先日、きょうちゃんから頂いた絵葉書を見ていたら、「沖縄行きたいなぁ」と思ってしまった稲葉です。

元々色白で、一時期本名からもじって付けられたあだ名が「ウサギ」

でも実は、冬の寒さよりも、夏の暑さのほうが好きなんです。

日焼け止めは、ガッツリと塗りますけどね


先生 その601


ボクが高校3年生のころから流行り始めた番組に、「イカ天(イカすバンド天国)」っていうのがありました。

ようはアマチュアバンドの勝ち抜き歌合戦みたいな番組だったのですが、そこで見たバンドの中で一番大好きだったのがBEGINです。


最初に披露してくれた「恋しくて」は、歌もギターもピアノも都会的なカッコいいブルース

この頃はまだブルースのカッコよさが分かってなかったのですが、BEGINだけは別格に感じました。

シングルのカップリングは、クラプトンの「Wonderful Tonight」のカバーでしたが、何気にボクはこのバージョンの方が、オリジナルよりも好きなのです。


その後も、大きなヒットを出したわけじゃありませんが、ブルージーな曲だけじゃなく、故郷沖縄をテーマにした曲を出したりして、音楽性の幅広さを感じさせてくれます。

そしてボクが一番好きなのが、この曲。


特に二番の歌詞に出てくる「♪ジミー・ペイジに憧れて・・・」は、「オレのことか?」と錯覚してしまうくらいに、身近なストーリーです。


この歌の詞もそうだけれど、BEGINの詞やメロディには、カッコつけようとする意識がなくて、シンプルで自然体な世界なのです。

ところが、自分たちがBEGINのカバーをしようとすると、これが上手くいかない。

構成がシンプルなだけに、比嘉さんのボーカルや島袋さんのギターは真似できないんだよなぁ。


メンバーチェンジも無く、スタイルを変えることなく、20年以上音楽活動を続けているバンドは、日本ではそれほど例がありません。

その魅力も、そして存在そのものも、ずっと自然体なままのバンドですから、50代60代になっても、あのままじゃないのかな?

一度もまだ生でライブを見たことがないので、いつかライブハウスのBEGINを見るのがボクの夢です。

「大人の宿題」 というタイトルの記事でお話ししたように、先日夢実践会の第5講で、ボクは自分の夢をみんなの前で語り、聴いていただきました。

タイトルもなく、明確なビジョンもない、「これが果たしてドリームプランと言えるのか?」というような話です。

その結果、ボクが入ったグループの中で、プレゼンターに決まったのがボクだったのです!!


先生 その600


自分でも意外な展開に、頭が真っ白!!

だって、ボクの語った夢って、具体性も無くて、あきらめそうな理由まで入ってるんですよ!!

真剣に夢を語ってくれた4人に対して、在り難さよりも、申し訳なさを感じてしまいました。


そして、その後の懇親会が最初の支援会のような状態になり、昨日の夜は池袋に集まってもらって、ボクの支援会を開いていただいちゃいました。

カフェ好きなボクに気を使ってくれて、シロノワールで有名な「コメダコーヒー」に集合です。

昨夜は同じく最終講のプレゼンターに選ばれた、心友よっつーにも参加してもらい、様々なフィードバックをいただきました。


今回ボクのことを支援してくれるメンバーは、今まで挨拶程度の会話しかしたことがない人ばかり。

グループに入るときに、あえて自分のハードルを上げたことから始まった奇跡です。

一人一人のことは、勿体ないので改めて後日語らせてもらいますが、すごいメンバーに恵まれました。


さらに、このメンバーに共通していたのは、お子さんがいらっしゃらないということ。

ボクが語った夢は、このブログにも何度か書いてきた、「先生と保護者が感謝で繋がれる教育環境を作る」という、略しようのないテーマです。


小中学生のお子さんがいる人なら、ある程度共感していただけそうなのですが、「身近に子どものいらっしゃらない人に、ボクの話は伝わるのか?」ということが、気になっていたのです。

最初からプロフィールを知っていたわけではないので、まったくの偶然ですが、みんなボクの話を真剣に聴き、メンターシートを書いてくれました。

これはきっと、これからの人生の宝の一つになることでしょう。


「『応援される』立場に立つと、『応援する』することの本当の意味が分かってくるよ」


篭池さんからいただいたエールもまた、今の自分に大事なことを問いかけてくれています。

30代の総仕上げとして、「応援されるってどういうことなんだろう」に、真剣に向き合う夏にします。

今食べたいのはラーメン?つけ麺?冷やし中華? ブログネタ:今食べたいのはラーメン?つけ麺?冷やし中華? 参加中

私はつけ麺 派!

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久々の魚串炙縁



リザーブカードが嬉しいねニコニコ



加賀屋さん特性のカレーつけめん
今までに食べたことのない美味しさでした(^-^)v

アンディ姐さんの情報によれば、大阪でも10月に、居酒屋てんてんで開催されるようですよ!!
夏休みの思い出教えて ブログネタ:夏休みの思い出教えて 参加中

夏休みだからといって、毎年これといった旅行の計画を立てることもない稲葉です。
子供たちの「別に無理しなくていいよ」という愛情に、「そうか、すまんなぁ」と甘えてしまうダメな父親ですが、何かしら思い出になるようなことは作る努力はして・・・いるのかな?

