女ヂカラ
TDLの行き帰りの電車の中で目に止まった広告。
「anan」監修のゲームです。3ヶ月で理想の女になるソフトだそうです。
なんでこんなものに我々が興味を持ったか・・・。
広告には、女の子が4人、描かれていて、それぞれに、「恋愛引力のある女」「結婚したい女」「セレブな女」「魔性の女」と書かれてあったんです。
いわゆる「目指すタイプ」らしいんですが、そのタイプが、実は54タイプもある(!)というんですね、これを見て、「残りの50タイプはなんだろう」と、まあ、予想合戦が始まったわけです。遊びつかれてぐだぐだな車中で。
私「『クールな女』とか、『ミステリアスな女』とか?」
奥さん「『妹的な女』とか・・・あ、『魔女っ娘』とかは?」
私「・・・いや、ちょっと待て。そしたら『萌えな女』とかもいるのか? なんでオタク路線?」
奥さん「わかった! 『スチュワーデスな女』!」
私「職業訓練ソフトかよ! 3ヶ月じゃなれないって!」
奥さん「じゃあ『ナースな女』」
私「ちょっと、そのコスプレ路線やめなさい!」
奥さん「『上司受けする女』」
私「あー、それはあるかも。『仕事が出来る女』とかね」
奥さん「でしょ?・・・じゃあその路線で・・・『お酒が強い女』」
私「体質まで変えられないから!・・・言いたいことはわかるけどね。接待とかを想定してでしょ?・・・でも無いから」
奥さん「えー、じゃあ・・・『わかりやすい女』!」
私「何それ?」
奥さん「え、だってわかりやすい人の方が好かれるでしょ?」
私「あー・・・でもその言い方だとなんか『馬鹿な女』みたいだよ・・・」
奥さん「そうかなあ。あ、そうだ! 『地図の読める女』!」
私「ああー、『地図の読めない女』って言葉あるからねえ」
奥さん「でしょ? だからね、地図を読めるってことは・・・」
私「でも無いから」
奥さん「えー」
私「無い無い」
奥さん「えー、じゃあね・・・『危険な女』」
私「それはー・・・ありそうで、無いな。危険になってどうする」
奥さん「じゃあ『安全な女』」
私「反対を言えばいいってもんじゃないよ! それじゃ女は基本的に危ないみたいじゃん!」
奥さん「そうかあ。・・・『刺激的な女』ならいいかな?」
私「あ、それはあるかもね」
奥さん「じゃあ『危ない女』もあるね!」
私「だから無いって! 『危険な女』と一緒だって! あなたがある意味危ないよ!」
奥さん「『天然な女』」
私「それもあなたでしょ! ていうか『anan』でそんな女目指すかって!・・・ていうか、なろうとしてなれるものじゃないって」
奥さん「天然じゃないもん!」
私「いや、今はあなた自身に関する議論はいいから!」
奥さん「う~~・・・あ、『ナチュラルな女』なら?」
私「あー、それはいいかも」
奥さん「じゃあ『わかりやすい女』もいいね!」
私「それもさっき言ったってば!」
奥さん「そうだっけ?」
私「そうです」
奥さん「・・・・・・じゃあ、『笑う女』!」
私「なんのホラー小説?!」
略(こんな感じで数十分。途中居眠りもあり・・・そして、地元駅に付く頃・・・)
奥さん「んー、・・・・・・じゃあ、『和服の似合う女』」
私「ちょっとそれは、具体的すぎるかなあ」
奥さん「んー、・・・『古風な女』?・・・あ! 『メトロな女』は?!」
私「は? メトロ?」
奥さん「あ、違うか、・・・えーと・・・」
私「『レトロ』?」
奥さん「あ、そうか『レトロ』っていうんだっけ?」
私「・・・そう、ああ、『レトロな女』ね。・・・うん、それちょっと面白いね。大正チックで袴とかはいてたりして?」
奥さん「化粧も一昔前な感じで・・・」
私「・・・いや、大正は一昔どころじゃないから・・・」
奥さん「そうかー」
私「・・・・・・」
奥さん「他にはないかなー」
私「『セクシーな女』とか『オーラのある女』とか・・・」
奥さん「あー、ありそうありそう。・・・あ、それじゃ、『いい女』!」
私「広過ぎます! 要はみんないい女だから! その中でタイプ分けしてるの! 元も子も無い言い方して・・・」
奥さん「そっか、そうだよね」
私「そうです」
奥さん「じゃあやっぱり『魔女っ娘』とかだよ」
私「ありません!」
奥さん「『眼鏡っ娘』!」
私「眼鏡かけりゃいいじゃん!!・・・・・・だからー、そういうんじゃなくて、イメージだから。男から見て○○な感じの女ってことだから・・・もっとこう形容詞的な・・・」
