気付けばうっかり、昨日アップするのを忘れて、新年を迎えてしまいました!!

改めまして、新年あけましておめでとうございます!!

気を取り直して、昨年の夏から秋にかけての出来事を、振り返ってみたいと思います。


先生 その988


第0回トラックドライバー甲子園が終わり、理想のチームについてさらに深く考えるようになりました。

しかしながら、ぼくらの会社のスタッフさんたちは、自ら素晴らしいチームを作ってくれていたのです。


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トラック協会常総支部主催のソフトボール大会

地道に練習を重ねてきた結果、初出場のユニフォームもない稲葉運送チームが、強豪たちを打ち破って第3位の好成績をおさめることができたのです!!


手法は100万通りというけれど、これをきっかけにして、チームがいい方向に向かい始めました。

経営者が「これをやれ!!」という取り組みよりも、自分たちが「やりたい!!」と望んだことに対する真剣さは、全然違いますからね。

来年はユニフォームを揃えて、優勝を目指して頑張ります!!


夏休みに入ると、いよいよ「いばらきドリプラ」の準備が本格化してきます。

その合間をぬって、8月には家族4人で再び伊那へ

「夢ケーキの日」イベントに親子で参加し、楽しい家族の思い出がまた一つ増えました。


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菓匠Shimizuの清水さん親子、大久保寛司さん、高野登さん、大棟耕介さん、鬼丸昌也さん、はせがわファミリーと、ちょっと前なら呼吸が止まりそうな方々と、楽しく懇親会が出来る!!

わが身のご縁の在りがたさを感じることができました。


もちろん、いばらきドリプラも楽しみましたよ(^-^)/

二年目の実行委員、そして「ほぼ最年長実行委員」として、今年のミッションは「後輩の育成」

スタッフ全員が、「やったことがないことにチャレンジする」というミッションがありましたが、かなり苦戦したし、達成感はありません。

ただこの経験は、いばらきドリプラに限らず、社内や様々な場面で活かしていくつもりです。


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暑い夏が終わるころには、子供たちの体育祭&運動会

自分の子だけでなく、みんなが楽しそうにしている姿を見れるのは嬉しいですね。

あんなに嫌な思いをして辞めたPTAだったけど、先生たちと仲良くタッグを組んで、学校を楽しくしていきたいという思いは、湧きだしたら止まらないようです!!



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息子が小学校を卒業すると同時に、ボクにとってかけがえのない師匠が定年をむかえ、勇退しました。

廣瀬一峰先生

ボクがPTA会長になったときに、校長として「学校は楽しくなければならない」と、理想に燃えた学校づくりをしてくださった、ホンモノの教育者です。


先生 その987


廣瀬先生の退官とともに、娘の小学校に、その意思を受け継ぐ先生が、校長として赴任してきました。

着任式のあいさつで、子供たちの前に「夢」という文字を披露し、夢についての話を語る校長先生

ボクの子どもたちは、本当に優れた教育者のもとで学ばせてもらえ、本当に在りがたいです。


そんな廣瀬先生の退官を祝って、ボクの夢を叶えることができました。

「先生に大人のための授業をやってほしい!!」

本当は教室中を、当時のPTA仲間と先生たちで埋めたかったけど、みんなに喜んでもらえたし、第二弾の要望も出ているようです。


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「先生と親と地域の大人が、共に学び、互いを認め合う環境をつくる」

先生たちが輝けば、子供たちが輝くための第一歩は、これじゃないかと思うのです。

ちょっとだけ、自分が夢描く社会に近づけたようで、嬉しかったですね!!


そして6月には、ボクに様々なご縁ときっかけを与えてくれた、大心友の夢がかないました。

「第0回トラックドライバー甲子園」


運送業界から日本を元気にしたい!!

現場で働くトラックドライバーさんにスポットを当てて輝かせたい!!


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

こんな思いに賛同した仲間が集まり、ドライバーさんたちが自分たちの取り組みをプレゼンテーションしてくれました!!


また、時系列が前後してしまうけど、いばらきドリプラ2012の筑波山合宿も初夏の頃でした。

会場となった江戸屋さんは、毎年お正月の安全祈願でお世話になっているホテルですが、実際に泊まったのは初めてのこと。

同じ風呂につかり、同じ釜の飯を食って、絆を深めることができましたね。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

そして、世界中の人がみんな偏光メガネをかけて臨んだ金環食!!

当日まで「みんな何を騒いでるの?」と他人事でしたが、いやぁこれは絶対に見れてよかった!!