先生 その599

子供たちが毎年夏休みに楽しみにしているのが、キャンプ。
彼らが出た幼稚園が、YMCA系列であるため、毎年小学生対象のキャンプツアーを実施しているので、今年も二男と長女は、野尻湖畔にあるキャンプ場に行ってきました。
4泊5日、テレビもゲームもない自然の中で、僕らと離れて生活するのは、とても勇気がいることですが、二人ともたくましく日焼けした満面の笑顔で帰ってきました。

長男が最初に参加したのは小学校3年生の時ですから、我が家の子供たちは、6年連続でこのキャンプに参加し、スタッフの子たちに御世話になっています。
最初に参加した時に、息子のチームリーダーとしてお世話になったオコジーは、当時まだ大学生でした。
今では彼も立派な社会人ですが、有給を使って毎年このキャンプに関わってくれています。

その長男が初参加した時のこと。
野尻に着いて二日目の朝、キャンプに参加していた幼稚園の先生から電話が入りました。

「実は昨夜から、泰久クンが発熱してしまいまして、どうやらおたふく風邪にかかっているようです。
野尻までとは言いませんが、途中まで迎えに来ていただけませんか?」

「来ていただけませんか?」と遠慮がちに聞かれても、選択肢は一つしかありません。
途中のICを降りたあたりで待ち合わせることにして、ボクは車で迎えに行きました。
帰りの道中も、本人は予想以上に元気で、たった1日の出来事を嬉しそうに語ってくれましたが、帰らなければならない無念さは晴れていないようです。

後日、キャンプに参加していた幼稚園の先生から、長男が帰った後の話を聴きました。

「オコジーが『オレが最初に気づいてやれば、アイツにキャンプを楽しませてあげられたのに。アイツが野尻キャンプ嫌いになっちゃったら、どうしよう』って、号泣してたのよ。
でも、それでオコジーも成長できたと思うけどね。泰久クンのおかげだね」

オコジー、そこまで責任感を感じるとは、なんて繊細で熱い漢なんでしょう!!

彼の心配をよそに、長男に限らず、二男も長女もキャンプを楽しみにして、彼にお世話になりました。
やっぱり、親、先生以外の「斜めの関係になる大人」の存在はありがたいですね。
そして来年もきっと、長女が再びオコジーにお世話になるのが、楽しみです。

66回目の終戦記念日です。

この時期、東京以外のほとんどの地域でお盆を迎えるのも、何か運命的なものを感じます。

もちろん、戦況がギリギリになった上で、終戦を決意されたわけですが、ご先祖様が家に戻ってくる時期に終戦記念日があると、「戦争という悲劇を忘れないでくれ」という願いが繋がっているように感じます。


先生 その598


というわけで、今日は子どもたちを連れて、昨年出来たばかりの予科練平和記念館 に行ってきました。

予科練というのは、海軍航空隊に入る前の少年たちが、基礎訓練を受けるための施設。

真珠湾攻撃や、戦争末期の特攻隊員の多くは、この場所にあった「土浦海軍航空隊」の出身者です。


おふくろの実家から、車で5分程度の場所なのですが、初めて知ることばかり。

写真や映像で観る訓練生の表情は、今の中高生たちとなんら変わらない幼さが残っています。

特に印象的だったのは、おやつに出される大福がのったお盆を、嬉しそうに運ぶ訓練生の表情。

当時、ボクの母方の爺さんは、パンを売るだけでなく、饅頭や大福を作って、海軍や予科練に卸していたようなので、この大福も爺さんが作ったものだったかもしれません。


中でも一番衝撃的だったのは、「窮迫」というタイトルの6番目の展示室。

東京大空襲をきっかけにして、日本の国土はアメリカ軍の標的になっていきましたが、ここ阿見町もその標的となって、大規模な空襲を受けていたのです。

実はこの話を、ボクは今日まで知らずに生きてきました。


海軍航空隊の基地と、全国にあった予科練の中心であったことが標的になった理由ですが、この空襲では大勢の民間人が亡くなられていました。

空襲を体験した方のインタビューと、空襲を再現するCG映像の展示に、戦争がいかに愚かなことであるかを思い知らされます。


この空襲は、昭和20年6月10日のことですから、おふくろが生まれる3か月前の出来事です。

ということは、当然のことながら、おふくろの両親や兄弟はすぐ近くに住んでいたわけです。

もし婆さんが命を落としていたならば、おふくろもボクも、この世に存在していないわけで、改めて自分の命が生かされているということに、気づかせていただきました。


帰り道に、おふくろの実家に寄って、仏壇にお線香をあげてきました。

爺さん婆さんはもちろんのこと、おふくろの命を守ってくれたであろう、名前も顔も知らない親戚の方々に「よくぞ命を守ってくださいました」と、手を合わさずにはいられません。

そして終戦記念日という節目の時に、この場所を訪れることができた奇跡に感謝です。