盛岡青年会議所でお世話になったSさんから話があったのは1月末でした。
Sさんの親友が福島のホープツーリズムの関係者だそうで、
「3月のモニターツアーにキャンセルがでたので
真樹さんとこでやらないか?」
当初はSさんにという話だったのですが
「福島のことなら真樹さんでしょ」
と私の顔がぱっとでてきたそう。(ありがたや)
福島第一原発の視察もできますか?と聞いたところ、日程があえば可能とのこと。
「やります!」と即決し、
過去2回開催した浜通りへのツアー参加者で
「3日以内にお返事くれる方、年度末のど平日に休みをとれる方」に
電話し、結果12名の方と3/17~18の一泊二日で行ってきました。
福島駅からバスに乗り、浪江インターでおります。

初めて浜通りへ来た時、ここは左折できませんでした。
すぐ近くに「帰還困難区域」の看板が立ち、警備の方がいました。
↓2017年2月の写真です

震災前、7671世帯、21434人が住んでいた浪江町は
今、1556世帯、2420人(令和8年1月現在)
昼食をいこいの村なみえで取った後、
(今回、食事はどれも美味でした)

最初に向かったのが、福島水素エネルギー研究フィールド。
ここは、震災がなければ
東北電力の原発施設ができていた土地です

原発から再生可能エネルギーへ。
大容量かつ高速で水素を充填し、水素社会を実現するための研究施設だそうです。
以前に読んだ書籍で、浪江町の職員さんが
「町が豊かになるためには原発誘致しないと。
双葉町、大熊町を指をくわえて見てた」と話していた予定地。
広大な水素研究施設と太陽光発電の地になり、、

今は国の研究機関であるけれど、これが民間へ、、となった時、
果たしてこの研究機関を維持できるのだろうか?と
思いながら見学しました。
その後、震災遺構になっている請戸小学校跡と
15年前、児童たちが避難したという大平山霊園を見学

浪江から双葉へ移動すると、双葉駅前、役所の隣にイオンが出来ていました。
コンビニより少し大きいぐらいの店舗で、イオンにとっては
今後、人口減少を見据えた実験的な店舗らしいです。

双葉駅から6号線へ向かう周辺には
オシャレな居酒屋とカフェも出来て
街の変化を感じつつ、
一方である違和感も。
それは6号線を南下し、宿泊地のある楢葉町へ向かったとき、
双葉から大熊の中間貯蔵施設がまる見えなことに気づいたのです。

翌日、福島第一原発へ向かうバスではっきりしましたが
理由は
バリケードで囲われていた
商店や会社、個人宅の解体が進んだからでした。
ちなみにこちらが2026年3/18の6号線
映画「すすめの戸締まり」に出てきたスタンドの周囲は何もありません

こちらが2019年12月です
周囲は民家だったのです

6号線を大熊、富岡、楢葉と南下し、
宿泊地は展望の宿天神
日帰りもできる温泉あり、スポーツ施設ありのよき施設です

翌朝、露天風呂につかりながら、太平洋からの日の出を見て、2日目です。
時間調整のために立ち寄ったのが富岡漁港
第二原発が見えます。
ここもまた2064年までに廃炉が完了する予定で、
建屋の解体準備などが今後、すすんでいきます。

ここから富岡へは新しくできた海岸線の道路を通りました。
なんでもその道自体が防潮堤の役目をなす道路だそうで
また自転車の国際大会もできるように想定された道だそうです。
時折、解体してない家を遠くに見ながら
待ち合わせ場所の東京電力廃炉資料館へ。
もうひとつのグループの方と合流し、
総勢20名でここからは東京電力のバスに乗り換え、福島第一原発へ向かいます。
2019年に私は原発内部を視察したことがあり、
その時に見たことをは電子書籍に出しています。
まだ元住民か何かの関係団体でないと視察できませんでした。
私はボランティア団体のひと枠にいれていただき、視察しました。

6号線を第一原発方向へ左折した時、
2019年には「原子力運送」という建物がまだあったことを思い出しました。
そこだけではなく、「原子力」とついた会社や建物がこの道中にはたくさん
あった気がします。
誇りの記しだった「原子力」という言葉と看板。
今は原発を取り囲むように、中間貯蔵施設となりました。
バスは第一原発の新事務本館前に到着。
こちらは廃炉作業の協力企業です。

入退域管理棟へ入ります。
2019年には、ここでの身分証明書との照合に時間がかった記憶ですが
今回は、あらかじめ、廃炉資料館でCHECK済。
そして、前回、とにかく物を置くようにいわれ、結局、この地図とペン1本だけ持参しましたが

今回は「メモ用紙とボールペンを持ち込みたい」というと
ポケットに入るサイズのガイドブックとペンが全員に配布されました。
(カメラはもちろんNG)

