のプレゼンターの本気度の高さが伝わってきます。


その中のファイナリストの一人、「多文化共生ダイバーシティとやまプロジェクト 」の宮田妙子さん

彼女のプレゼンもまた、ぬまっちのプレゼンと同じくらいに感動的なものでした。

いや、それだけでなく、宮田さんとぬまっちがドリプラに関わるきっかけが似ているのです。


ぬまっちは、去年の夏、栗城さんと福島先生の講演会に参加して、ドリプラの存在を知り、その場でプレゼンターになる決意をして、いばらきドリプラに出場しました


宮田さんは、昨年の春、富山で行われた福島先生の講演会に参加して、ドリプラの存在を知り、実行委員長の森本のアニキに誘われて、富山ドリプラに出場しました


また、二人の今回のパートナーは、地方ドリプラの実行委員長経験者であり、仲間の応援のためなら、どこにでもフットワーク軽く動いてしまう変態さんです。


そして、一番似ているとボクが感じたのは、仲間に対する思いやりの気持ちでした。

いばらきドリプラの時もそうでしたが、ぬまっちはプレゼンター仲間に対して、常に応援の姿勢をくずさず、まず「仲間のために」と動ける男です。


ドリプラ予選会の最中に、震度4の地震が起きましたが、その時にプレゼンをしていたのが彼でした。

「オレの出番の時でよかったですよ」と、ぬまっちは述懐します。

「他の人の出番だったら、動揺してたかもしれないし」という思いなのかもしれません。


そして宮田さんは、自身のブログ で、仲間のプレゼンターたちを紹介する記事を書き続けていました。

このボリュームが、ハンパじゃない!!

一人一人のエピソードが、誰よりも詳しく語られていて、読み応えがあります。

ボクのブログと同じようなテーマですが、書かれている内容の本気度が違いますね!!


これだけの文章を書くとなったら、文章力以上に、仲間のことを知ることが大事

仲間のことを知れば知るほど、その人が好きになっていく様子が伝わってくるブログです。


気が付けば、ボクのブログも、目標まであと19人

ちょっと最近、真心を込めて丁寧に書くという気持ちが、薄れていたような気がします。

宮田さんの仲間を思う姿勢から、ボクも原点に立ち返って、さらに真心をこめて楽しみながら続けます!!

ちょっと前の話になりますが、十八代目中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。

当然お会いしたことはないので、その人柄は分かりませんが、生前親しかった方たちからは、本当に愛され、慕われていたようですね。

追悼番組やドキュメンタリーを見て、もっと知っておけばよかったと、今更ながら後悔しています。


先生 その980


ちょうど土曜日の午後、忘年会に行く前に家でテレビを見ていたら、今年の4月に行われた「平成中村座」の舞台中継を放送していました。


演目は「法界坊」

もちろん、歌舞伎の舞台などほとんど見たことがないボクですから、途中から見ても内容は分かりません。

でも、主人公の法界坊という破天荒な生臭坊主を演じる勘三郎さんは、言葉のアドリブもたくみにいれて、パワフルに舞台をかけずり回ってました。


特に面白かったのが、客席に降りてのお客さんいじり

ちょうどこの日見に来ていた、芸能人のお友達を使って、うまくいじり倒します。


ラサール石井さんには「オレと同じくらいの年して、若いかみさん騙しやがって!!」とか

上島竜平さんとの掛け合いでは「くるりんぱ」と「訴えてやる」を引きだして、他のお客様も大喜び!!

とにかくお客様と一体になって、歌舞伎に興味のない人を惹きつけようと、大汗をかいて奮闘します。


とにかく、亡くなられる7カ月前だとは思えないほど、サービス精神に溢れていました。

「DVDに録画しておけばよかった」と悔やむほど面白くて、忘年会に遅刻しそうになりましたからね。


歌舞伎は伝統芸能ですが、江戸時代の歌舞伎は庶民の娯楽であり、エンターテインメントだったはず

平成中村座を興したのも、「もっと若い人たちに、歌舞伎の面白さを伝えたい」という思いがあったからではないかとお察しします。


それにしても、二人の息子さん、勘九郎さんと七之助さんは偉かった!!

親父さんが亡くなった翌日の夜の襲名披露公演で、気丈に口上を述べる姿は、涙を誘いましたね。


「でも悔しいと思っているのは父。大好きな芝居ができず、お客様の笑顔が見られず、父は無念だと思う。父のことを忘れないでください」


いくら梨園のプリンスとはいえ、舞台に穴をあけない役者魂はあっぱれすぎます!!

もし自分が30歳前後の頃に、父親を亡くしていたら、こんな気丈な振る舞いはできなかっただろうなぁ

ぜひお父様の芸だけでなく、歌舞伎にかける思いや、イキなセンスも引き継いでいただきたいですね。

久々に小田急線に乗って、我が青春の街・下北沢へ行ってきました!!

ボクがよく街をぶらついて、食事をしたり、買い物をしたり、雀荘に行っていたのは、もう20年前のこと

お店はずいぶんと変わったけど、街の雰囲気は昔のままで、なんとなく安心できます。


先生 その979


日曜の夜は、夢実践会の時の恩人・かなえちゃんのファーストライブに行ってきました。

第6期では、ボクのプレゼンを応援してくれて、第7期では「Oto-no-ha」という「音楽で人の心を癒したい」という自分の夢を語った彼女

ついにその夢が形になって、一歩踏み出したわけです。


会場になった「Seven Colors 」というお店も、大人っぽいけど温かみのある雰囲気のお店で、かなえちゃんの人柄にぴったり!!

フリードリンク&フリードリンクのライブとは聞いていたけど、料理もおいしいし、ボクの大好きなウィルキンソンのジンジャーエールが飲めるのが嬉しいですね!!


今日のライブは、かなえちゃんの歌とピアノだけのシンプルな構成

ピアニストは、学生時代からの友人であるとーくら君

そして、ゲストピアニストは、彼女の作曲の先生でもある、安達充さんが駆けつけてくれました。


アップライトピアノではなく、エレピでの演奏だったわけですけど、二人とも曲の持ち味や、かなえちゃんの声を上手に引き立てるプレイヤーですね。

やっぱりライブの醍醐味は、こういう弾き手の持ち味を感じることだよなぁ

見ていたら、ボクもジャジーなギターが弾けるようになりたくなりました。


ライブの合間のハーフタイムは、ほとんど同窓会のような感じで、久々の再会を楽しめました!!

みんな仲間の門出をお祝いしたくて、集まった仲間たちです。

人間的にはひと癖もふた癖もある濃いメンバーばかりだけど、一緒にいると落ち着きますね。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

そして今回のライブの企画から演出まで、ずっと支えてくれたのは、かなえちゃんの心友はなえちゃん

どんなライブにしたいのかを一緒に考え、お店の手配から、ライブの構成、衣装、ヘアメイクと、様々なところをサポートしてくれたそうです。


ライブの間も、お客様の動きを気にしつつ、はなえちゃんは嬉しそうにステージを見つめていましたね。

女同士の友情って、うまく表現できないけど、無償の愛で繋がっているように思います。


多くの仲間に支えられながら、5月にはまた単独ライブに挑戦

さらに多くの人を、うっとりとさせ、元気にさせちゃうライブになるだろうと、楽しみにしています!!