本を読むのが大好きで、年間100冊読むことを目標にしているのですが、実際に数えたことがありません。
ここ最近は、かなりの本を読んだような気がするので、今更だけど数え直してみようかな。
まずは直近の記憶からたどってみます。
先生 その660
最近読み終えた本から、順番にさかのぼっていくと・・・
星野修 「大家族主義経営」
古市佳央 「君の力になりたい」
福島正伸 「社員と地域を幸せにする会社」
中村文昭 「『話し方』一つで、人生はでっかく変わる!!」
池間哲郎 「もっとも大事なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること」
山口絵理子 「自分思考」
高野登 「リッツ・カールトン 一瞬で心が通う『言葉かけ』の習慣」
清水慎一 「世界夢ケーキ宣言」
海野凪子&蛇蔵 「日本人なら知っておきたい日本文学」
高橋誠之助 「神様の女房」
喜多川泰 「上京物語」
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我ながら、いい本を引き寄せているなぁと思います(o^-')b
ちなみにボクは、最近流行りの速読にはあまり興味がありません。
「食わず嫌い」なのかもしれないけど、どうしても「本はジックリ読むもの」という観念が強いのです。
そして昨日読み終えた本がこちら
- ガンディー 魂の言葉/マハトマ・ガンディー
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インド独立の父と呼ばれた、マハトマ・ガンディー
彼が生前語られてきた言葉が、一頁ずつ刻まれているのですが、まるで21世紀の世界が抱える問題を、黙示録のように予言していたように感じて、背筋がゾクッとしました。
人間性のない科学や、利益優先のビジネスといった、物欲にとらわれた文明への警鐘
中には、第二次世界大戦当時の日本に対する、厳しいメッセージも込められていました。
そんな中で、ボクが最も好きな一篇をシェアさせて下さい。
人は少しずつ強くなれる
人は哀れな迷える魂。
心も言葉も行いも、善良でありたい、誠実でありたい、人を傷つけずにいたい。
そう思ってやまないのに、正しいと分かっている理想形に、なかなかたどり着くことができない。
痛々しい前進であっても、この痛みは前向きな喜びだ。
なぜなら、一歩前に踏み出すたびに、わたしたちは少しずつ強くなり、
次に進んでいけると確信できるのだから。
彼がインドで、非服従運動を提唱しはじめて、イギリスから独立するまでの歳月は32年。
継続は力なりと言うけれど、心が折れることなく信念を貫かれた生き方は、まさに聖人です。
ボクもこの言葉に勇気をもらって、少しずつ強くなっていきます。
ボクが20代の頃に、バイト先でお世話になったシングルマザーのお姐さんがいました。
彼女から、「母親の愛」について語ってもらった話は、親孝行の意味を分かっていなかった自分にとって、強烈な気づきを与えてくれたものです。
「旦那が病気やケガをした時は『早く治ってほしいなぁ』って思ったけど、
子供が病気やケガをした時は『この苦しみを代わってあげたいなぁ』って思うのよね」
先生 その659
もう、この冒頭の言葉だけで、今日のブログは終わっていいかもしれないけど、この言葉を思い出させてくれたのが、先日の歯科ドリプラ埼玉
でした。
古市佳央 クンは、昨年のHSセミナーで出会い、その後も埼玉ドリプラや、自身の主催したオープンハートの会ドリプラ、そして日本商店会のイベント等々で出会う機会が増え、仲良くさせてもらっています。
今回は、ピアニストの藤本ゲンさんの演奏とコラボして、彼の半生を描いた「ストーリーオペラ這い上がり」を演じてくれました。
彼は16歳の春休みに、バイク事故で全身大火傷を負って生死の境をさまよい、のべ33回の手術、1000日の入院生活という壮絶な体験をされています。
やんちゃでワガママだった頃の自分が、火傷の治療でもだえ苦しみ、「もう二度と元の姿に戻れない」と聞いて、一時期は自殺まで考えてしまいました。
しかし、そこで出会った同じような病気の患者さんや、家族との関わりの中で、命の尊さに気づいて、生きていることの在り難さを感じながら、生まれ変わっていった体験談が、リアルに感じられます。
以前、観た時にはAKIRAさんの歌が入って、力強いエナジーを感じましたが、今回はそれをゲンさんが表情豊かなピアノの音色で、時に優しく、時に激しく語ってくれます。
