ノット&東響 「大地の歌」が腑に落ちる | 今夜、ホールの片隅で

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東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

🔳東京交響楽団 第720回定期演奏会(5/12サントリーホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[ソプラノ]髙橋絵理*

[メゾ・ソプラノ]ドロティア・ラング

[テノール]ベンヤミン・ブルンス

 

武満 徹/鳥は星形の庭に降りる

ベルク/演奏会用アリア「ぶどう酒」*

マーラー/大地の歌

 

先月初め、東響音楽監督ジョナサン・ノットが2026年3月で任期を満了すると発表された。ノット監督の着任と同時に始めたこのブログも、そこが大きな節目となる。残り2シーズンとなった今季初登板は、9番、8番、3番、2番、10番、7番、4番、1番、5番、6番と聴いてきたこのコンビによるマーラーの交響曲シリーズを締めくくる「大地の歌」。果たしてラスト・シーズンとなる来季は、2巡目のマーラーを何かやるだろうか?

 

前半には、武満徹とベルク。マーラー1番、5番、7番の時も前プロはベルク作品だったし、9番の時は武満作品だったから、ノットはこの組み合わせにこだわりがあるのだろう。もっともこの日は、武満が見た夢から着想されたという1曲目は夢うつつになってしまったし、ソプラノの髙橋さんが歌う2曲目も、サクソフォンやピアノの響きが新鮮だなと思う間にウトウトしてしまったので、コメントは控えたい。

 

「大地の歌」を前回聴いたのは2012年5月のスダーン&東響だから、実に12年ぶりの実演。前回も前音楽監督スダーンによる屈指の名演だったと記憶するが、今回はまた違った意味で記憶に残る名演となった。この曲、音響的なバランスに難あり…と以前から思っていて、室内オケ用に編曲された版の方がむしろ本質を捉えているようにも感じていた(レインベルト・デ・レーウ編曲版を愛聴している話は以前書いた)。

 

しかしこの日の演奏を聴いて、「室内楽的な編成でやる」ことと、「大編成で室内楽的にやる」ことの違いがよく分かった。最上さんの骨っぽいオーボエ、相澤さんの鬼気迫るフルートを初めとして、各パートが攻めたアンサンブルで、「書」のように端的で切り詰められたマーラーの書法を浮き彫りにする。その筆跡が強かに濃い。独唱の2人も好演で、特にドロティア・ラングの柔らかく、優しさと愁いを併せ持った声が絶妙。

 

「大地の歌」には長らく苦手意識があった。同じマーラーの交響曲でも、番号付きの各曲のようなカタルシスは得られない。李白や猛浩然の漢詩の独訳にマーラーが曲を付けるって、そもそも無理があるんじゃ…とも。しかしようやく、洋の東西や時代を超越した人生の機微について、腑に落ちて聴けるようになった。同じ演奏を12年前に聴いたとしても、同じようには感じなかっただろう。老いて聞こえる音もあるのだ。