くどい話になりますが、いばらきドリプラの実行委員は、ドリプラ未体験者がほとんどでした。

集客はどうすればいいのか?

企画はどう進めていけばいいのか?

プレゼンターをどうやって支援していけばいいのか?

世界大会のマニュアルは手にしたものの、細部についてはすべて手探りの状態だったのです。


先生 その682


そんな中で、一番最初に頑張ってくれたのが、広報・印刷物チームのメンバーでした。

さらにその中で、エンジェルズと呼ばれた20代の女の子たちを中心に、リーダーを務めてくれたのは、若干21歳の現役大学生・南くんでした。


チラシ、パンフレット、スタッフTシャツの段取りを行い、裏方としてプレゼンターを支える。

そして、自分よりもずっと年上のプレゼンターに寄り添い、応援する。


社会人の人たちと積極的に行動しているだけで、彼はかなり自立した学生だと思います。

決して、イケイケな学生ではなく、むしろ大人しそうなタイプです。

それでも、一生懸命にリーダーシップをとっている彼の姿に惚れこみ、母性本能ならぬ父性本能が芽生えてしまって、彼に当日のタイムキーパーを務めてもらいました。


ボクは進行チームのリーダーだったので、本番中はタイムキーパーの彼、司会者付きのマーサとは、インカムマイク越しの遣り取りが多くなります。

当然チャンスタイムも想定しなければならないし、プログラムが押してしまう可能性も高いので、冷静に時計を見て瞬時に判断することが重要です。


ところが、自分でも想定外のことが起きました!!

本番のプレゼンターの姿が、予想以上に神がかっていて、スタッフでありながらボクは感情をうまくコントロールできなかったのです。

一人目で泣き、二人目で泣き、それでもなんとか時計を見ながら、次の時間をどうコントロールするかを決めてキューを出さなければなりません。


一生懸命に感情を押し殺しながら、インカムマイクに向かって休憩時間の指示を出します。

すると南くんからの返事は


「(フェッグ、フェッグと鼻をすするような声で)分かりました」


彼も涙をこらえるのに、一生懸命だったんですね。

今にして思えば、辛い役をさせてしまったと反省していますが、この時インカムをつけていた実行委員が、さらに涙がつぎ足されたのは言うまでもありません。


いばらきドリプラを通して、ボクはかなり厳しいことを言う親父になっていました。

でもそれは、メンバーの子たちを、本気で弟、妹、あるいは息子、娘と思うことができたからです。

家族のようなチームの一員になれたことを、本当に嬉しく思います。

11月の後半は、いばらきドリプラを中心にして、かなり充実した日々を過ごしてきました。

その中の一つが、師匠の東京での初講演合格

「これは是非とも逢いに行かなければ」という思いに駆られて、先週の土曜日、立正大学の大崎キャンパスまで行ってきたのです。


先生 その681


師匠というのは、何度かこのブログでも紹介してきた、香葉村真由美先生。

福岡県の小学校の現職教員であり、2008年の先生見本市(中村文昭さん主催のイベント)での講演をきっかけに、その名前が全国に知れ渡るようになりました。


ボクもそんな真由美先生の大ファンの一人

昨年の2月に、格闘塾塾長のどやさんとのコラボ講演を聴きに、小雪がちらつく名古屋へ独り旅

その年の7月には、心友・みほちゃんが主宰する、小牧での講演会でお手伝いをしたことをきっかけに、ぐっと距離を近づけることができました。


今回の講演会を主催してくれたのは、立正大学の柿谷先生という心理学教授のゼミのみなさん。

先生のエピソードは、お母さんのような母性に溢れる話が多いのですが、まだ結婚も出産もしていないであろう学生たちがすすり泣きしているのが印象的でした。

ボクももちろんですが、先生の話を聴いていると、心がジワジワと熱くなってくるんです。


講演が終わった後、しばしの時間、先生と久々の再会を喜び合いました。

つもる話の中で、今年生まれた娘について先生が、すごいことを教えてくれました。


「赤ちゃんは、幸せを運んでくる使者なんだよ。

だから、赤ちゃんを毎日のように抱っこしていると、幸運を呼び込むことができるの。

いなばっちが幸せなのは、生まれてきた娘さんのおかげさまだから、大事に育ててね」


今年は我が家だけでなく、たくさんの仲間のところにお子さんが生まれました。

みんな幸せなのは、生まれてきた子供のおかげさまなんだねぇ。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