そして、今回は古市クンの地元ということもあって、ご両親が観に来られていました。
司会のナニメンさんに促されて、お母さんが感想を語ってくれます。
「本当にワガママな子だったけど、あの事故の時は『私が代わってあげたい』と思ったものです。
今は本当に、私たちの誇りです」
「代わってあげたい」
その言葉を聞いた瞬間、我慢していた涙が止まらなくなりました。
やっぱり、母親の子供に対する愛情に勝るものなしですね(o^-')b
33回もの手術、輸血の量は「全身の血液が入れ替わるほど」だったという壮絶な体験をした息子を、お母さんや家族は、どんな思いで看護していたんだろう。仲間が自分の夢を、みんなの前で発表する。
だからボクは、仲間が勇気を出してステージに立てるように、応援に行く。
ボクにとってのドリプラは、そんなシンプルなものだった。
2010年は、世界大会本選のほか、埼玉、群馬、眼科、千葉、そして多治見と足を運んだ。
理由は単純明快、仲間の夢を聴きたいから。
「いなばっち、茨城ではドリプラやらないの?」
何度もそんな質問を受けたが、ボクにとってのドリプラは、あくまでも「仲間を応援するもの」だ。
主催したり、自分がプレゼンターになるのは、性に合わないと思っていた。
しかし、年が明けて「茨城でもドリプラを計画している」という話を聴いた。
「彼らとは、まだ仲間になっていない」
そんな、つまらない理由で、ボクは当事者意識を持てなかった。
そして、3月11日の東日本大震災。
茨城の北部や沿岸部は、かなり大きな被害を受けていると知った。
気が付いたらボクは、まだ知り合って間もなかった、いばらきドリプラの仲間が心配になっていた。
復興の狼煙の中で、彼らは「こんな時だからこそ、ドリプラをやります」と力強く宣言していた。
ボクも彼らの役に立ちたい!!
今こそ、ボクにとっての出番だ!!
今までのボクの人生で、ここまで故郷が愛おしく感じられたことはなかった。
ボクを育ててくれた茨城の人たちに感謝して、未来の茨城を語る志士たちを応援していこう!!
どうぞ、みなさん、茨城に来てください。
そして、茨城を好きになってくれたら、心の底から嬉しいです!!
いばらきドリームプランプレゼンテーション2011
先日、ぼくらのバンド「Now Printing」の由来について語りました。
十分ぼくたちも、頭のおかしい名づけ方をしていますが、まぁ、アマチュアバンドなんてこんなもんです。
そして、我が故郷水戸にも、頭のおかしな名前の若者演劇集団が・・・。
先生 その658
略してキミジャグ
彼らは水戸を中心に活動している、パフォーマンス集団です。
そもそも、キミトジャグジーっていう名前の由来は、どこからきているのか?
おそらく大した理由はないだろうし、いちいち突っ込むのもめんどくさいので、聴いていません(笑)
そして、キミジャグの座長を務める、大将こと鈴木貴幸クンは、いばらきドリプラ のプレゼンターです。
「水戸の街に、小劇場を作りたい」
ドリプラに在りがちな話ですが、夢のタイトルだけ聴くと、「・・・作れば」ということになってしまう。
最初にその理由を聴いた時も、「水戸には300人規模以上の大きな劇場ばかりで、100人前後のキャパの小さな劇場がない」という私的な問題だと、勘違いしていました。
きっかけはどうあれ、大将が「小劇場を作りたい」と思い立った理由は、それだけではありません。
地域の中で、気軽に演劇ができる土壌を作り、地域に住む人たちが、手軽に笑って泣けるお芝居を見ることができる。
そう、ただ自分の身の丈にあった劇場が欲しいということではなく、「演劇を通じて、水戸の街を元気にしたい」という思いが夢の軸になっているのです。
もう2週間ほど前になりますが、キミトジャグジーのアジト(笑)での個別支援会には、大勢の仲間たちが集まって、一緒にブラッシュアップしてくれました。
こういう時に、普段からの仲間との付き合い方が分かりますねぇ。
仲間に自分の夢を語っている実績は十分にあるので、あとは第三者の応援をどれだけ増やせるか?
何しろ劇団の座長ですから、人前で話す時にも堂々としていて、ハリのある大きな声で喋ってくれるのですが、何しろよく噛んでます(笑)
さっきキミジャグのウェブサイトを見たら、「カミ(噛み)サマ」という称号を与えられていました。
いいねぇ、大将!!
本番では、噛まずにビシッと決めて、水戸の街を元気にする「神様」になってもらいましょう!!