タンクエリアを抜け、免震重要棟を抜け建屋前へ。
前回、1日3,800人ぐらいの方が働いているという説明でしたが
今は5,000人近い方が日々、働いているそうです。
そして
今回は視察時間が午前中ということもあってか
たくさんの作業員の方の姿を見ました。
とくに建屋の周りでは
30~40人の方々が作業しています。
ぱっとそこだけを見れば、巨大な工事現場です。
違っているのは白い防御服を着ていること、
そして、線量の管理をしながら従事していることです。
ちなみに原発敷地内の96%は防御服なしでOKです。
建屋から100メートルほどの見晴台で見学ができるようになっていて
ここで10分間降車し、作業の様子を見学し、記念写真も撮影しました。

敷地内の写真は東京電力から送られてきた写真です。
各建屋の状況です。
1号機は現状これではなく、カバーで覆われており、
3号機に近い姿です。
しかし、カバーで覆うことによって周辺線量は劇的に下がったそうです。
中には392体の使用済核燃料があります

2号機
建屋のとなりに同じぐらいの巨大なコンクリートの建物が出来ています。
これは使用済核燃料615体を取り出すクレーン置き場だそうで、
その巨大なクレーンは海から運び設置したそうです。

3号機
すでに燃料の取り出しも終了。
試験的なデブリの取り出しは2号機でしたが、大規模な取り出しは
3号機からと言われています。

4号機
当時、点検中で稼働してませんでした。

写真はありませんが
この建屋のちょうど反対側に大きな倉庫があり、
もう使わなくなった送電線が多数、置かれていました。
2019年にはじめて視察したとき、
福島第一原発にあるのはほとんどが廃棄物だと
書いたのですが、
この送電線は、ここで発電した電気を首都圏に送るためのものです。
「いずれ廃棄しなくてはならないが、
優先順位が低いのでここに置いています」
いちばん使わないものなので、
これらがしかるべき場所に廃棄されるのは
もしかしたら建屋が解体された時か、
それとも作業に伴い、撤去が必要になった時なのでしょう。
2回目の視察もあってか、私がいちばん目に焼き付いたのが
この撤去された送電線でした。
この後、屋内で、処理水の説明を受け、
被ばくチェックをし、あっという間の1時間が終了。
私は前回、5号機6号機も見学したのですが、今回、コースには含まれていませんでした。
こうして一般人も視察できるようになっただけあり、
2019年よりもだいぶ「ツアー化」されている印象でした。
こうして廃炉に向けて現場は取り組んでいますというのを
たくさんの人に見ていただかなければならないのですよね。
その後、富岡町の夜ノ森駅近くにできたイタリアン兼花屋さんでランチをいただきました。
前菜からスイーツまでコース料理です。


夜ノ森地区にはじめて来た2017年には
放置された建物がたくさんあり、洗濯物が干してあるアパートからは
住民が出てきそうな人の気配すらありました。
↓2017年2月です

おそらくは当時と変わらないのは桜並木だけなのでしょう。
人の背丈よりも高い枯草に覆われた敷地と
整備はされているけど土台だけがある空き地と
その間にぽつんぽつんと新しい家が建っている風景です。
大熊町のある大野駅周辺は、駅の西側が驚くほど急ピッチで開発が進む一方、
かつての商店街のある東側には
解体もされずに、そのまま朽ちていく景色もありました。
この新旧が混在する景色こそ
福島浜通りの15年なんだと思います。
この後、開発の象徴的な建物、CREVAおおくまを見学。
隈研吾氏設計の巨大な建物には
中間貯蔵施設の情報センターが入っていますが、
見学時間が10分しかなく、残念。
ちなみに2022年に中間貯蔵施設視察するツアーを組んだ際は
情報センターは6号線沿いのもとはラーメン店の建物でした。
↓2022年

↓現在
こうして慌ただしくも充実した2日間のモニターツアーが終了しました。
このツアーから約20日後の4/6、7に
天皇陛下、皇后陛下、愛子さまが初めて福島浜通りを訪問されました。
それは特定復興再生拠点区域と呼ばれる優先的に除染やインフラ整備した地のおかげで
新しい浜通りへ進んでいる証なのだと思います。
一方で、立派な建物が出来ているのを見ると、喜ぶべきことではあるのだけれど
巨大な復興予算が投入されていることへの違和感は
この地を訪れるたびに感じることでもあります。
2017年から、個人できた数も含めたら
おそらく通算10回ぐらいは来ていると思われる福島県浜通り。
新しい街の変化を今後も見続けるつもりでいます。
そして
2017年、福島第一原発20キロ圏内視察ツアーという日帰りの弾丸ツアーを組んだときに
「真樹さん、次は福島第一原発に連れていってね」と言われてた約束を
一部の方にですが、ようやく果たすことができました。
お話くださったSさん、
ご案内くださったTさん、ありがとうございました。