太陽に月がかぶった瞬間の、ひんやりとした感触は、一生忘れないでしょう。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

今年も残すところ、あと2日となりました!!

家の大掃除をしつつも、二女の子守という役目を果たしながら、このブログを書いています。


昨日は絶不調だけど、今日は絶好調の繰り返し

ボクの2012年は、ずっとこんな感じでした。

数えていないけど、184勝182敗っていう毎日でしたね(笑)


先生 その986


「まず動いてみる」


この言葉を、今年の自分テーマにしてスタートした前半は、多くのベンチマークをさせていただきました。

1月には、いばらきドリプラの仲間たちと一緒に、日本理化学工業さんの工場見学

生きる仏様・大山会長が自ら案内してくれて、時間たっぷりにお話を聴かせてくれましたっけ!!


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

2月には、大好きな先輩・まっさんの会社、CSリレーションズさんの経営方針発表会

社員さんたちの自立し、貢献しようとする姿勢に感動し、「ボクがやりたいのはこういう会社だ!!」と、「いい会社にする」夢が膨らみました。


3月には、長野県の伊那市へ

伊那食品工業さんと菓匠Shimizuさんへのベンチマーク

そして、栃木の運送会社の方々や、伊那の若手経営者さんとのご縁

今まで出向いたベンチマークツアーの中で、もっとも影響が大きい旅だったことは間違いないです!!


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

リーダーシップ、チーム作り、コミュニケーションの活性化、モチベーションの維持・・・

ボクの理想とするイメージは、この時期に出会った会社や、そこで働く人たちからの影響が大きいです。


もちろん、冒頭の話じゃないけど、毎日が一進一退の繰り返し!!

実際、うまくいかないことの方が多いけど、今このブログを書きながら、初心を取り戻した気分です。


そして3月には、4兄弟の中でもっともボクに似ている(!?)と言われている、二男が小学校を卒業

6年生で出会えた担任の先生には、彼が自分を好きになって、認められるきっかけをいただきました。

ボクよりずっと若くて、会えば冗談を言い合う仲ですが、志を持った先生との出会いに、親子ともども感謝しかありません。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

2012年印象に残ったニュース ブログネタ:2012年印象に残ったニュース 参加中


2012年を振り返ると、夏まではけっこう明るいニュースが多かったような気がします。

金環食、スカイツリーの開業、そしてロンドンオリンピック!!

オリンピックは、ニュースでしか見ていなかったけど、充実感のある成果だったんじゃないかな?

そして自民党が復興した選挙と、一番ビックリしたのは・・・


先生 その985


昨日のスポーツ紙の一面に載っていた「松井秀喜引退」のニュースは、衝撃的でした。

確かに今シーズンは、あまり調子がよくない状態だったけど、まさか選手を引退するとは!!

まぁ、会見でも本人は「あまり引退という言葉は使いたくない」と言っていましたが、日本のプロ野球に戻るつもりはないようで、ちょっと残念な気がします。


メジャーに行っての活躍も素晴らしかったけど、ボクは巨人にいたころの松井さんが一番好きでした。

とにかく実直に打席に立って、怒ったり、はしゃいだりっていうイメージがないでしょ?

著書のタイトルが「不動心」っていうらしいですけど、本当に「動じない」精神力がいいですよね。


松井さんの「動じない心」で、忘れられないのは、星稜高校時代の夏の甲子園での5打席連続敬遠。

当時、高校野球にさほど興味がなかったボクでしたが、「松井っていう、清原よりすごいかもしれないホームランバッターがいる」というのは知っていました。


ボクも「熱闘甲子園」を見て、この5打席連続敬遠の映像を見た時には、相手のチームとピッチャーに対して、無性にハラがたってヤツあたりした記憶があります。

結局、松井さんは一度もバットを振ることなく、星稜高校は敗退

松井さんだけでなく、星稜の選手たちや応援団は、相当悔しい思いだったと察しています。


ところが、松井さんは悔しい気持ちを押し殺し、怒るでもなく、無くでもなく、事実を受け止めて立ち去って行きました。

18歳の高校生で、ここまで肝が据わっていたから、プロの世界でも大選手になれたのだと思います。


ただ、この試合で一番つらかったのは、松井さんじゃなくて相手のピッチャー・河野さんだったんじゃないかと、大人になってから気づくのです。

(いや当時もすでにボクは成人はしていたんですけどね)


監督の指示は絶対!!

