映画鬼太郎
約3年ぶりに映画館に行った。「ゲゲゲの鬼太郎」である。
映画があまり好きではない自分が買い物中にいきなり「観にいこう」と言ったので奥さんは驚いていたが、実はワタクシ、結構な鬼太郎ファンである。これは早く観たかった。折りしも今日は1日ということで割引になるしー。
さて、内容であるが、予想通りである。
おもいっきりキャラを見せる映画である。ストーリーは二の次。
ウエンツ鬼太郎は試写会の時に絶賛されていたが・・・まあ想像通りだった。テンション低い感じはまあまあ○。細かいこと言うと、もっと女の子に弱い感じを強調してくれた方が原作に近くなったかも。
ねずみ男は大泉洋そのままである。これは完全に好みで分かれるだろう。
猫娘ははまり役。あの赤いワンピがまったく違和感なかった。
砂かけはもうちょっと素な感じでもよかったかも。でもまあまあかな。しかし砂が指先から出るのはどうかと。
子泣きはもったいない。おとなしすぎる。
一反木綿の声はアニメと同じ方がよかった。
ろくろ首と輪入道はねらいすぎ。
戦闘シーンは竜頭蛇尾である。前半は毛ばり・ちゃんちゃんこ・下駄といったお馴染みの攻撃を紹介する感じでじっくりみせてくれたし、敵の兵隊が身軽な動きで結構うならされたのだが、後半がショボすぎ。鬼太郎が弱い。敵ボスも弱い。小雪1人が全てを台無しにするくらい強すぎ。
まあ原作の鬼太郎の強さを見せるは実際難しいとは思う。何が強いかって、鬼太郎の場合、攻撃力よりも再生力なのだ。プレスされ、ナイフで切られ、もぐもぐと食べられても、・・・ミンチにされ、ソーセージにされても、それでも甦る不死っぷりである。放射能だって小便と一緒に排出してしまうし・・・。逆に単純な物理攻撃は最強技でも「指鉄砲」である。地味だ。・・・実写でミンチにするわけにはいかんしなあ。
キャラを一通り出したいがためにストーリーを捨てるというのは、こういう映画ではありがちなので、そこは想定内であった。しかし、戦闘シーンのお粗末さにはがっかりである。妖怪と妖怪の超常的な戦いをちゃんと見せてほしかった。
・・・とまあ不満はいくらでも出る。原作をよく知っている分。アニメのイメージが強い奥さんの方はもっと厳しくて、「30点」とか言っていた。ワタクシ的には50点を期待して45点くらいだったかな。(ただ、髪の毛針を撃ちまくった後ハゲになってる描写に限っては90点である。残り10点は何かと言うと、回復が・・・つまりまた生えてくるのが早すぎる点である)
でもでも、なんだかんだ言って楽しかった。やはり鬼太郎のキャラの個性はすばらしい。水木しげるの他に誰が、髪の毛を飛ばすヒーローなぞ思いつくだろう。主人公の父親を目玉だけ人間にするだろう? ねずみ男も、バイキンマンと並んで、日本漫画史上最も愛すべき悪党であろう。いずれも出てくるだけでうれしいキャラクターである。
結論。水木しげる万歳。以上である。今回の映画化も要はそういうことであろう。
テレビの報道
今朝方ニュースを見ていたら隣町で火事。兄弟3人が犠牲になったと。
出勤すれば施設長からお話が。どうやらうちの法人の施設に通っていた方の家らしい。
午後になるとマスコミがうちの施設にやってきた。電話もひっきりなしに鳴った。
「長男が火をつけた」
これがマスコミの興味をひいたらしい。
(長男が通っていたデイケアセンターは今日は休みで誰もいないということで、本部であるうちの施設にマスコミが流れてきたわけだ)
ある新聞社からこんな質問があったらしい。
