不思議、大好き! -14ページ目

不思議、大好き!

文章はすべてフィクション。ほぼ1話完結。

僕はカフェでコーヒーを飲んでいた。あと1時間くらい、ここで時間を潰さなければならない。だから僕は順を追って出来事を整理してみた。

3つの印象的な出来事があった。

最初は小学校中学年くらいの男の子と女の子の会話。5メートルくらいの横断歩道を挟んで、「おにいちゃん、何してるの?」と女の子が男の子に聞いた。男の子はなぜかちょっとムッとして「人間生活!」と叫んだ。

次は空手母国日本の完全敗北。空手の最大会派である極真カラテ(松井派)の第42回オープントーナメント全日本空手道選手権大会で、まだ19歳のロシア人が初出場初優勝を遂げた。大山倍達(故人)が「日本人王座は俺の命を懸けて死守する」とした伝統は42年目にして崩壊し、極真の伝統は変わりつつある。

最後はこのカフェで見かけたカップル。パンクなファッションに身を包んだ若い女の子はトイレに立った男の子をパンキッシュな表情で独り待っていた。彼女はクールにタバコの煙をくゆらし、冷たい視線を周囲を配っていたが、彼氏の帰りを見るとサウンドオブミュージックの家庭教師みたいな優しい笑顔を表し、ニコッとした。

僕は彼女の素敵な笑顔に堪えられなくて、バッグから本を取りだして適当なページを開いた。別に彼女が悪いわけでもないし、奇妙な光景では全くないし、むしろ彼女の笑顔は微笑ましく幸福そのもの。おかしいのはそうした光景を受け取れない僕にある。

僕は自分の動揺を隠すために本を片手に読み始めた。でも胃の中に硬く冷たいシコリのようなものが存在していることに気づく。それが僕の体温をぐんぐん奪っていくように僕は調子を崩した。

「困ったな」と内心思った。こうなると次はどうなるか僕は知っている。いつ明けるか分からない暗闇が僕の心を覆う。

冷たくなった身体や頭は上手く機能しなくなるし、心は闇に巣くわれる。身体と頭と心は相互に影響しあい、相乗的に機能低下に陥ることを改めて思い知っていた。でもだからといって特効薬はない。

微かに残った思考機能を使って、自分の興味関心に従い、考えてみる。僕の興味関心は「彼女の幸福な笑顔の何が、僕に不協和を引き起こしたのか」に向いていた。結構な難題だが、回復の糸口はそこしか見当たらない。

僕は自分を不幸に思っているのだろうかと仮説を立てる。そして相反する彼女の笑顔に拒絶的反応を示したというプロセスを考えてみた。まずここで精査しなくてはならなのは「はたして本当に自分は不幸だと思っているのか」と「なぜ反抗的反応が引き起こるのか」の2つで、その妥当性をさぐらなくてはならない。

前者は意識的にはさほどそういう風には思っていないというのがすぐに出る感想。でも無意識にまで降りていくと、“個人的には絶望を抱いている”という本音の顔が見える。社会的背景や社会的杓子定規の中で自己を相対的に規定する意識とそういうものを取っ払った無意識の自我は正直に“絶望”を告げる。

では後者の拒絶的反応の根拠は何か。これもあらかた理由が見つかる。前段で“絶望”を無意識は僕に告げた。どう転んでも絶望が希望(幸福)に転化することがないと観念する僕は拒絶という反応しか取るべき手段がない。

一種の防衛機制。合理化できるほどのハリボテは持たないし、退行するには歳を取りすぎているし、攻撃は馬鹿げているし、昇華するには納得する手立てが容易に見つからない等々の理由で逃避しか残されていないのだ。ここで簡単な精査は終えた。

では先に進めて、「じゃあ回復するにはどうするか」という工程に進む。このまま逃避を続ければ、いずれ回復することは想像できる。でもこれでは一時回避的な手段でしかなく、こんなカップルは世の中に溢れているし、逃げきれるはずはない。

そこでやっぱり“絶望”を希望(幸福)に変える考察とアクションが必要になる。根っこを変えなければ何も解決はしない。でも…だめだ、僕は圧倒的に力が足りない。

…かんぜんにむりだよ…このぜつぼうにかんして、ぜったいてきにおまえはきぼうをもてない…

僕の運命はこう語りかける。変えようと、もう8年間も悪戦苦闘や試行錯誤した結果なのだ。だから僕は抱きしめながら生きるしかない。

共存。絶対的な絶望と共存するしかないのだ。それには時に逃避という緩衝材も必要なのだろう。

僕はここまで確認するとちょっと気持ちを持ち返した。気がつくと見かけたカップルの姿はなかった。ホッと一息ついてコーヒーを飲む。

ふと手元の本を読んでみた。しばらく読んでいると、こんな文章を目にした。

『「文化」や「伝統」は生きものである。生きものは変化し続けるところに意味がある。それを下手に「保存」しようとすると、命を絶つことにならないだろうか。』

「人間生活!」を宣言した少年は、もう自我の存在に気づき始めているのだろう。僕は自分には思いも着かないその発想から、少年は強大な自我やとてつもない大きな人生の足音を感じているのだろう。同時に「人間生活」という言葉は僕に大きな印象を残した。

アマチュア最強と言われる極真全日本を制した19歳の青年はこれからどんな人生を歩むのだろう。その類い稀なる努力で築いた鋼鉄の肉体とCorei7のCPUも追い付かない超高速で正しい戦術を割り出す頭脳、どんな相手にも敬意を示す紳士的な態度を見せる心。僕は今後も彼の健全な成長を願うと同時に、彼の生きる姿勢は少なくない影響を僕に与えた。

脈絡のない、日常生活の数々の出来事は自然と繋がり、広がりを見せることがある。僕のこれまでの僅かな人生に文化や伝統があるならば、それを発展させるも後退させるも、その時々に僕がどう捉え考えるかにある。少なくとも文化や伝統はそのままではありえず、常に変化の兆しがあることに気付く必要があるのだろう。

危機に陥った時こそ日常の些細な出来事に目を向けてみるのも悪くない。







※引用文献
河合隼雄著、ココロの止まり木、pp.34‐36「保存と破壊」、朝日文庫、2007年、ISBN978-4-02-264427-5
カフェで、僕のとなりに女の子が座った。バサッと身を投げ出すように座ったので、ベンチのように繋がっている僕のソファが揺れる。僕は居ずまいをただしながら、チラッと彼女を覗き見た。

彼女は猫が5匹は入りそうな、白く光沢がかった大きな紙袋をテーブルの下に置いた。そしてひと息吐いたように少し脱力した後、どうしてかしばらく茫然としている。黒髪は胸の先までまっすぐに伸びていて、化粧気のない顔にはどこか物憂げなものをたたえていた。

僕は彼女があまりに長く茫然としているので、気になった。何かの拍子に、彼女の中の実際的な機能を司る大事な歯車がポロッと落ちてしまったのかもしれない。でも、茫然とした彼女の姿は、何も考えていないのではなく、一心に何かを深く慮っているようにも見えた。

すると、彼女は紙袋の中に手を入れてあさり始めた。「ニャー」とまさか猫でも出てきはしまいかと、あらぬ期待を抱いて僕は少しドキドキする。でも、そんなわけはない。

彼女が取りだしたのは文庫本だった。ダークグレーの表紙に白抜きでタイトルと著者名が記されている。タイトル「サロマ湖のモーニング」、著者「イヴサン…」。

公園のベンチのように距離が近いから、僕はとなりを正視するわけにはいかない。表紙の色とタイトルまでは分かったが、著者名までは読み取れなかった。暗い感じのわりに、妙なタイトルの本だなと思った。