居酒屋で黒ウーロン茶はあるのに、白ウーロン茶はないの?」と真顔で聞いてきたり

子供たちと遠足に行く時に、自分で作ったお弁当を忘れてきたり


講演の時の凛々しい姿なのに、普段の先生は、かなりの天然ぶりをはっきする可愛い人です。

そんな先生だから、大人からも子供からも愛されているんだけどね。

来年こそは、先生を茨城に呼んで、元気と勇気と愛を分かち合ってもらう機会を作ります!!

今から20年前の夏、ソビエト連邦が事実上崩壊して、様々な国が独立していきました。

その中でも、最も早く独立した国家に、エストニア共和国という国があります。

フィンランドにほど近い、バルト三国の一つ。

首都タリンの旧市街地は、世界遺産に登録されるほどの美しい景観が残っています。

って、ボクも彼と出逢わなければ、一切知らなかった話なのですが・・・。


先生 その680


Heiki Sooneste くんは、エストニア生まれの若侍。

実は「エストニア人の着ぐるみ(笑)に入っている日本人」なんじゃないかと思うほどに、流暢な日本語で話をしてくれます。

初めて出会った時も


「初めまして、ヘイキと申します。こう見えても、『きっすい』のエストニア人です(笑)」


プレゼンに煮詰まった時も


「うーん、色々と『試行錯誤』しているうちに、頭の中が真っ白になってしまいました」


どんだけ、難しい日本語を駆使してるんじゃ!!


ちなみに本国でも、日本人相手のツアーガイドをしたり、日本語を学ぶ機会を作っていたようですが、来日してからまだ5年しか経っていません。

彼の日本語習得にかける情熱は、ただものではないことを感じます。


彼が日本という国に惹かれたきっかけは、一本の乾電池でした。

他の電池よりも寿命が長いその電池に書かれていた文字は「Made in Japan」

この言葉の響きに導かれて、日本に対する憧れの気持ちを持ち続けてくれているのです。


まったく異質の日本の文化に溶け込むまでは、様々な困難を体験してきたんだろうなぁ。

でも、ヘイキくんは、苦労や困難を微塵も感じさせず、いつも気の効いた冗談でみんなを笑わせてくれるムードメーカーのような存在です。


そんな日本人より日本人らしい彼の夢のテーマは、「ロード・オブ・ザ・ドリーム」

夢を実現した人の話を聴き、本にして出版して、人々に勇気を与えようとしています。

プレゼン作りで一生懸命な中で、彼はドリプラ出場直前に、このプロジェクトのウェブサイト まで立ちあげるほど本気の情熱を注いでいます。


本番が終わった直後、彼は爽やかな笑顔でボクにこう言ってくれました。


「一番、簡単な試練を乗り越えることができました。これからもっと大変な試練があると思いますが、ワクワクしながら乗り越えて行きます」


うーん、素晴らしい!!

ヘイキくんは、日本人以上にドリプラの真髄を理解している人かもしれません。

ボクもヘイキくんの本に載せてもらえるような、伝説を作っていきたいですね!!