「悪意を持って火をつけたということはありえますか?」
本人が亡くなっているにも関わらずである。
悪意を持っているのはそっちではないか。・・・いや、悪意など無いか。無いから厄介なのか。
マスコミとしては事故よりも事件であった方がネタとして美味しいのだろう。ただそれだけのことなのだろう。
報道ステーションでは「昭和天皇の侍従の日記」のニュースの次に取り上げられた。
近所の人がインタビューに泣きながら、しかし上手に詳しく答えてくれていたおかげで、「障害者」の部分が変に切り取られて報道されることはなかった。むしろ一生懸命助け合って生きていた母子家庭の悲劇という「泣ける話」としてまとめられていた。うちの事務局長のコメントや、会見の様子などは一切なかった。「泣ける話」には無用だったようだ。
今回は偏見を助長するような報道をされなかったのでそれはよかった。だが、やはりマスコミはキライだ。ことにテレビは。
テレビでは事実などは一切報道されない。すべてはドラマにされる。わかりやすく面白いものに加工される。ただでさえ「伝言ゲーム」であるのに、そこに他人の意図が含まれるのだ。こんなものは事実ではない。
メディアリテラシーについては今までも何度か書いてきた。どうしたってテレビの性質は変わりようがないのだから、見る側が変わらねばならないのである。「どういうものなのか」を知る必要がある。
「泣ける話」に泣くのは勝手だが、それが作り物であるということは、常に忘れてはならないのである。
不器用型だそうです
いわゆる「浮いている」度合がわかるテスト・・・・・・を私がやった結果。
↓
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/discomm.cgi
33点。不器用型・・・。
まあ合ってる。
いつだって一歩引いてないと落ち着かないもんなあ。
特に10代の頃はひどかったなあ。
クラスの中で楽しむなんて絶対無理だったもんなあ。
集団の怖さを学ぶ場だったもんなあ、学校は。
むしろ浮かずにいられるかって。
馴染んでるヤツがおかしいって。
修学旅行楽しかったとか言うヤツは皆無神経だって。
2人1組作れと言われて急いで友達捕まえに行くようなヤツにはなりたくないって。
仲間はずれを作るくらいなら俺が1人になるって。
なんで笑えるんだ。
なんで笑えるんだ。
それはお前が加害者だからだ。
見て見ぬふりして切り捨ててきたからだ。
休み時間寝たふりして過ごしているヤツだとか昼メシを1人で食ってるヤツだとか女子を「さん」付けでしか呼べないヤツだとかサッカーの授業で一度もボールに触れないヤツだとかわざわざ2つあるうちの遠い方のトイレを使うヤツだとかそういうヤツを切り捨ててきたからだ。
本人の問題だ?
そりゃそうだ。
手を差し伸べてあげなきゃならない理由はない。
だがしかし、なんで、お前は笑えるんだ。
なんで、「この場には何も問題が無い」というような顔をして笑えるんだ。
クラスなんて大嫌いだ。
集団に飲み込まれるのは御免だ。
自分を見失うのは御免だ。
俺は独りでいい。
・・・てな感じで一歩引いていた。浮いていた。不器用だった。傷つくのが怖かった。
今ではだいぶ周りに馴染めるようになった。世間話もできるようになってきた。
でも
だけれど
それでもなんだかみんなが、ボクを笑ってる気がする。
大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫だよねえ?
おとななこどもとこどもなおとな
子どもの頃はちっとも子どもらしくなかったのに、逆に大人になってから、自分の子どもっぽさに辟易している。(こないだ「もう思春期ではない」みたいなこと書いたばかりだけど・・・)
私はとてもとても子ども。
よく、「落ち着いている」とか言われるが、実は子ども。
大人の理屈を、それこそ重装備するが如きに身に纏ってはいるが、子ども。
内面子ども。
それは電王にはまっていたり甘いものが好きだったりオタクな人とばかりつるんでいたりおもちゃのヌンチャクを買ったりしているからってことではない。そういうことではない。
一つ、褒められたがりである。(そのくせ褒められると上手に謙遜出来ない)
一つ、周りの人を思い通りに動かそうとする。(思い通りにならないとイライラする)
一つ、自分は「やればできる子」だと思っている。(いちいち言い訳する)
以上のような「お子様的傲慢さ」が常に自分の中心に居座っている。
自覚は以前よりあった。しかし結婚してからより自覚が強くなった。・・・原因はうちの奥様である。
うちの奥様は人の感情を見抜く能力に恐ろしく長けている。人や物事を見るときは常に「本質」を見ている(だから逆に建前だとか常識だとかいうものをよく理解できないんだな)。私がどんなにインテリ面して理屈で武装しても、うちの奥様の目には、お子様の私が映っているのである。それが彼女と向き合っていると、こちらにもよく伝わってくるのである。
この自覚はとてもいいことだ。しかし、「思ったよりも成長していない自分」にがっかりもしている。
ここ数年で自分はだいぶ成長した。と、思っていた。
実際、数年前には考えられないくらいオープンになったし、「憂鬱」との付き合い方も上手になった。笑うのもだいぶ慣れたし、何より他人を素直に尊敬できるようになった。
・・・でもまだまだ根っこは自意識過剰。超傲慢。カッコつけてばかりいる。カッコ「つけかた」が昔と比べて微妙に変わっただけ。いつも後で気付いてうんざりする。
心を軽くしたい。もっと自分を解放したい。もともとは母親から受け継いだ呪縛であるが、いまや自分自身の呪縛である。原因は関係ない。自分の人生は自分で背負う。その地点には立てた。楽になろう。楽に生きよう。人の評価は気にせずに・・・。
・・・っていうこういうのもまた、カッコつけ。
言葉にしているうちは、まだまだ。まだまだお子ちゃま。
タロスの型
夜勤中。ということは当然明日は夜勤明け。仕事が終わるのは9:15・・・電王、見れない。せっかくリュウタロちゃん登場なのに。
リュウタロちゃん、細かい情報がギリギリまで明らかにされなかった。今週になってからやっと、「デンライナーの車掌さんになるために良太郎に(ウラと同時期に)取り付き、殺そうとしたけど、お姉さんにメロメロになっちゃってそのまま仲間入り」・・・という設定だということがわかり、あー、奇人キャラというより子ども(無邪気ゆえ残酷)なキャラなのねって、まあそんな、なんつーか、納得。
タロス4人を見ていると、これやっぱり4人ものの王道パターンね。「H×H」の単行本で富樫氏も書いていたけど、つまるところ、血液型占い。
桃→B→自己中
裏→A→クール
金→O→マイペース
竜→AB→つかみどころがない
そういやオマツリマンも4人。同じように分けるとしたら・・・
炎→B
狩→A
福→O
面→AB
みたいなイメージかな?・・・・・・って、え?・・・3人? どういうこと? あれれ?
・・・さてあと一ヶ月切りました! がんばるぞお。
SUDOKU
世界で流行しているSUDOKU(数独)。今更ながらはまっている。
現在DSの数独2 を買ってプレイしているのだが、なかなか上達しない。難しい。
・・・こういうゲームをしていると、自分の頭の悪さがよく解る。ほんとたいしたことねえ俺。はあ。
群馬のヒーロー
NHKの首都圏ニュースで出ていた。
http://homepage3.nifty.com/SP/
地元では商品が出ていたり、商店街の名前にまでなっている。テレビドラマにもなっているようだ。シンジガタイ。
ブツの出来に対して立ち回りや演技のレベルは低かったが、”あのチーム”ほどサムい感じはしなかった。むしろさわやかだった。
「撃つ、殺す描写・武器は出ない」というのもローカルヒーローとしてはいいと思う。(「力」をもって「戦う」のを主として見せている時点で欺瞞であり偽善あるが、こういうタテマエはローカルでは大切だとも思う)
いやしかしこういうのが大々的にテレビで紹介されていると、
「ふっ・・・うちの方がずーっとすごいぜ!」
と勝手に張り合ってしまう自分が情けない。・・・別に「自分もテレビに映りたい」とか、そういうふうには思わないんけどねえ。


