GOTOトラベル宮古してきた | 『5時からアイドル』まきりん社長ブログ

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朝は「仕出し屋まきりん」からスタートし、昼は「株式会社のびあという企画とPR会社の社長」、夕方は「5時からアイドルまきりん」となる人のブログです。
もと金髪長女とW王子こと双子男子の母で岩手県滝沢市在住。
カラオケの十八番は「あゝ無情」

今日から連休明け。

世間の方々は4連休なんでしょうが

 

私の場合,5連休でしたの~!!

 

 

保育士やっている次男には

働き方改革で,毎月勝手に割り振られる有休消化の日というのがあるらしく

今月は連休前の7/22がその日。

 

当初は,

次男と私とKSBBAこと79才の実母と3人で

「沿岸へ行くか~」の予定に

今年から観光業に就職し,いまだ週3日勤務の長男も行くことになった。

 

長男は山梨,長野で学生してたため

長男も一緒の旅は4年ぶり?

 

 

思えば

私が会社員やめた翌年とその翌年に

阪急旅行社が企画するミステリーツアー(行先がわからないツアー旅行)で

この4人で旅しているのよね。

 

 

この2回のツアー代金,4人分とも私出してる。

ああ,この頃,私にはお金があったのね。。

 

 

▼これは10年前,「絶対に石垣島だ!」と思っていたら

宮古島だったミステリーツアー
ホテルのバイキングが美味しくてVサインする長男

 

 

この時は沖縄の宮古島,

そして10年たって,岩手県の宮古に1泊。マイカーの旅。

 

 

宮古についたら海鮮丼!!という夢は,早々に撃沈。

蛇の目寿司も魚菜市場もなんと水曜日お休み

 


高級店?のよし寿司にイン。

 

 

 

美味しかったけど出てくるのが遅くて
12:30の三鉄を変更し,14:20発の釜石~宮古に乗ることにした。


なのでランチ後は45号線を南下。

写真はないけども途中,山田駅,大槌駅周辺にも立ち寄る。

 

 

実は,山田,大槌,本当に久々なんです。

 

2012年に「5/3は盛岡大通へ行こう」の寄付金をもって大槌へ行って

以来,,,かもしれない。

 

いやはや,ほんとに街が変わっちゃいましたね。

 

 

 

震災からさらに記憶を遡って,32年前のこと

私,「45号線の女」で,このエリアの担当だったのよ。

 

8:00に盛岡発~10:00に遠野で4~5名の所長会という名の商品説明会
~昼に釜石着。そのまま数か所の代理店さん宅をまわり,夕方宮古着。

18:00~20:00まで夜の所長会。~22:00 盛岡着

なんて日程をこなしていたんだよね。

 

今このスケジュールこなす体力はないなあ。

 

 

あの頃の面影はなく,

整備された駅前と公営住宅が並ぶ街。

 

 

三鉄の線路越しに「長屋」と呼ぶにはキレイすぎる平屋の住宅が並び

ひとり暮らしかと思われるおばばたちが花壇に水やりしてる。

 


ところどころの空き地は,すでに内陸で新生活を始めた人たちの土地なのかな,,

などと思いながら街を見る。

 


震災時,沿岸へボランティアに来てくれた人はぜひ,再度,今の街を

見てほしいなと思います。
来年の3.11で10年ですから。

 

 

釜石のラグビー場も見学。
ここで昨年,ワールドカップ1試合が開催されたんだね。

 

 

 

 

三鉄には私と母が乗車。

この宮古~釜石間は震災後,長らく不通の路線だったので,乗ってみたかったのよね。
1両列車でのんびり。
観光客らしき男性のひとり旅が数名。

 

 

途中,吉里吉里駅で,あるお家を探してみる。

 

これまた新入社員時代のことだけど

吉里吉里で頑張っている代理店さんがいて,スタンドを経営していたご主人ともども

当時いろいろな話をした。

その方が,ある日,まったくやる気がなくて,訳を聞いたら

「真樹さん,私,もっていた株で1日で80万儲かっちゃったの,

化粧品は2時間,マッサージしてメイクして一種懸命説明してセットで売れても
1万ちょっとしか儲からない。なんだかやる気なくなって・・・」

 

 

1987年頃の話。

22才の私が「バブル」を実感した最初の瞬間だったと思い

忘れられないのだ。

 

 

その思い出深き代理店さんは
膠原病の持病が悪化し,亡くなられ,

ご主人が経営するスタンドは震災時,波にのまれた。

 

別の場所で再建したと聞いたけれど

果たして御存命なのか,,

それともあの頃,幼稚園児だったお子さんが継いだのか・・・

 

何度も通ったお宅は吉里吉里駅のすぐ隣と記憶しているのだが

立て替えたのか,たまたま列車からは見えないのか,わからなかった。

 

 

その夜は宮古の国民休暇村に宿泊。

脚に障害がある母は,痛み止めがきいているのかさほど痛いといわず

ビール飲んでご満悦。

 

 

 

翌日,これもまた数年ぶりの浄土ヶ浜観光。

ここは37年前の夏

高校の新聞部で2年生とたしか6人ぐらいで海水浴に来た地。

山田線に乗って,バスに乗って

当時は高校生だからそれなりに騒がしかったんだろうなあ。

 

 

 

昨日,リベンジを誓った海鮮丼は,ものすごい行列で
結局,ラーメン食べて帰ってきた。

 

 

 

もう1泊して,北リアス線で久慈まで行っても良かったなあ。

 

79才の母は最近,もの忘れが進んでおり

いつまでこうして旅ができるのか
こういう小旅行には,ちょこちょこ連れてこようと親孝行な娘。

 

 

で,GOTOの方は,対象になるのかどうか宿の人もわからないということで

「とりあえずこの宿泊証明書と領収書を保管してください」とのこと。

 


 

 

この時期のGOTOトラベルにはいろいろ意見があると思うけれども

東北+新潟県エリアなら行っても大丈夫だと思うけどね。

 

 

高齢者である母の感染リスクがないわけではないけども

コロナじゃなくとも人は死ぬときには死ぬし

来年,母が旅行できるぐらい元気かもわからないもんなあ,,,

と私はそういう主義。

 

 

 

<追伸>

宮古の駐車場でみたこれ

私的には珍百景です。

 

 

 

 

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