東日本大震災への支援活動を通じて、様々な方との絆が深まり、新たなご縁をいただくことができました。

仙台とどけ隊のみなさん、格闘家の大山峻護さん、先日お話をした「がんばっぺ!茨城」、そして同じ志を持って行動してきた運輸維新会の仲間たち。

その運輸維新会の繋がりから、すごくパワフルな方とのご縁をいただけたのです。


先生 その679


6月にすぎたつ兄さんから応援依頼を受けて、飲料水と缶詰を運んだことがありました。

その際に受け入れでお世話になったのが、南三陸に近い、登米市にある柳瀬虚空蔵尊

副住職の杉田史 さんのお手配で、僕らの会社からも、カメちゃんとセンちゃんの二人が4t車で応援に行き、大変お世話になったのです。


あれから5カ月が経ちましたが、「一度お会いしなければ」と思っていたので、今回立ち寄らせてもらうことにしました。


もちろん初めて訪れたのですが、三方を山で囲まれた虚空蔵尊は、なかなか風情があるところです。

お堂では、何やら御祈祷中の様子だったので、しばらく待っていると・・・


「稲葉さんですか、まぁ、よ~こそ来てくれてありがとうございます」


袈裟を着たまま、元気な声で呼びとめてくれたのが、杉田さんでした。


この日はご主人が、他のお寺のお祝い事に行っているらしく、杉田さんは大忙し

その合間を縫って、お茶飲み話をさせていただきましたが、想像以上に気さくで懐の深い人です。


「こんだけ日本中からお金とモノを集めてんだもの、復興しなかったら申し訳ねぇって」


杉田さんのその一言だけで、東北の人たちの熱い魂を感じました。

自分自身でも相当大変な思いをされただろうに、様々なボランティア団体と連絡を取り合って、もっと困っている地域の人たちの為にと尽力される姿は、まさに「みちのくのマザーテレサ」ですね。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-
そういえば、帰り道に寄った安達太良PAの中に、こんな看板がかかっていました。



「がんばります 東北」


「がんばろう」でも「がんばっぺ」でもない

支援していただいていることへの、感謝の気持ちが込められた言葉に、ちょっと嬉しくなりました。

東北の人たちは、ただ支援を待つばかりでなく、我々よりはるかに強く自立しようとしています。

その自立のお手伝いを、これからもちょっとずつ続けて行きたいと思います!!

いばらきドリプラの準備が佳境に入ったころ、久々に仙台とどけ隊 の皆様から、応援要請をいただきました。

「南三陸まで、テーブルミシンを運んでほしい」

日本商店会 では、漁師さんのために漁船を運んできましたが、どうやら今は物資よりも仕事をするための設備が望まれてきているようです。


先生 その678


というわけで、ちょうど勤労感謝の日に絡めることが出来たため、半年ぶりにボクも被災地に行ってみることにしました。

今回のドライバーは福ちゃんとイソちゃん。

そしてボクは自分の車で彼らの跡を追って、独り旅・・・のつもりでしたが、前日が創立記念日で休んでいた長男に同行してもらうことにしました。

あとで知ったのですが、彼は24日から期末テストだったんですけどねあせる


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-
朝8:00に、会津通商さんの仙台営業所でみんなと合流し、南三陸の歌津へと向かいます。

この半年間で、周囲の風景は大分変わってきました。

バラバラに散らばっていた瓦礫やゴミ、流されてきた自動車や船が撤去され、基礎だけが残った街には、人々が住んでいた生活感がありません。


その代わり、空き地にはタイヤ、自動車、瓦礫が山積みにされ、大型ダンプの往来が増えました。

自衛隊や警察の基地の数は減って、増えたのはミドリ十字の旗、すなわち建設会社の事務所です。

何を作るための現場事務所かまでは調べませんでしたが、おそらくは道路や仮設住宅でしょう。

新しく建物を作る段階までは、まだ時間がかかりそうです。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

ミシンの納品をした後は、炊き出しボランティアから継承されている「あおぞら食堂」

被災者価格と、通常価格があるのですが、通常価格でも650円で提供してくれるラーメンは絶品です。

「昼飯は仙台に戻ってから、牛タン定食にしようかな?」なんて思っていましたが、ここで出会えたラーメンの味は、忘れられないですね。


作ってくれたのは、若干18歳の元ニートの青年。

半年前までは、ほとんど外に出なかった彼が、キャンピングカーに住み込みして、毎日被災地の方やここを訪れるボランティアの人たちに、ラーメンや餃子をふるまってくれているのです。


「人って環境で変わるんですよねぇ」

とどけ隊の藤岡さんは、嬉しそうに目を細めながら語ってくれました。


ラーメンを食べた後は、ドライバーたちやとどけ隊の人たちと分かれて、再び息子と二人旅。

どうしてもお会いしたかった人のところに向かいます。


つづく