彼女はとてもゆっくりその文庫本を手に取った。長くまっすぐ伸びた綺麗な黒髪がわずかに揺れる。本を読む彼女のしぐさは、実は本を読んでいる姿は全くの偽装で、全然違うことを考えているようだった。

平然と心の裏側を省みているような印象を僕は持った。その難しい作業をとても簡単に、あたかも“いつもの事”とでも言うように彼女は行っている。でもそれが、どこかしら物憂げな雰囲気を彼女に作りだしていた。

不思議な感じがした。あるいは正面から彼女をもっとつぶさに観察したら、何を考えているのか、その不思議な感じは彼女のどこから来るのか分かったかもしれない。彼女の声や言葉以上に、彼女のたたずまいは雄弁に彼女自身を語っていた。

彼女は1、2ページ読むと、本をテーブルに置いて、タバコを手に取った。ジリジリっとタバコを焦がして、ぷうとゆっくり煙を吐きす。それはまるでサロマ湖を前にして物憂げにたたずんでいるように見えた。



朝のサロマ湖はもちろん気温がとても低い。夏でも薄着はできない。早朝、彼女はカーディガンを羽織ってサロマ湖の湖畔に出てきた。

もちろん、タバコを手に持っている。ホテルに着いて、彼女はまだ一言も声を発していない。独りだからその必要もないのだけれど。

昨日の夕方にチェックインを済まして、その晩はワインを飲んですぐにベッドに入った。疲れていたわけではない。ベッドの中で翌朝のサロマ湖を彼女は思い描いているのだ。

翌朝は思った通り、かなり早くに起きることができた。恋々しいとまではいかないが、朝のサロマ湖を彼女は望んでいたのだ。いつからか、どうしてサロマ湖を望むのかはよく分からないのだけれど。

彼女にとってサロマ湖はこれといって特に想い出があるわけではない。ただ、東京の大学を卒業してすぐに北海道の会社に就職したことと関係があるのかもしれない。とはいえ、北海道で働いたのはおよそ3年ほどだったが、その間にサロマ湖を訪れたことは一度もない。

北海道での記憶はとても良いものと言えるものではなかった。仕事は順調だったが、仕事以外では辛い想い出しかない。あんなに一人で涙を流すことはもうないだろうとも彼女は今思う。

でも、北海道での仕事を辞めて東京に戻ってからも、少なくとも北海道には一年に一度は訪れていた。北海道の名所をいくつか巡るうちに、サロマ湖に落ちついたのだ。もう30代も後半を過ぎた彼女には、“なぜサロマ湖か”なんてどうでもよかったし考えてもよく分からない、ただサロマ湖が良いのだ。

湖畔にたたずむ彼女は、手元のタバコにあまり口を付けない。口を付けるとタバコの煙は灰色がかった白い煙を出すからだ。口を付けないタバコの煙は紫色で、早朝の霧の中でたゆるのを彼女は時折見詰めた。

霧の中を紫色の煙は孤児のように右往左往して昇ってゆく。何かに迷っているようにも見えるし、周りを全く気にしていないようにも見える。長い間、彼女は自然と紫色のそれと自分を重ねた。

しばらくの間そうした後、今度はサロマ湖に目を移す。サロマ湖は日本で有数の大きな湖。湖の周囲は87キロメートルもあり、水深は最も深いところで20メートルにも及ぶ。

彼女は目を閉じて、湖の奥深くに想いを馳せた。何もまとわずに、底に身を沈めた自分の姿を想った。両膝を抱えて、いつまでもそうしている自分をまぶたの裏に描く。

幾すじかの涙が流れた。とても孤独だった。でも、孤独には慣れている。

湖の奥深く。透き通った冷たい湖水だけが彼女の涙を受け容れる。そしていつしか、静かに混じり合っていった。



持っていたタバコを吸い終えると、彼女はカフェを去っていった。僕の中に彼女の印象を残したまま。彼女は何かに苦しんでいるのだろうか、それがあまりに長い年月であったために苦しむことすら日常の中に溶け込んでしまっているような印象を彼女は残していった。

彼女の孤独を僕は少し分かる気がする。僕らは人の中で生きている。でも人の中だからこそ、孤独は感じる。

もし生まれた時から無人島にいて、独りで生きていけたとしたら、その人は孤独を感じないだろう。他人を知らず、両親をも知らない野生児には孤独は訪れない。そして偶然にも、あるいは不幸にも、人と出遇ってしまった時から、ゆっくりと孤独はこちらに足を向けて近づいてくる。

人と接し、自分と多くの人との違いを感じ、それが相容れないものであるからこそ、孤独は想起される。なかには致命的な孤独があることを僕は知っている。そして彼女のように、孤独と向き合わなければいけない時期が人間にはあるのだ。

そんな事を考えていると、僕は自分も文庫を持っていることを思い出した。リュックからそれを取りだして、読みかけたページを開く。すると、村上春樹がサロマ湖100キロウルトラマラソンを走っていた。

100キロという果てしない道のりを彼は寡黙に走りつづけた。11時間42分かけて彼は走り、最後にゴールテープを切った。この壮絶な体験の後、彼はこう安堵した。

『リスキーなものを進んで引き受け、それをなんとか乗り越えていくだけの力が、自分の中にもまだあったんだ』


彼女とサロマ湖と村上春樹。それが残したものは小さくはなかった。あくまで僕にとって。







参考文献
村上春樹、走ることについて語るときに僕の語ること、p.174、文春文庫、2010年、ISBN978‐4‐16‐750210‐2
夜が更けた。街の灯りのほとんどは消えている。青白い月明かりのしたで、薄闇が静かに流れていた。

そんな夜に僕は階段を上る。二階には寝室があり、そこで就寝するのだ。みし、みしと古い階段の軋みは暗闇に響いた。

二階に上がると窓から外を見たくなる。二階の部屋は下の部屋よりも遠くまで見渡せて、どことなく明るい。窓を覗くと、明るさを抑えてコントラストを強めたモノクロの世界が広がっていた。

窓から外を見ても、街の灯りはあらかた消えてしまっているから、ほとんど物は見えない。建物の陰影の強弱がところどころに敷かれているだけ。でもそれは、山の奥深くにあって、陽をさえぎる幾重もの大きな樹々が立つ森を連想させた。

しばらくそれを瞳に写して、僕はもう夜が深いことを思い出すとカーテンを閉めた。シャッという音と共に、外の世界とは違う種類の暗闇が僕を包む。でも、僕の頭にはさっき見た森が残っていた。

布団に入って仰向けになると、血液がタプンと静かに波打って頭の先から足先まで水平線を引いた。僕の背の方に血液が沈んで均等になる感じ。こういう感じがする時は悪い眠りがやってこない。

でも、僕はまだ目を閉じなかった。さっきの森がなんだか気がかりなのだ。暗い森の中で何かが動いていて、緩慢に動くそれを捕えるには少し意識を集中しなければならない。

目を開けていても閉じていても、暗がりには変わりない。だけれど、捕えるために、暗がりを少し調節する必要がある。だから僕は目を閉じた。

ジャングルの中で初遭遇する獲物を捕えるように僕は息を潜め、背を低く構えた。気取られてはいけない、恐怖を相手に与えてはいけないと自分に言い聞かせる。動物は総じて人間よりも遥かに敏感なのだ。

はやる気持ちを抑え、獲物との距離をできるだけ縮ませて、じっと目を凝らす。まだ見えない、どんな動物か分からない。草むらの中で僕とその動物の間に漂う空気をそっと探ってみる。

