天真爛漫な女性の笑顔のような日差しが僕らに注いでいた。その中をときおり柔らか風が通り過ぎ、僕は胸に抱えた茶色い紙袋を右手で軽く握りなおした。そして左手に繋いだウサギさんの小さな手も。
その日は珍しくウサギさんが買い物に付いて来た。1週間分の食材を買いに、近くのスーパー「オオゼキ」へ出掛けたのだ。その時、僕は「エコバッグ」ならぬエコ紙袋(表面に蝋が塗ってある丈夫で茶色い縦長の紙袋)を持参していた。
ウサギさんの好物であるふわふわの食パンも買って、会計を済まし、出口近くのテーブルに買い物カゴを置くと、僕は折りたたんでポケットにしまっておいた紙袋を取り出した。ウサギさんは尖った耳をピンと立たせて(たぶん驚いたんだと思う)、僕に聞いてきた。「え? 何それ?」。
「紙袋だよ」
「なんで? レジ袋もらってこようか?」
「いいんだよ。レジ袋を使うより、僕の持ってきた紙袋を使う方が地球にうんと優しいんだ」
僕は紙袋に買ったものを入れながら、ウサギさんにレジ袋とエコバッグ(僕の場合は丈夫な紙袋)の違いを環境負荷の観点から話した。その中でも温室効果ガスのくだりは割りと熱心だった。でも全体的にあまり聞いてない様子のウサギさんは、ふわふわの食パンは自分が持つと言って左手でそれをお腹の前に抱えた。
そうして僕らは「オオゼキ」を出て、歩いて自宅へと向かった。気持ちの良い天気で、気分も良かった。嫌なことは世の中にひとつもないと錯覚するくらい。
しばらく歩いているとウサギさんが急に立ち止まり、僕の左手を引っ張ってから何かを指差した。それは街の掲示板だった。その中でもウサギさんは一枚の絵を指差していた。
それはタイトルが「半馬カマ人間の怪物に注意してください!」となっており、その地区の自治体が発行しているものだった。絵はケンタウロスみたいなものが描かれている。でも一般的なそれではなく、人間部分はロックミュージシャンのように痩せていて長髪であった。
両肘の付け根あたりからはそれぞれに鋭そうな鎌が生えていた。だから彼には指や掌がない。そして幸薄そうな長髪の彼の顔には生気がなく、なんだか悲しんでいるようだった。
生態の特徴は普段は山に生息しており、肉食で、野ウサギを良く食べるらしく、彼に食されたとした無残な野うさぎの写真も小さく載っていた。そこまで読んで僕はハッとしてウサギさんを見ると、真っ青になってガタガタと慄いていた。「ボ、ボクは野うさぎじゃないから大丈夫だよね??」。
「誰かのイタズラだよ。こんな生き物が世の中にいるはずないじゃないか」。僕はそう言ってウサギさんをなだめた。そして恐怖のあまり落としてしまった食パンを拾ってあげると、再び自宅に向かって歩き始めた。
ウサギさんに強く手を握られながら、僕は今いる場所から見える山に目を遣った。あそこにケンタウロスが棲んでいるんだろうか。彼らのほとんどは酒好きの上に好色で、それがたたって結局ヘラクレスに散々痛めつけられたんだったなとギリシャ神話を思い出した。
でも僕がさっき見た彼は酒好きにも好色にも見えなかった。馬の下半身に痩せた上半身を乗せた彼のその両腕に生えた大きな鎌が印象に残っていた。そして彼はまるで鎌を持って生まれたことを慙愧するような表情だった。
しかし、彼は野ウサギを食べるのだろう。怪物と罵られても、人に会いたくて山を下りてみることもあるのだろう。そういった生活を続けることを、続けねば生きていけないことを悔いながらその業に苦しむ彼を僕はイメージした。
いや、もしかすると彼のそういった時代は過ぎ、彼の心はもっと荒んでいるのかもしれない。猟奇的な心理に駆られて僕たちのいる人里に下りてくるのかもしれない。そうでなかったらわざわざ無残な野うさぎをそのまま放っておくわけがない。
そう考えると彼の眼は悲しそうなものから冷たいものへと変わっていった。僕はゾッとした。これじゃウサギさんと一緒だなと思いながらも、寒気は容易に去らなかった。
自宅に着き、買ってきた食パンでウサギさんにチーズ入りのサンドイッチを作ってあげた。僕は昼間からビールを飲むことにした。少し眠りたかったのだ。
ベランダに出て、そこから外を眺めた。晴天で、明るくて、爽やかで、心地良い。その空間の向こうには新緑に彩られた山が見えた。
そのとき、僕は彼に会いたいと思った。彼は僕に話をしてくれるだろうか。いやいや、早々に殺されるのがオチかもしれない。
部屋の中ではウサギさんがサンドイッチをほお張りながら「いいとも!」を、なぜか正座して観ていた。ときどき、小さな体を揺らしながら笑っていた。彼に会おうと会うまいと、僕はウサギさんに怖い思いをさせたくないと思った。
部屋の中に戻り、僕はウサギさんの後ろで横になった。手枕で昼寝をしようと思ったのだ。ウサギさんの背中と僕の背中が触れて、たまにクスクスっと揺れる感覚の中で僕は眠りに就いた。
夢の中で彼は、声を掛けることもなく、物陰に隠れて僕らの背中をずっと眼で追っていた。
※この話のウサギさんは09年3月14日の「TSUTAYA」の話にも出てきます。