不思議、大好き! -16ページ目

不思議、大好き!

文章はすべてフィクション。ほぼ1話完結。

2階の窓から差し込む日差しは強く、彼の瞬きの回数は自然と増えた。マクドナルドは4階建てのビルで、2階は喫煙ができたので彼らはその窓際のカウンターに座った。彼はタバコを吸わないが、連れである彼女が吸うのだ。

細長いタバコを片手で取り出すと、彼女は忙しげに口にくわえ、火を点けた。彼は彼女の顔を覗き込んだが、何を考えているか何も読み取れなかった。彼女は窓から見える大きな通りを見ていた。

通りにはたくさんの人が往来し、その誰もが勇ましく歩いているように見えた。ひとつの目的に邁進するように。迷う事なく、疑う事なく。

不意に彼女は彼に顔を向け、思い付いたように言った。

「私はね、3日同じことを悩み続けられない。解決しなくてもね。3日目には気持ちが晴れちゃう」

彼女はタバコを揉み消し、コーラを飲んだ。コーラの容器の周りにはたくさんの水滴が付いていた。彼は汗みたいだなと思った。

「僕は何日も悩み続けちゃうんだ。しっくりくる答えが見つからないと悩みは終わらない。困ったもんだよ」

彼は彼女にそう言うとアイスコーヒーを飲んだ。彼の手にもしっとりと水滴が付いた。彼女はポテトをモグモグと食べながら、適当な言葉を探しているようだった。

「でもさ、悩みなんてひとつじゃないでしょ。いくつもあるのにそんなに悩んでたら体が持たないよ。どうしてんの?」

「確かに体が持たないよ。でも離れられない。すべての悩みは解決できるまで答えを考えつづけるんだ」

「いやぁね、そんなの。私はそんな性格ごめんだわ」

彼女はポテトとコーラを交互に口にした。しばらくそうした後、またタバコを吸った。彼はアイスコーヒーを飲み続けた。

しばらく彼らは黙然と眼下に横たわる通りを見詰めていた。彼はたくさんの人が行き交っている中で、ひとり佇む女性を見つけた。黒いロングコートに白いバックを持った、髪が長くまだ若い女性だった。

その女性は時計を気にしながら、誰かを待っているようだった。往来の左右をみながら、誰かを探していた。もうずいぶん待っているようで、ときおり座ろうかどうか迷うような動きもしていた。

ポテトを食べ終わった彼女はまたタバコを手に取って、彼に言った。

「でも私は、すべての悩みは自分で解決できる訳じゃないと思う。おしまいにすることはできても、進展することは自分ひとりじゃできないこともあるよ。時間や人、偶然が解決してくれることもあると思うの」

「時間や人、偶然が解決してくれるまで僕はどうすればいい?」

「気にしないで待ってればいんじゃない」

彼は彼女に笑顔で頷いた。ふと気付くと通りの女性は佇んでいた場所にいなかった。背が高く、品の良いダッフルコートを羽織った男性と腕を組ながらスキップするように歩き始めていた。

彼の隣に座る彼女は再びテーブルに置いていたタバコに火を点けて、煙を大きく吸い込んで吐き出した。彼はその煙に目をすぼめた。そして、煙の中で消えて行くその女性の後ろ姿を彼は見詰め続けていた。

その夜は凍てつく寒さだった。部屋に着くと、室温は2度しかない。手や足はかじかみ、冷凍食品のように固まっていた。

時計の針は夜中の2時を指している。ストーブやこたつ、電気カーペットをつけて暖をとると、少し落ち着いた。彼はこたつの中でしきりに指を揉み、ほぐす。

少しの間、彼ら三人は黙ってそれぞれ物思いに耽っていた。いや、彼以外は単に体を温めていただけかもしれない。ひとりはおもむろに「もう寝る」と言って横になるとすぐに寝息を立てはじめた。

ひとり寝てしまったので部屋の明かりを暗くすると、彼女と二人きりになった。彼女は紅い縁の眼鏡を、右手の人差し指の背中で持ち上げると、控えめな笑顔を作りながら彼に話しかけた。「さっき車の中で話してたことだけど、きいてもいい?」。

「どうぞ」と彼は答える。しかし、しばらく彼女は何もきいては来なかった。彼女は慎重に何かを整理しているような顔で宙を見詰めている。

沈黙と静寂。似て非なるものが二人の間に緊張の糸を少しだけ張らせる。彼は黙って彼女の問いを待ち続けた。

「長く生きていると色々なことが起きる。楽しいことや辛いこと。間違ったことや正しいこと」

彼女は問いではなく、話を始めた。彼らはこの部屋に来る前の車の中で、互いの近況や夢について話をしていた。その中でも彼のものは絶望に満ちていて、聞き終えると皆閉口してしまったのだ。

「みんな普通は自分のすることを正しいと信じて行う。その行いは必ず正しい結果が訪れるはずだって。でも結果的に、結構違っちゃったりするよね」

彼の絶望の原因は現実的にはたくさんあった。財布を落としたとか、恋人にフラれたとか、会社を辞めたとか。些細なことから大きなことまで、彼の近況には起こっていた。

「でもやっぱり正しいと思うことをするのは正しいと私は思うよ。結果って、さいころの目みたいなもので当てにならない。大事なのは正しいことをその時にしたっていう事実なんだと思うの」