相手は僕の気配に気づいていないようだった。僕は草むらの中をもう少しだけ歩を進めてみる。みしゃ、みしゃと音もなく夜露に濡れた草を僕のスニーカーは踏んだ。

もう2メートルほどしか僕とその動物の距離はなかった。草むらはもうこれ以上はなく、その先の少しひらけたところで動物は僕に背を向けて座っていた。視界は笹のように伸びた草でよく見えない、けれど手で掻き分けようものならすぐに僕の存在は相手に気取られてしまうだろう。

僕は馴れない中腰の姿勢で息を殺していたから、油汗が額をにじませていた。ツゥと汗がこめかみを伝う。汗が目に入るといけないと思って、服の袖で拭った。

その時、伸ばした肘でカサカサッと草を押してしまった。(しまった!)と思った時にはもう遅い。視界が一瞬にして開けるのと同時に、目の前の相手はクルッと顔をこちらに向けて僕と目を合わせた。

パンダだった。でっぷりと太ったパンダが目の前に座っている。振り返りはしたが、口の中をモグモグさせて、動じた様子はてんで感じられない。

動揺していたのは僕の方だった。きれいに白と黒で色分けされた目もとの黒や背中の白い毛並みに見入る中、僕の心臓は外に向けてドキドキと鼓動を鳴らしている。そんな僕をよそに、その大きなパンダは鋭く伸びた手の爪で草を掴んだまま、でんと座って顔だけこちらに向けてモグモグしていた。

不思議と恐くはなかった。その鋭く大きい爪でひと振りされたら、僕は一溜りもないだろう。でも、相手に敵意がないせいか、はたまた無頓着であったからか(モグモグさせているくらいだから)、さほどの恐さは感じなかった。

そうしている内に、パンダは向き直って再び草を頬張りはじめた。お尻は完全に地面に載せていて、どこか億劫そうに口も大して開かずに草を食べている。僕は万一のことも考えて(だってパンダといえどもクマみたいなものだから)、静かに恐縮しながら近づいてみた。

隣まで来ると、パンダのその大きさは見事なものだった。座っていても立っている僕ほどの座高はあるし、胴は反対側が見えなくなるほど太くてガッシリしていた。僕の手を胴に回しても半分にも満たないだろう。

大きさの他にもう一つ気づいたことがある。首に蝶ネクタイをしているのだ。首もとが黒く縁取られていたから、最初は気づかなかったのだけれど、よく見るとやっぱり蝶ネクタイだった。

どこかのサーカスから抜け出してきたパンダなのかと思った。でも、だからといって僕はどうすることもできないし、どうしようもない。蝶ネクタイを付けた変なパンダということだけで十分だった。

垂れ下がった黒い斑点模様の目元、ベタンと尻餅をついた重くて鈍そうな体、そして蝶ネクタイ。結婚式の挨拶で、緊張して頭をマイクにぶつけてしますような滑稽さがあった。「え~…本日はおめでとうございます。(ここでひとお辞儀)ゴツン。ピー…(マイク故障)」。

僕はそれで少し妙な親しみが持てた。でも結婚式でパンダが挨拶するはずはない。変なことを考えるのは止めよう。

ときおり何かの加減で、鋭く伸びた爪がキラッと光る。その都度僕はひどくドキッとしたが、それはすぐに収まった。総じて丸く、手先だけ動かして、億劫そうに口すらちゃんと開けて食べないパンダからそんなに長く恐怖は感じない。

でも、さすがに食事の邪魔をするのは気が引けるから、僕は隣に座ることにした。両膝を抱えて隣に座ると、口を止めて、ちらっと黒く縁取られた中にある小さな眼が僕に向けられた。僕はパンダのその一瞥に笑顔を返したのだけれど反応はなく、再び口を動かし草を食べ始めた。

大きくて丸い、鈍感そうな、蝶ネクタイを付けた変なパンダ。僕はなんだか落ち着いた気持ちになった。そっと肩でパンダの体に触れてみると、とても温かかった。毛も柔らかくフサフサしている。

森の奥深く。暗がりの中で僕はパンダに寄りかかっている。折を見てそっと柔らかい毛を撫でたりしていると、いつのまにか眠ってしまった。



朝に目を開けると、そこはいつもの二階の寝室だった。ただ、いつもと違うのは幼い娘が私の枕元でいたずらしていることだった。息を潜めながら、僕の髪の毛にブラシをかけて、折り紙で作った蝶ネクタイのようなリボンをなんとかして付けようとしているのだった。
空に真っ白な雲がたなびきいていた。どこからともなく小鳥がさえずり、陽差しは真新しさを誇っている。朝に目覚めた僕が覗いた世界は新しいページへと進もうとしていた。

午前中、僕はちょっとした正装をして、車で病院に向かった。90歳になる母方の祖父を見舞うのだ。ハンドルを握る車のフロントガラスに、薄い黄色がかった光が指しこむ中、祖父を想った。



母方の祖父は穏やかな人だった。

怒ったり声を荒げたことはなく、仏様のように慈悲深い人だった。何事にも泰然と構え、陰で悪口を言う人にすら、そんなことは露にも恨まずに笑顔で人を迎えることのできる人だった。また、お金や物より、人情や努力を好んだ。

祖父の家を訪ねると、諸手を挙げて、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたものだった。

祖父は私が学生時代につくった拳の上の拳ダコも喜んでくれた。物騒にしか見えない周囲の人はイヤな顔をするか、内心では「馬鹿なことを」とあきれている中、祖父は拳の上のタコに僕の努力を見つけ、それを何度も何度も丁寧に労い、称えてくれた。僕も嬉しかったし、夜中に一人で杉板に拳立て(拳でする腕立て伏せ)する時、祖父に見守られているような気がしてより励むことができた。

普段はもの静かで、趣味の竹細工や切り絵、写経、彫刻、子どものおもちゃなどに黙々と打ち込んでいる。特に何かを作ったりするのが好きで、色々なものを拾ってきたり取っておいたりした。ある時には味噌汁に入っていたアサリの貝殻まで取っておいたこともある。

おもちゃや孫の手、靴べらなどのそうした物作りが高じて、デパートで展示会を開いたこともあった。そこで知り合った老人会の人全員に手作りの杖や孫の手をプレゼントしたり、請われて小学校に靴べらを贈ったりもしていた。そんな祖父だから周囲は「近さん、近さん」(祖父の愛称)と慕い、祖父もその交わりをとても大事にしていた。

ずっと昔のある時、祖父は母に教員養成所の入所案内を持ってきた。母が高校3年生の時だった。祖父は母に勧めるのだったが、当時の母の実家は経済的に困窮していて、長女である母は下の妹たちや両親を養うため、近くの工場に勤める気でいた。

養成所はお金が掛かるし、当時は教員になっても民間よりも給与はずっと安いし、まとまったお金を稼げるのは何年も先だったから、母は入所する気にはなれなかったのだ。しかし、祖父は何度も丁寧に母を諭し、根気よく勧めた。母は時に激して、現実を持ちだしたり、お金の工面の困難の話をしたり、祖父をなじった。話は平行線をたどったが、祖父はそれでも声を荒げることなく、困ったような顔をして母に勧め続けた。

そして母も祖父も続ける言葉が見当たらなくなった。つぎ足す言葉が見当たらなくなった時に、祖父が取った行動は絶食だった。祖父は朝昼晩無言で食卓につき、祖父なりに思いつめた表情でお茶を飲んだ。母の将来を按じ、チャンスがあるのに工場へ勤めると強情を張ってしまう娘の不幸を独り呑むように。

