NOBODY IS HERE―ここに誰でもないものがいる | 今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

🔳Co. Ruri Mito 2024「NOBODY IS HERE」(1/27東京芸術劇場シアターイースト)

 

[演出・振付]笠井 叡

[出演]三東瑠璃、大植真太郎

[ピアノ]大瀧拓哉(演奏曲:J.S.バッハ/半音階的幻想曲とフーガ ニ短調、ベートーヴェン/「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調)

 

ダンサー2人とピアニスト1人による舞台。ピアノの生演奏を伴うダンス公演というと、2014年6月に新国で観た「春の祭典」(2台ピアノ)を、バッハ作品の生演奏付きでは、2019年5月のローザス&ケラス「無伴奏チェロ組曲」を思い出す。

 

ダンスの世界には疎いが、経歴を見ると、演出・振付の笠井叡は即興舞踏を大野一雄に師事したという御年80歳の大ベテラン。カンパニーを主宰する三東瑠璃は、昨年2月の芸劇オペラ「田舎騎士道」の聖子役で際立った動きを見せていた人。初めて聴くピアノの大瀧拓哉は、昨年暮れにトッパンホールでランチタイムコンサートにしては尖がったプログラムを組んでいた人だ。

 

下手にピアノがあるだけの、真っ白な床の裸の舞台。最初にバッハの幻想曲を三東さんがソロで踊り、入れ替われるようにフーガでは大植さんのソロになる。そして2人のデュオで幻想曲とフーガがくり返される。特徴的なのはその衣装だ。全身ピタリとした白っぽいボディスーツで、頭部まですっぽりと覆われている。第一印象は安部公房/勅使河原宏的のっぺらぼうの不気味さで、命を吹き込まれた木偶や土人形が踊り出したようにも見える。

 

バッハが終わると大瀧さんが一旦退場し、ダンサー2人が無音の中スローモーションで動き続ける。抱え上げ、縺れ合い、折り重なり…2つの人体が描くシルエットは、どの瞬間を切り取っても彫刻のように気高く美しい。最後に男が女のボディスーツを絡め取るように引っ張り、女がそれを脱ぎ捨てていく場面は、まさに脱皮=メタモルフォーゼだった。

 

そして素顔に生まれ変わった三東さんが、今度はベートーヴェンをソロで踊る。バッハとは曲調の違いもあり、快活でユーモラスで、ぐっと人間臭い動きだ。エロイカの主題で身体を動かしたい衝動が、各変奏ごとに見事に具現化されてゆく。途中からは大植さん(こちらはボディスーツのまま)も加わり、あたかもBODYとNOBODYによるデュオが展開する。曲が終わり、再びボディスーツを身に纏った女が、無音の中踊り続けるラストが意味深だ。

 

上演時間は約70分。終演後には三東・笠井・大瀧によるアフタートークがあった。「笠井さんにとって振付とは?」という質問に対する答えが印象的だった。例えば彫刻家は、頭の中のイメージを作品化して見ることができるけれど、ダンサーは踊っている自分自身を見ることができない。振付という行為は、自分の身体がどう動いているのかを(錯覚ではあるが)他人の身体を通して可視化することだ…と。なるほど。