彼の近況を聞いて皆が閉口してしまったのは、彼の落ち込み様にあった。たしかに笑い話ではないのだが、もう長い付き合いなのだからそれくらいの余裕は欲しいところ。でも彼は一息に話し終えると俯いたまま黙ってしまったのだ。

「私ね、後先のことは考えないようにしてる。私もね、考えすぎて一時期は鬱になったことがあるの。同じことを原因から結果までを3回くらい考えちゃう方だから」

彼女は仕事中も笑顔を絶やさない。だから彼は意外に感じた。気がつくと、こたつの中の彼の指は温まり始めていた。

「診療内科に通って処方された薬を飲みながら、自分や自分の行いにこだわるのを辞めたの。きりがないし、結果が出る前に、または結果が出てから、あれこれ検証しても何も変わらないんだもの。先のことは予測出来ないし、前のことはどうにもならないでいいじゃないかって」

部屋は薄暗かった。車が近くを通る度に窓からヘッドライトの光が差し込んでくる。彼は黙って彼女の言葉を何度も頭の中で繰り返しながら咀嚼しようとしていた。

「こういう風に考えるようにしたの。自分も含めてたくさんの人が幸せになれるような正しいと思えることをしよう。その時にそう思える正しいことをし続けようって」

彼女はニコッと彼に笑顔を向けた。彼もつられて笑顔になる。でも彼の笑顔は不自然だった。

「間違っていたら反省するだけ。正しかったら喜ぶの。それと自分だけじゃなく、たくさんの人のことを考えるように変えたら、上手く生きられるようになった」

彼は感じた。彼女の話を敬意を持って聞くことができる。でも自分には真似できないと直感してしまう。

「ごめん。僕は結局エゴイストなんだよ、とても。君の話を聞いて気付いた。上手く行きそうにない」
「いいよ。私は私にできることを出来る限りしてるだけだから。元気出してね」
「ありがとう」

それきり話は途絶えた。彼女も横になり、彼だけが起きている。時間は午前4時半を過ぎていた。

彼はその後もずっと考えつづけた。彼女のようになりたいとも考えてみた。でも結局それは彼にとって偽善的な希望でしかなかった。

朝になり、皆それぞれに仕事の支度に取り掛かった。その間、彼女は昨夜のことを一言も口にしなかった。新しい一日が幕を開けようとしているのだ。


外に出ると、強烈な朝陽が降り注ぎ、彼は眩しそうに目を細めた。

家から出て、マンションのエントランスを抜けると、右手側に交差路がある。その左角には民家があり、それと背中合わせにして小さな祠があるのを、先日発見した。かなり古びている上に茂みで覆われているので、今までは見過ごしていたのだろう。

狐でも祭っているのかと覗いてみると、そうではなかった。なんだか毛むくじゃらな四つ足の彫り物が祭られているようだった。最初見た時、それがなんだかさっぱり分からなかったのだが、最近それを祭っている人と話す機会があった。

私の2歳になる娘と、誕生日に買い与えてやった三輪の自転車に乗って散歩しようと思った矢先、例の交差路にある祠に激突してしまったのだ。まだ幼少で上手く乗れずに蛇行してしまうので私の監督が悪い。祠が少し破損してしまったので、祠と背中合わせにしている民家へ謝りに伺った。

呼び鈴を鳴らして出てきたのは外人だった。口髭をたんまり蓄えた、人の良さそうな中年の男性。近所に住んでいながら私は知らなかったから、少し驚いた。

事情を話し、娘にも謝らせて謝罪すると笑顔で許してくれた。片言だったがジェスチャーが丁寧で、印象通り気持ちの良い人。私はついでに祠のことも尋ねてみた。

「アレネ。羊よ。ワタシがツクッタ羊のカミサマ。ワタシの国、イギリスの田舎ではそういう信仰がアリマス」

私は少し興味を引かれた。日本では聞いたことがなかったからだ。引き続き「羊は何をしてくれるんですか?」と尋ねてみた。

「恵をクレマス。アタタカイ毛皮だけではアリマセン。1番はネムリをクレマス」
「ネムリ?」
「ソウデス、眠りデス。信仰スルト良く眠れるようになるのデス。だからワタシ、トテモ良く眠れマス」

娘に落ち着きがなくなったので私はそれ以上聞けなかった。ときおり不眠症に悩まされる私としては彼の話をもっと聞きたかったが、仕方なくその場を辞した。世の中には色々なものを信仰する人がいて、色々な効果があるらしい。

そういえば私の娘もトトロ(ジブリ)を信仰している。一日に何度も繰り返し観ている。信仰というより、あの世界観を愛し、信じている。

「となりのトトロ」を観ている娘の眼は輝く。それを端から見ているとほほえましくもあり、羨ましくもある。現実にはない目に見えないものを、上手に信じることをたくさんの人から教えられた気がした。
過ぎたくり事、とり越し苦労、神の授けの身をやぶる

とり返しのつかぬ過去の事を、くり返して思いなやんだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩らうのは唯心をいため身を害なうだけで、何のやくにも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつゝ正しい心でやって行く。禍も転じて幸となる。


[埼玉県奥秩父 旧三田川村 八幡神社 御神籤(大吉)原文ママ]