何日も続く祖父のその態度に母は驚いた。もともと頑強でない祖父の体を案じた。そして、仕方なく入所する決意を固め、祖父にそれを告げると、祖父はニコッと微笑んだ。

そんな祖父は10歳の時に父(私の曾祖父)を亡くしていた。兄弟はおらず、母(私の曾祖母)と二人で色々と骨を折ったらしいが、その苦労を語ったことはない。ただ祖父の言葉の端々に人の恩を大事にする姿勢が伺えることから、人々に支えられ、他人の大切さを切に感じてきたようである。

曾祖母は母の話によると厳しい人であったようだが人間味のある人だった。農地改革以前は広域地図で指し示せるほどの広大な土地を持っており、お金は腐るほどあったらしい。しかし、農地改革でそのほとんどを二つ返事で手放したような人で、やはりお金や物よりも人を大事にする人だったようである。

そんな曾祖母と祖父、祖母、まだ幼い母が暮らす家に、ある晩泥棒が入った。お金をしまってある蔵に泥棒が入ったのを曾祖母は知ると、そっと蔵の様子を見に行った。しかし、泥棒を追おうとはせず、曾祖母は泥棒が蔵に火を点けないのを確認すると「お金は命ではない。お金などくれてやれ」と呟き、お金や金目の物をタンマリ背負った泥棒を陰で見送った。



病院は白い。この種類の白さは、考える行為を拒むように無機質に人を迎える。僕は駐車場に車を止めて、休日だったので裏口から病院に入り、祖父の病室を探した。

祖父の病室を探すのにちょっと手間取った。苗字が僕と違うのだ。当たり前のことだけど、しばらく僕は母の旧性を思い出せなかった。

病室の入り口にそのネームプレートを見つけると、ちょっと気持ちが改まった。僕の家とは家系が違うのだ。もちろん、家の歴史や背景が異なることにまつわる両家のわだかまりに気負いしたのかもしれない。

祖父はベッドに力なく横たわっていた。白い病室の、やはりこれも白い天井を見詰めている。どことなく湿った空気が流れていた。

僕が隣に来ても気づかないので、軽く肩を叩いた。祖父は顔だけこちらに向けて、口元や目許を少し動かした。祖父の首から繋がれたチューブが痛々しかった。

声が出ないので、筆談で僕らは会話した。でも、かろうじて読み取れるそれに十分に応える言葉を僕はあまり持たなかった。僕はなんと言って良いのか適切な言葉が浮かばなくて、長く不沙汰であった自分を悔いた。

会話が止まってしまった時、僕は思い切って祖父を尊敬していることを告げて「今度はもっとおじいちゃんの話が聴きたい」と書いた。すると祖父は目を閉じた。小さく首を横に振ったような仕草をしたが、本当に首を横に振ったのかどうかは分からない。

しばらく目を閉じた後、ペンとノートを手で催促するので渡すと、次のような言葉を僕に伝えた。

「人間は一生正しく生きれば幸せになります。…」

僕はそれを目にした時、「うぅ…」と小さな鳴咽を漏らした。そして、こうした言葉を拒絶する気持ちと祖父の僕への気持ちが激しく拮抗した。その時の僕はとても複雑な表情をしていたと思う。

「人間は一生正しく生きれば幸せになります」の後にも2行ほどの言葉があった。でも、それを僕は読み取れなかった。字というにはあまりに曲線していて、一字も読み下せなかったが、そこにはとても大事な意味が込められているような気がした。

僕はその2行の言葉を祖父に聞いた。でも、祖父は「もう疲れた…」と書き、「もう少し生きたい。元気になったら書きます」と残してペンを置いた。実際に筆談した時間は10分に満たない時間だったが、薄く明けた祖父の眼は疲れたように充血していたので、僕はそれ以上聞くことは出来なかった。

「また来るね」と祖父の耳元で言うと祖父は小さく肯いた。そして僕に握手を求めた。その動作が余りにゆっくりだったので、最初は手を挙げようとしているのだと思ったが、祖父の指は上ではなく揃えて僕の方に向けられていた。

祖父は僕の手を握ると、「…ウッ」と声が洩れるほどの力を込めてくれた。眼は閉じられていた。痩せていて固く強張ってはいるけれど、爪が黒くなるまで使い込んだ祖父の掌からわずかな熱が伝わってきた。

僕は病室を後にしながら、自分が今まで祖父の話や人柄と正面から接しなかったことを猛省した。しかしそのかたわらで、祖父の掌から伝わった熱が僕の心を温めた。夕陽を背に広大な土地を眺めるように、祖父の生きてきた歴史と人柄が陽だまりのように、いつまでも余熱を放っていた。

数日後、幼い娘を連れて祖父を見舞った。娘とは数年前に会ったきりだったので、祖父に娘を見せたかったし、話をして欲しかった。前にあった時は、娘はまだ言葉を話せなかったが、始終顔をほころばせ、娘の言うことやいたずらは何でも聞き容れていた。娘のわがままでその時貰って帰った、レバーを押すと鉢巻きをした猿がそばを打つ祖父手製のおもちゃは娘のおもちゃ箱に片腕を無くして未だにしまわれている。

が、娘と見舞ったその時の祖父はもう僕と筆談した時とは違っていた。薄く開かれた眼は灰色の膜に覆われていて、意識は混濁していて、到底筆談ができる状態ではなかったのだ。僕はただただその場に立ち尽くしてしまった。

娘はひとりで祖父の手や足を触ったり、見詰めたりしていた。娘は爪まで真っ黒な祖父の痩せこわばった手が印象的だったようで、帰り際に呟いた。「大おじいちゃん、頑張りすぎちゃったんだね…」。

祖父はその後、幾日もしない内に、この世から隠れてしまった。

*********

今年は浄土真宗を開いた親鸞の750回忌らしい。親鸞は9歳で出家し、源平の戦いを傍らにみて、90年近くを生きた聖人。生きることへの正直から疑問をいくつも抱きながらも、心の平穏を求め諦めず、尋常でない情熱を持ちながら、それらを日々の苦悩にぶつけながら生きた人間である。

何度も辛い思いを抱き、その都度逃げずにそのまま苦しみ、そうした熱情を毎日の修行にぶつけ続けた人物。通常は5年掛かっても読み得ない大蔵経(釈迦の教えの全て)を、一歩も外へ出ずに寺に篭って僅か5ヶ月で読み終えた努力と忍耐の天才である。そして、20年の苦難の末に30歳を目前に妻をめとることにたどりつき、そこで自分個人の幸福を悟ると供に浄土真宗の一歩を見出す。

僕は偶然、親鸞と出会った時に祖父が亡くなった。二人とも90歳ごろ亡くなっている。平易な教理で広く人心を平和にさせ、中学の教科書にも登場する親鸞と祖父を全く同一視するつもりはないが、共通することは、上手に生きることが出来たという点だと感じる。

世渡り上手だとかを言うのではない。人を恨まず憎まず、最期まで心の平和を勝ち得たという意味で僕は憧れる。どちらも世間と自分の内なる“正しさ”と向き合い、心の大きさで様々な“正しさ”を丸く治めて、自分だけでなく周囲の人々にも心の平和にさせることができたという点で、あるいは祖父の死と親鸞との出会いという偶然のタイミングによって、強く感じるものがある。

とはいえ、もちろん僕の中で“正しさとは何か”が解決したわけではない。正しさとは、ひとつではないのを僕は知っている。たとえば、「自分の方が正しい」と思えば人を恨んだり、イライラしたり、さらには正しさを声高に主張すれば戦争すら興り得てしまう。物事や自分の振る舞い自体の正しさを考え言動するだけでは“正しい”とは言えないのだ。

僕は全くの無宗教で宗教に対しても大した知識を持ち得ないが、僕らは人の中に生きている。現実に生きている人だけではない、遺した言葉や想い出などを通じて祖父や親鸞もやはり生き続ける。

