プレガルディエン&ゲース 生と死のはざまで | 今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

🔳クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース リーダー・アーベント(5/24トッパンホール)

 

[テノール]クリストフ・プレガルディエン

[ピアノ]ミヒャエル・ゲース

 

J.S.バッハ/甘美な死よ、訪れてください

マーラー/「子供の不思議な角笛」より 原光

シューベルト/白鳥の歌 D744

シューマン/「12の詩」より 愛と歓びは捨て去るのです

シューベルト/消滅 D807

モーツァルト/ラウラに寄す夕べの想い K523

ブラームス/「6つのリート」より 野の寂しさ

ブラームス/「プラーテンとダウマーによるリートと歌」より わたしは夜中に不意に跳び起き

レーヴェ/「3つのバラード」より エトヴァルト

(休憩)

ヴォルフ/「メーリケ詩集」より 考えてもみよ、ああ心よ

シューベルト/若者と死 D545

シューベルト/死と乙女 D531

ヴォルフ/「ゲーテ歌曲集」より アナクレオンの墓

ヴォルフ/「アイヒェンドルフ歌曲集」より セレナーデ

メンデルスゾーン/「6つの歌」より 新しい愛

レーヴェ/「3つのバラード」より 魔王

ヴォルフ/「スペイン歌曲集」(世俗編)より いつの日か、ぼくの思いは

シューベルト/「白鳥の歌」より 戦士の予感

マーラー/「子供の不思議な角笛」より 死んだ鼓手

(以下アンコール)

マーラー/「リュッケルトの詩による5つの歌曲」より 私はこの世に捨てられて

ブラームス/「49のドイツ民謡集」より お姉さん、私たちはいつお家に帰るの

シューベルト/小人 D771

 

あらゆるコンサートのプログラムは、それだけで一編の「詩」だと思う。それが歌曲のリサイタルなら、なおさらのこと。しかしこれほど見事な一編には、これまで出会ったことが無い。バッハ「甘き死よ、来たれ」とマーラー「原光」に始まり、シューベルト「戦士の予感」とマーラー「死んだ鼓手」へと至る、「生と死のはざまで」と題された全19曲。そのラインナップと配列がすでにドラマだし、プログラミングの時点でリサイタルの成功はほぼ約束されたようなものだろう。

 

これ以上何を書いても野暮な気がするが、備忘録として気が付いたことをいくつか。前半で特に印象的だったのがブラームス「野の寂しさ」。「白い美しい雲が~」からの2行の精妙な和声の移ろいがマジカル。レーヴェ「3つのバラード」からの2曲は演劇的な効果が絶大で、母子の対話である「エトヴァルト」と、父子の対話を含む「魔王」(シューベルトの異曲)の対比も面白い。後半のヴォルフ作品では、ゲースの弾くピアノ・パートの多彩な表情が光る。アタッカで続けたシューベルト「若者と死」「死と乙女」の死との対話篇2題も鮮やか。

 

そして当夜の絶唱は、アンコール1曲目のマーラー「私はこの世に捨てられて」。それまでの19曲は全てこの1曲のためにあったのではないか…という選曲の妙に唸らされる。元々好きな曲だけど、この圧倒的な文脈で歌われると、どこまでも深いところまで連れていかれてしまう。プレガルディエンならではのこの凄み、若くて張りのあるテノールには決して出せないだろう。