しかも、この時の敬遠は、審判から注意を受けないように、キャッチャーを座らせたままボール玉を投げるという、難しい指示が出ていました。

球場全体からのヤジや罵声はエスカレートし、自分たちの応援団からも「ひきょう者」呼ばわりされます。


そう、この時に彼は、日本中を敵にまわす悪役になる覚悟を決めるしかなかったのです。

18歳にして、監督の指示を頑なに守りとおし、勝利へと導いたはずなのに、世間から非難される攻め苦は相当な苦しみだったのではないでしょうか?

もし今の時世だったら、もっと大変なことになっていたかもしれません。


松井さんも不動心で勝負してきた選手ですが、河野さんと当時の監督さんもまた、不動心を貫いた人だったと思うのです。

監督の戦術は、個人的には間違っていると思うし、卑怯だと思う気持ちは変わりません。

でも「子供たちを勝たせてあげたい」という根本の思いは、誰にも否定できませんよね。


可能性を阻まれることも、悪役に徹することも、できれば経験したくないこと

20年前の高校三年生の覚悟、そして動じない心からの学びは、41歳の大人にも響きますね。

連休前の金曜日、鈴木正大さんのFacebookを読んでいて、うっかり泣いてしまいました。

癌の治療を続けてきた、お母さんの命が、もう残りわずかだと覚悟を決めた心境

そして、一週間前に、親子二人で食べた食事の思い出

その日の夜に、ショウちゃんのお母さんは、子どもたちに見送られながら、息を引き取られました。

謹んでご冥福をお祈りいたします


先生 その984


Facebookで、弔意のメッセージは送ったものの、翌日ボクはノロウィルスに罹ってしまったために、お葬式に行けず、弔問にも行けませんでした。

ただ、多くの仲間、もちろんお母さんのお友達も集まり、和やかに見送られたようです。


お母さんも、5年前に亡くなられたお父さんも、お会いしたことはなかったのですが、話を聴かせてもらった限りでは、子を持つ親として、「こう在りたい」と思える方でした。


ショウちゃんが小学校低学年の頃、学校で上級生からイジメを受けたことがありました。

子どもながらに「お父さん、お母さんに、心配かけたくない」と、健気にそれを隠そうとしたようですが、親の勘は鋭いですからわかってしまうんですね。


そんな時に、お父さんとお母さんは、ショウちゃんにこう言ってくれたそうです。

「辛い思いをしてまで、無理に学校に行かなくてもいい」


頭ごなしに「学校へ行け!!」という親が多かった時代に、息子のありのままを受け入れられる器の大きさ

たとえ相手が小学生でも、その子の人格を信頼していたんでしょうね。


ボクも4人の子に対して、無条件の信頼を目指していますが、ついつい口を挟みたくなってしまいます。

まだまだ、ショウちゃんのご両親の域には、ほど遠いですね。


そんなショウちゃんが、お葬式を終えた25日のメルマガで、新たな決意を語っていました。

これもまた、読みながら泣けてきた話なので、一部抜粋してシェアしたいと思います。


親父が亡くなった時は「オフクロに恩返しすれば、向こうで親父も喜んでくれる」と暮らしてきました。

そして、そのオフクロも亡くなり、生まれて初めての、両親がこの世にいない損失感がジワジワと身に沁みてきています。


今朝、決めました。

もっときちっと世の中のお役に立てる「男になる」。

そして親父とオフクロの分まで元気で長生きしてから逝く。


「男になる」。40男が言うのは、かっこ悪いかもしれません。

そろそろ人生の酸いも甘いもわかってきたつもりではいます。

それでも思ったんですね。僕は「まだまだ男になれていない」と。


男には夢や想いを描くときの「顔」と

夢や想いの陰で、地に這いつくばって汚れなければならない「顔」がある。


今の時代に古臭い言葉かもしれないし、陳腐な覚悟に見えてしまうこともあるかもしれません。


人間の命は有限。

僕もこれまで生きてきた40年の年月と、同じくらいの年月を生きていったら死ぬことになる。

見てろよ、向こうから。

今の時代に、誰もが一目置くような「男になる」

その後に、いずれにしても親父やオフクロがいった世界にいくから...


親にとって、息子という存在は、いくつになっても「男の子」なのだと思います。

特に母親にとっては、いつまでもかまいたくなる存在に思えてなりません。

ボクのおふくろも、41歳の息子を見る目は、小学生のころから変わっていないように思います。


ボクから見たら、ショウちゃんはとっくに、男らしい男になっていると思っていました。

いや、実際に「男らしい男」だとは思うのですが、不謹慎かもしれないけど、母親という存在を失って初めて、息子から男になれるものなのかもしれませんね


どんな男にとっても、一番頭のあがらない存在

改めて、ショウちゃんのお母さん、そしてうちのおふくろに感謝です。