時にサジを投げ、時に安易に、そしていつも行き詰まる生きる上での“正しさとは”という問いに対し、祖父の言葉と人柄を合わせることでヒントを得たように僕は思う。同時に、偶然このタイミングで親鸞に出会った事で、そのヒントの信頼性が増したように思う。祖父や親鸞の心の平和とは程遠いが、一歩を踏み出す“何か”の感触は僅かながらに僕の中にあるのだ。

これを読んでくれたみんなに祖父のことをどこまで伝えられたか自信はない。親鸞のことも「だれ?」と思っている人もいると思う。ここでこうしたことを書くのは不適切で、引き出しにあるノートの切れ端にでも書き残しておけば良かったことなのかもしれない。

でも。

繰り返すけれど、僕らは人の中で生きている。明確ではないが、直截的なメッセージとしてやはり僕はここに書き留めて、みんなの眼に触れることを望む。これを考えると、僕はまだ人に何かしらの期待をしているのかもしれないし、やっぱり人を求めているだと思う。

やっぱり僕らは生きることに対してサジを投げるべきではないのだ。安易に考えるべきではないのだ。行き詰まりながらも一歩一歩確かめながら、たとえ選択を誤って苦しんだとしても、諦めずに“一生正しく生きる”ことを中心に毎日を送ることが幸せを呼ぶんじゃないかなと、今回僕は思った。







*参考文献
吉川英治、親鸞、講談社
ISBN4061965115、ISBN4061965123、ISBN40619655131
よく晴れた日。まばらなうろこ雲が空を這う昼下がりに、Fさんは僕に電話を掛けてきた。めずらしい。

「わるい、わるい。ちょっと急ぎの仕事があってさ」

Fさんは僕への無沙汰を詫びて、気さくに話しかけてくれた。

「ちょっとさ、これからどう?」

僕は驚いた。彼から誘うなんて、そういうことってあまりない。晴天のヘキレキ。

なので、今回はFさんとの再会のことを話そうと思う。

………………………
その日は朝から頭痛がしていた。僕らの身体は頚骨の末端に頭蓋骨が載せられている。そのつなぎ目の延髄辺りが鈍く痛んだ。

僕はふとニコチンが足りないせいかと思って、タバコを吸ってみた。でも、変わらない。頭痛が和らぐはずもなく、あきらめて服を着替えた。

電車に乗り、渋谷駅を降りて、宮下公園の方に向かって歩く。そして宮益坂を通りすぎて、宮下公園の向かいのカフェに入った。僕はFさんより30分も早く着いた。

待ち合わせのカフェに座り、腰を沈めると、落ち着いた気持ちになった。その時、いつのまにか僕は鈍痛のする頭で“正しく生きる”とはどんな風に生きることだろうと考えていた。唐突だけど、そういうことってよくある。

それは祖父の言葉だった。90歳を超えた祖父は会いに行くと、いつも僕に“正しく生きなさい”と教えた。口数の少ない祖父は、時に懸命にそう僕に言う。

どうしてそんなことを考えたのか分からなかったが、その言葉は僕の脳裏にいつもある。考え出すと“正しく生きる”とは人に対して“正しく振舞う”“正しく接する”ことだと僕は考え、そのためには誰に対しても“正しい”と思えるような判断基準があるべきだということに行きつく。でも、そこまで来ると煮詰まってしまう。

しかし、僕は今日Fさんと会うのだ。Fさんはいつもポップでカジュアルな人だ。気持ちを切り替えて、今日は何を話そうか考えた。

ダンスホールで華麗にステップを踏むように今までいくつもの難関をくぐり抜けて来たFさん。僕より年上で、僕より何倍も上手く生きている。私生活も仕事もあまり迷わない。他人によって迷わされるような状況に陥っても、彼は決して迷わない。

もちろん、FさんはFさんなりに、その時々で苦しんだり悩んだりしているのだと思う。でも僕にはそう見えない。眉間に皺を寄せて、眉に憂いを漂わせても、彼はどこまでもポップでカジュアルに見え、雑多なことを美しく処理していく。

そう。新進気鋭の若いミュージシャンがインタビューで自分の音楽性を語るように、真剣な苦悩すら時に美しい。あるいはポップでカジュアルに語るのだ。

僕には到底マネできない。僕はこめかみを指で揉んだ。でも鈍く痛む場所はそこじゃない。そんな間違いをいつも僕はしているような気がした。

「もちろん、オレらのライヴを見てくれて“良かったな”って思って欲しい。でも、それだけじゃなくて、いや…もちろんそれは最低限あっては貰いたいけど、オレらのライブを見てくれた人が、日常を少しでも“良いもの”に変える、そういうエレメントを持ちかえって欲しいと思うんだ…」

銀のネックレスが彼の開いた真っ白なシャツから輝く。彼の背景には夕日に染まる海が横たえている。彼はうつむき加減で、物憂げにゆっくり瞳を撮影カメラからそらし、遠くを眺める。

いや、こういうことを考えるのはやめよう。実際、Fさんはミュージシャンじゃない。デザイン出身のディレクターだ。クリエイティブを生業とはしているが、新進気鋭のミュージシャンじゃない。

「わるい。待った?」

Fさんはそう言うと、僕の向かいの席に腰をおろした。そして、スッと手を挙げてウェイトレスを呼ぶと僕と自分の飲み物を頼んだ。実に手際がよく、かつ華麗だった。

彼は僕と対面すると、ニコッと口角をあげて微笑んだ。陽だまりでピクニックするみたいに、これから僕と話をすることを楽しみにしているように見えた。でもそれは見えただけで、本当にそうなのか僕には分からない。

しばらく僕らは近況を話しあった。仕事のこと、私生活のこと。彼はちょうどひと仕事終えたようで、陽気に色々と話してくれた。

「ちょうど今、クソみたいなサイトを少しはご機嫌にしたとこなんだ」。「それでちょっと落ち着くから、今度北海道にでも行こうと思ってさ」。「こういう時はぴゅっと仕事を離れて、北海の潮の匂いでもさわりに行こうかなって」。

胸襟を開いた彼は秋空のようにさわやかな雰囲気を放った。彼の饒舌は家の窓を明けた時にひゅうっと入ってくる心地よい風のように僕の気持ちを和ませる。隣の席の20代後半位の女性がチラッと彼を見たりしていた。

飲み物をウェイトレスが運んで来た。その少しばかり背の低い色白の女の子にも彼は木洩れ日のような笑顔を送る。おこづかいを貰った少女のような笑顔がウェイトレスから洩れた。

彼はホットコーヒーを一口飲んで、来ていたシャツの襟を正すと、僕に言った。

「で、おまえの方はどうなんだ」

僕は一瞬うつむき、暗闇の中で部屋の明かりのスイッチをゆっくり押すように気持ちを切り替えた。彼は僕の話を聞いてくれようとしている。彼は完全に僕への好意から、彼も頭を切り替えたのだ。彼は僕をよく理解している。

僕は言葉を選びながらゆっくり自分の近況について話した。正しさの判断基準について悩んでいること、最近頭痛がすること、心のエネルギーが不足していることについて。しっかり伝えられたかどうか分からなかったけど、出来るだけ正確に伝えた。

彼は肩を預けたソファーを、片腕で後ろに抱えるような姿勢で僕から目を離し、外に目を向けながら思案していた。寸分の沈黙が流れる。でもそれは決して息の詰まるようなものではなく、絵になる彼の思案姿がシンプルな幾何学模様のように僕に示し飽きさせなかった。

ふと、思い立ったように彼は僕の顔をみて言った。

「たとえば、おまえは物事を考える時、根っこから絵を描き始めるだろ? でもそれってそうかなと思う。確かに根っこがしっかりしているから大きな樹が育つ。だから根っこから描き始めるっていうコンセプチュアルな考え方はオレも好きだし、そういうことをやってのける人も確かにいる」

彼はそこで一息つくと、続けた。

「でも、物事すべてが、世の中のすべてが、コンセプチュアルに出来ているとは限らない。コンセプテュアルなものがすべてを創るわけじゃない。葉っぱのたった一枚から始まる物語があり、枝葉から起る革命がある」

「そうだな。たとえばオレ。オレはデザインを起こす時、コンセプトに直結したものから描き始めない。そういうのは得意じゃない。それはこの業界に入って結構すぐに分かった。で、オレの場合。コンセプトはしっかり押さえた後、そこから離れて描きたいと思うものを探し、そこから描き始める。そんで、コンセプトに繋がるまで、ラフを描きつづける。たとえば葉っぱ。葉っぱから描き始めて、なんとか根っこまで描きあげる。そういうのを繰り返すんだ」

きれいに揃えてある口元のひげを撫でながら、彼は言う。口周りとあごに少しばかり蓄えられたひげは彼の叡智のように見えた。板垣退助のような仰々しさのない、ポップでカジュアルな叡智が、彼の言葉となって僕に注がれる。

「まあ、なんていったらいいか分かんないけど、正しさの判断ってどんなものにも付いてくるのかもしれないけど、普遍的な判断基準っていうコンセプチュアルな考え方をするよりも、まず目の前にあるなすべきこと、やるべきことを処理していく方がおまえの“正しさ”に一番合うものを形作るような気がするよ、オレは」

「人間ってさ。結局人と人の間にしかいられないし、人と人の間にあることしか考えられないと思うんだ。自分一個のことなんてホントはないんだと思う。頭の中のすべてのことは全部他人の影響なしには語れないように思うんだ」

「そんで、人と人のことなんて予測が着かん。こうだと思っても、オレの考えた“こう”が相手にちゃんと伝わってるかわかんないし、誠意には誠意で応えてくれるとは限らないし、そんなルールは実は在ってないようなもの。十人十色ってそういうことだとオレは思うし、それはそれでいいんじゃないかと思う」

そこで言葉を区切った彼は、自分の頭を撫でると、ちょっと面倒臭くなったように、こう締めくくった。

「つまりだな、人間にコンセプテュアルなものを求めることは結構間違ってるんじゃねえかって最近オレは思うんだ。確かに時には“打てば響く”なんて人もいるけど、それを常に求めるのは間違ってる。人間ってそういうもんだと思うよ。だから…なんつうか、おまえが他人にすることの正しさ、他人からされることの正しさって何だろうと求めること自体無理があると思うんだ。それよりか、今感じる“こうした方が良い”って思うことを続けて行くことが大事なんじゃないか。そんで、それを続けてあと20年くらいたったら少しは基準というか傾向みたいなものが出来てくるんじゃないかな。最初から根っこを求めるほど人間自体は“正しく”出来てないとオレは思うよ」

彼はふうっと息とついた。そして「でも、オレらは言った事ややった事の責任はちゃんと取らなきゃいけない」とニコっと笑って言った。僕も笑い、僕らはまだまだ迷いながら生きているのだけれど、それなりにタフでなければいけないことを互いにかみしめた。
………………………

こんな風にFさんとの再会を僕は終えた。彼は常に多忙であり、今度はいつ会えるか分からない。それにこんなに話してくれることなんてほとんどない。

インタビューアは今をときめくミュージシャンに最後にこう訊ねた。

「では、ファンに向けて一言お願いします」

「頑張ろう、お互い。僕らはそうやって生きていくことがベストだってオレはいつも思ってる。頑張ろう、とにかく前に進むんだ。ピース」
 ある男の子が母親にたずねた。
「あそこの大きな岩を持ち上げられると思う?」
 母親は言った。
「もちろんできるわよ、全力をつかえばね」
 すると少年は大きな岩に近づき、持ち上げようとした。何度も挑戦した。そして言った。
「やっぱりできない…」
 それを見ていた母親は少年のもとに歩み寄り、二人で力を合わせたら、大きな岩は持ち上がった。

 そして母親はこう言った。
「全力をつかってもできないときは、助けを求めなさい」




編集:nova
原典:ER14 緊急救命室、第10話「300人の患者」、NBC/米 NHK/日
天真爛漫な女性の笑顔のような日差しが僕らに注いでいた。その中をときおり柔らか風が通り過ぎ、僕は胸に抱えた茶色い紙袋を右手で軽く握りなおした。そして左手に繋いだウサギさんの小さな手も。

その日は珍しくウサギさんが買い物に付いて来た。1週間分の食材を買いに、近くのスーパー「オオゼキ」へ出掛けたのだ。その時、僕は「エコバッグ」ならぬエコ紙袋(表面に蝋が塗ってある丈夫で茶色い縦長の紙袋)を持参していた。

ウサギさんの好物であるふわふわの食パンも買って、会計を済まし、出口近くのテーブルに買い物カゴを置くと、僕は折りたたんでポケットにしまっておいた紙袋を取り出した。ウサギさんは尖った耳をピンと立たせて(たぶん驚いたんだと思う)、僕に聞いてきた。「え? 何それ?」。

「紙袋だよ」
「なんで? レジ袋もらってこようか?」
「いいんだよ。レジ袋を使うより、僕の持ってきた紙袋を使う方が地球にうんと優しいんだ」

僕は紙袋に買ったものを入れながら、ウサギさんにレジ袋とエコバッグ(僕の場合は丈夫な紙袋)の違いを環境負荷の観点から話した。その中でも温室効果ガスのくだりは割りと熱心だった。でも全体的にあまり聞いてない様子のウサギさんは、ふわふわの食パンは自分が持つと言って左手でそれをお腹の前に抱えた。

そうして僕らは「オオゼキ」を出て、歩いて自宅へと向かった。気持ちの良い天気で、気分も良かった。嫌なことは世の中にひとつもないと錯覚するくらい。

しばらく歩いているとウサギさんが急に立ち止まり、僕の左手を引っ張ってから何かを指差した。それは街の掲示板だった。その中でもウサギさんは一枚の絵を指差していた。

それはタイトルが「半馬カマ人間の怪物に注意してください!」となっており、その地区の自治体が発行しているものだった。絵はケンタウロスみたいなものが描かれている。でも一般的なそれではなく、人間部分はロックミュージシャンのように痩せていて長髪であった。

両肘の付け根あたりからはそれぞれに鋭そうな鎌が生えていた。だから彼には指や掌がない。そして幸薄そうな長髪の彼の顔には生気がなく、なんだか悲しんでいるようだった。

生態の特徴は普段は山に生息しており、肉食で、野ウサギを良く食べるらしく、彼に食されたとした無残な野うさぎの写真も小さく載っていた。そこまで読んで僕はハッとしてウサギさんを見ると、真っ青になってガタガタと慄いていた。「ボ、ボクは野うさぎじゃないから大丈夫だよね??」。

「誰かのイタズラだよ。こんな生き物が世の中にいるはずないじゃないか」。僕はそう言ってウサギさんをなだめた。そして恐怖のあまり落としてしまった食パンを拾ってあげると、再び自宅に向かって歩き始めた。

ウサギさんに強く手を握られながら、僕は今いる場所から見える山に目を遣った。あそこにケンタウロスが棲んでいるんだろうか。彼らのほとんどは酒好きの上に好色で、それがたたって結局ヘラクレスに散々痛めつけられたんだったなとギリシャ神話を思い出した。

でも僕がさっき見た彼は酒好きにも好色にも見えなかった。馬の下半身に痩せた上半身を乗せた彼のその両腕に生えた大きな鎌が印象に残っていた。そして彼はまるで鎌を持って生まれたことを慙愧するような表情だった。

しかし、彼は野ウサギを食べるのだろう。怪物と罵られても、人に会いたくて山を下りてみることもあるのだろう。そういった生活を続けることを、続けねば生きていけないことを悔いながらその業に苦しむ彼を僕はイメージした。

いや、もしかすると彼のそういった時代は過ぎ、彼の心はもっと荒んでいるのかもしれない。猟奇的な心理に駆られて僕たちのいる人里に下りてくるのかもしれない。そうでなかったらわざわざ無残な野うさぎをそのまま放っておくわけがない。

そう考えると彼の眼は悲しそうなものから冷たいものへと変わっていった。僕はゾッとした。これじゃウサギさんと一緒だなと思いながらも、寒気は容易に去らなかった。

自宅に着き、買ってきた食パンでウサギさんにチーズ入りのサンドイッチを作ってあげた。僕は昼間からビールを飲むことにした。少し眠りたかったのだ。

ベランダに出て、そこから外を眺めた。晴天で、明るくて、爽やかで、心地良い。その空間の向こうには新緑に彩られた山が見えた。

そのとき、僕は彼に会いたいと思った。彼は僕に話をしてくれるだろうか。いやいや、早々に殺されるのがオチかもしれない。

部屋の中ではウサギさんがサンドイッチをほお張りながら「いいとも!」を、なぜか正座して観ていた。ときどき、小さな体を揺らしながら笑っていた。彼に会おうと会うまいと、僕はウサギさんに怖い思いをさせたくないと思った。

部屋の中に戻り、僕はウサギさんの後ろで横になった。手枕で昼寝をしようと思ったのだ。ウサギさんの背中と僕の背中が触れて、たまにクスクスっと揺れる感覚の中で僕は眠りに就いた。

夢の中で彼は、声を掛けることもなく、物陰に隠れて僕らの背中をずっと眼で追っていた。




※この話のウサギさんは09年3月14日の「TSUTAYA」の話にも出てきます。
漆塗りの長机が置いてある和室には、光りが影のように忍ぶくらいにしか入らない。その陰影が映える上座には戦場刀である胴太貫の真剣が1口(ヒトフリ)祭るように置いてある。そこが「先生」の仕事場であった。

その仕事場で「先生」は医学部志望の子供達に数学を教えていた。なんでも『すべての学問は、言語を越えて、数学に通ずる』と「先生」は言っていた。確かに、数式はどこの国の小学生にとっても共通語であり、証明問題のような推理と方程式のような明晰な論理の組み方導き方なしにはどんな学問も成り立ちはしない。

また、「先生」は甲冑を纏った武者の骨をも両断する胴太貫のごとく筋の通った人だった。無礼や不当に触れると、その非礼と非道を瞬時に暴き、徹底的に糾弾する。とても頭のキレる人で、人に対して確固たる信念と不断の勇気を持つ人だった。

しかし、だからこそ道理や礼儀を弁えない浅慮甚だしい輩の多い現代では、「先生」にいつも揉め事が付き纏った。確か僕が19才の頃、一時期その「先生」の用心棒を勤めていたことがある。今思うと大変な自惚れだが、血気盛んだった僕は腕に賭けては相当の自信があったのだ。

とある場所で偶然「先生」と知り合い、大山倍達総裁のことで意気投合した。そして当時毎日数百拳分厚い杉板に拳を打ちつけて出来た盛り上がる拳ダコを見て「先生」は感心し、『(俺のとこに)来ないか?』と切り出した。かくして僕は「先生」と寝食を供にする用心棒となったのである。

それからの僕は影踏みするように先生の背後に座した。そして実際に拳を抜くことはなかったが、あらゆる場所で僕は効果的に働いた。ガソリンスタンドや家電量販店、飲み屋、時には学校の校長室。

揉め事が起きる度に、「先生」の喝破に相手は窮し、僕の拳に震えていた。血こそ流れなかったが、そうした中には泡を喰らう人もいるほど壮絶な修羅場と化す場面もあった。しかし、「先生」のそれらの目的のひとつは、そのすべてを自分の愛息に見せることにあった。

ある時の酔い潰れた先生の言葉から僕はそのことを知った。

『混迷極め、人道が二の次の昨今、資本主義の守銭奴たむろし、人徳は錆びれる一方。我こそはと思えど、我に人を糾す力はあれど人と和すること叶わず、揉め事多き徳質。以って我はそを宿命とし、冥ずべし。刀は濫りに抜きてそれを誇示すること本懐にあらず。腰にて常に孜々と研く姿勢にこそ刀の意義あり。その意義、人倫に通ずべし。我宿命を背負い冥すとも、子にはその希有な刀を以ってあまねく人倫を徳育させたらん・・・。この悲願、胴太貫のごとく…』

確かこんな言葉を酔吟しつつ眠った夜があった。

愛息であるその子も非常に利発な子供だった。10才に満たないその子供は、就寝前に父にかしづき九々と対数の暗唱(対数は忘れたが、九々は九々にあらず、確か30の位まで諳じていた)をし、宿題は学校のそれは数秒で終わらせて、父から与えられたどこぞの大学入試の微積分問題を解いていた。父に似て聡明ではあったが、父とは違い争いを嫌う澄んだ眼をしていた。

「先生」は強烈な父性を持った人だった。僕にとっても、その子にとっても、他にはない体験として目に焼き付かれている。最も印象に残るのは、深夜だろうと朝方だろうと家に帰るとすぐに冷水で身を清め、黙然と仕事場に独座すると、胴太貫と対峙して、挑戦的な鋭い視線を注ぐ「先生」の後ろ姿だった。
真っ白のテーブルクロスに、よく磨かれたフォークとナイフが置いてあった。銀色のそれらは純白を背景によく輝いている。ナイフを手に取ると柄の部分が重く、しかし全体のバランスは良く取れていて、濡れた和紙を力を入れずに切れそうなほど精巧につくられていた。

新婦は出産を控え、丸々とした顔を覗かせ、健康そうだった。新郎はしっかりとした左右に長い眉毛が印象的だった。二人は並んで座り、ときおり共に微笑んだりしていた。

その披露宴では、ある著名な現代宗教家が祝辞を述べた。しかし、実際に出席した訳ではない。彼は世界中を飛び回っていて、なんだか忙しいらしく、代わりに司会者が手紙を厳かに読み上げた。

「・・・(前略)・・・最初の10年は良き友人のような関係が続くだろう。次の10年では、お互いに我が出てきて、互いに忍耐の時代に入るだろう。それを越えた次の10年では諦めの時代に入り、諦めの時代を終えると感謝しあう時代が訪れ、素晴らしい人生であることを思うだろう」

司会者はそこまで一気に言うと、突然「ゴホン!」と咳払いをした。そして自分の咳払いが著名な宗教家が書いた文面の威厳を損ないはしなかったかという風に、心配顔で周囲を見回した。しかし周りのほとんどは彼の咳払いなど聞こえなかったかのように聞き惚れていたので、彼は安心して続きを読んだ。

「私たちは素晴らしい人生を送るべきだ。しかし、素晴らしい人生には耐え難い困難が付き物である。どんな困難も二人で、お互いに助け合って乗り越えて欲しい。人生の幕が下りようとする頃、ひとりではなく、二人がその素晴らしき人生を共有し、堪能することを私は願い、信じている。今日は、本当におめでとう!」

そこで著名な宗教家の祝辞は終わった。司会者は手紙をたたみ、それを頭の上にあげて慇懃に一礼した後、大事そうに漆塗りの箱に入れていた。新郎は頬を紅潮させて感動していたが、新婦は特に感動した様子もなく、隣でローストビーフを頬張っていた。

僕はその宗教を信仰していないので、新郎のように大きな感動は抱かなかった。むしろ宗教家の手紙の扱いに少し違和感を覚え、文面に独自の専門用語がなかったのを意外に思った。でもそれとは関係なく、10年という時間(時代)はとても長いなと思った。

僕は10年前を思い出してみて、今の自分とはまるで違うことを思った。僕の核となる部分は変わっていないように感じたが、それ以外はまるで違っている。大小やその種類にかかわらず、あらゆる変化に対応しなければ上手く生きてはいけないのだ。

その後、披露宴は緩急をつけながらそつなく進行していった。僕はその間、黙々とテーブルの食事を食べていた。食べ終わり、タバコを取り出した時、披露宴会場が禁煙であることに気づいて、仕方なく席を外した。

外に出ると日はもう暗くなっていた。タバコに火を点け、煙をゆっくりと肺に入れた。すると喉と肺の入り口辺りに不自然を感じ、ひどく咳き込んだ。

そんな咳はもう数ヶ月止んでいない。かといってタバコは止められなかった。ふと、あと10年、僕は生きられるのだろうかと思った。

その思いに不安や怖れはなかった。タバコごときで早死にするわけはないと僕は考えない。しかしいずれにしても、10年生きられようが明日死のうが僕はどちらでもよかった。

宗教家は言った。「素晴らしい人生を送るべきだ」。これまでの人生が素晴らしかったかどうか、またはこれからの人生が素晴らしいかどうか判らないけど、素晴らしくても素晴らしくなくても僕には大差なかった。

またこうも言った。「素晴らしい人生には耐え難い困難が付き物だ。乗り越えて欲しい」。僕は自分の最も耐え難い困難を、どうしたら「乗り越え」たことになるのか見当も着かない。

さらに言った。「二人がその素晴らしき人生を共有してほしい」。互いがひとつの人生を共有することは、とても素敵なことだと思った。

お互いの志向や、心のあり方が同時代的に共有され、それらが互いの人生に影響し合い、二人で認識・判断していき、そうした共に歩む毎日、二人でひとつの人生はきっと素敵に違いない。そこまで思うと、僕はタバコをもみ消した。そして、華やぐ会場に戻った。

披露宴は無事に終わり、招かれた人々は新郎新婦にお祝いの言葉をそれぞれ伝えて帰って行った。僕も「おめでとう」と言い、新婦から一輪のピンクの造花を受け取った。それは初々しい鮮やかなピンク色の中に凛とした深い陰影が映えていて、彼女のドレスにとても良く似合っていた。

会場を後にして、大通りまで出ると、僕は帰りのタクシーをつかまえた。都内を走る帰りのタクシーの中で、僕は貰った造花を見詰めていた。ネオンに彩られた街並みの中に、造花の色はひとつもなかった。

家についたのは深夜だった。僕は静まり返るキッチンでミネラルウォーターを飲んだ。そして過去、現在、未来の10年単位のそれぞれの時代の中を、僕は貰った造花の色を探し続けたが、どこにも見当たらなかった。

その後、会場で隠し入れた精巧なナイフを上着のポケットから取り出し、何度も握り、その感触を刻みつづけた。
明度の高い陽の光が、世の中を満遍なく照らしているように思えた。物の影はクッキリと、ハッキリとさせられている。その陰影すらも、辺りの色彩を余計に際立たせているように感じた。

僕は山奥にある「やまゆり」というカフェでエスプレッソを啜りながら友人を待っていた。彼女はいつも遅れてやってくる。ヒロイン気取りなのだろうか。

彼女がやって来たらそれを聞いてみようと思いながら、僕は静かに時間を過ごした。「やまゆり」には僕しかいなくて、閑散としている。店員は品の良いおばさんだけだが、テーブルにあるハンドベルのような鈴を鳴らすまでは店の奥にいるのが常だった。

「やまゆり」はログハウスのような造りで、外の森林とよく調和していた。自然の造形物のような錯覚さえ抱く。囲むような澄んだ空気と新緑は、自ずと僕を癒してくれた。

日が中天に差し掛かると気温が徐々に上がって行き、自然と眠くなってきた。瑞々しい樹木の葉が僕の瞼を閉じようとしている。たぶん眠っても品の良いおばさんは放っておいてくれるだろうけど、そんな無作法なことはしていけない。

その時、僕は眠らないために、好きな哲学者の名前を唱えようと思った。少し朦朧としはじめた頭にはちょうどいい刺激になるだろうと思ったのだ。そしてスペルまでしっかり言わなくてはいけないと構えて、ちょっとうつむいて集中した。

「プラトン、P-l-a-t-o-n。デカルト、R-e-n-e D-e-s-c-a-r-t-e-s。カント、I-m-m-a-n-u-e-l K-a-n-t。ヴント、W-i-l-h-e-l-m W-u-n-d-t。ハイデガー、M-a-r-t-i-n H-e-i-d-e-g-g-e-r。鶴見俊介、T-s-u-r-u-m-i S-h-u-n-s-…」

「ねえ、最後のは日本人でしょ。いちいちスペルにする必要ないんじゃない!?」

顔を上げると正面に彼女が座っていた。彼女に驚くと同時に、僕はハイデガーの次にどうして急に鶴見の名前が現れたのだろうと思った。まあ、いずれにしても遅れてきた彼女の言うとおりだ。

「また哲学のことなんて考えて、バカじゃない。哲学なんて結局何の役にも立たないのよ」

僕の眠気は彼女の過激な発言を聞き流す。でも、もう少し彼女の言葉を聞けば、目が覚めるかもしれない。そう思って反論してみた。

「そんなことない。色んな物事に注意深くなることは中身の濃い人生、延いては良い人生を送るには必要なことだよ」

「へえ、それで? あんたはその注意深くなることで、現実的に何か役に立ったことってある?」

「僕は哲学を学んで、人や物事、事象に関して少しは理解できるようになった。それが現実的に役に立ったと言えるほどのことか分らないけど…」

「ほら! 一文にもならないわ。いい、私たちはもっと単純なの。素直で単純な感情を受け入れる事と固い意志だけが必要なの。理論武装することは生きる為の武器にはならないわ。すべての精密さは全部作り物よ!」

僕は過熱する彼女の主張を聞きながら、なんだか哲学的になってきたなと思った。このとき、僕の眠気は意識から少し後退していた。いささか興奮してきた彼女をこれ以上は逆なでしないほうがいいと思い、僕は折れることにした。

話題を変えて、そのあと彼女とは世間話をした。犬とか猫とか、クリノッペ(デジタルペットの事)とかの話。でも内心は、哲科出身で、複数の大学が協賛する論文コンテストで最優秀賞を取るほどの彼女の哲学をもっと聞いてみたくもあった。

その時ふと、それまでは気づかなかったが、カウンター席に飾ってある一輪の花が目に止まった。純白の花びらが綺麗だった。そして雄しべは鮮やかな黄色で、中央で伸びる白い雌しべはとても凛々しかった。

残念ながら僕はその花の名前を知らない。でも僕がそれの花の名前を知らなくても(あるいは仮になくても)、それはそこにあり、生き生きと呼吸していた。きっと雄しべと雌しべが紡ぐ新たな生命も凛然と美しいのだろう。

気づくと彼女も無言のうちに僕と同じ花を見詰めていた。彼女の横顔を見ながら、彼女の言う通りかもしれないと思った。そうして周りを見渡すと、若葉が彩る山々が微笑むのを背景に、どれもが美しかった。