奥さん「『やるせない女』」
私「今思いついた形容詞くっつけただけじゃん! 意味不明だって!」
奥さん「『疲れた女』」
私「今のあなたの状態言っただけじゃん!」
奥さん「わははははは」
私「わははじゃないよ、まったく。・・・あー、そろそろネタ切れなんでしょ」
奥さん「あ! 『わかりやすい女』!」
私「言った! 三回目!! しかもよくわからないのを繰り返すなって!」
奥さん「『メルヘンな女』!」
私「それこそあんただ!!・・・・・・・・・・・・って、ほんとまとめっぽいよこれ!」
出た順番は適当ですが、実話です。本当にこういう夫婦です。
お弁当に入っている醤油入れの名前
夜勤中。運動会終わって仕事が無いのだ。まあ一時的なことではあるが。
で、ヒマなのでブログ更新である。
・・・私の職場の私が担当している班では「もぎり作業」なる作業がある。
「もぎり」である。
何を「もぎる」のかと言えば、それがタイトルにある「お弁当に入っている醤油入れ」なのである。
要は型に塩ビを流し込んで固めたやつを工場からもらってきて、まだプラモデルのように「バリ」がついているそれをもぎ取るのである。
超単純作業なので、最重度の知的障害者が多いうちの施設(その中でもうちの班は特に知的に重い)の利用者さん達でも出来るのである。むろん儲けはスズメの涙ではあるが。
今まで、その「もの」を、我々は「もぎり」と呼んでいた。もちろんそれにはちゃんと名前があって、それをもぎとる作業だから「もぎり」と呼んでいるだけなのだということは誰しもわかったいた。しかし、工場とやりとりするときも、職員間で話をするときも、「もぎり」と言えば済んでいたので、あえて調べることはしていなかったのである。・・・いや、何度も気になって調べようとは思ったが、その度忘れていたのだ。
それがこの度、職員向けの「作業マニュアル」を作るということになって、その「もの」の名前を紙面に書かねばならなくなった。必要に迫られたのである。
調べました。
そして・・・今日の「その時」がやってまいりました・・・。
お弁当に入っている醤油入れの名前。それは・・・
「たれびん」。
・・・だそうな。
へえー。
踊る大運動会
昨日は法人の運動会でした。疲れました。
でも楽しかった。イベントは好きだ。何よりいろいろ工夫をして面白いものを「作る」のが好きだ。
そして今年も踊った。
人前に出て踊るのは・・・それは別に好きなわけではない。むしろ苦手。実はかなりの勇気を振り絞ってやっている。でもやれば楽しい。やってしまえば、楽しい。・・・やれば楽しいことを「恥ずかしいから」という理由で味わわずにいるのは勿体無いと思う。
それに、自分が断れば他の誰かがイヤイヤやることになるのだ。それは気持ちが悪い。気持ちが悪いし、逆にそれでその人が新境地を開拓しちゃったりなんかしたら、それは悔しいと思うかもしれない。「恥ずかしがらずに自分がやればよかったのに」と後悔するかもしれない。そういう生き方はしたくない。
それに・・・人がやらないことをやるっていうのは、「できないヤツ」が生き残る最も簡単な方法でもある。
経験もスキルも必要ない。勇気一つで「アイデンティティ」だとか「ポジション」だとかが得られる・・・っていうんであれば、それはもう儲けもんだと思って「踊る阿呆」にな ってしまえばよいのだ。「見てるだけで踊らない阿呆」には、まったく理解できないであろうが。
野球好き
今年のプロ野球は面白い。
こと 楽天が勝っていることで、交流戦がすごい楽しい。
ルーキーの活躍や、ベテランの復調もあって、見所が多い。
今日も楽天が巨人に勝っている。こういうのがいい。「最弱」のチームが「最強」打線に打ち勝っている・・・こういうのがいい。ドラマがある。
ぜひ球場で観たかった。自分と奥さんの休みが合わないもんだから・・・。
あ、そう言ってる間に楽天逆転されたー;
ケータイ小説考
ケータイ小説というやつが流行っている。
少し前からライトノベル作家の、ライトっぽさを残したままでの「ライトでない領域」への進出も目立っている。
文学がようやく、ようやく、大衆の中に広まりつつあるのではなかろうか。
ここ数年、読書離れだなんだ言われていたが、では昔の人がみーんな文学を読んでいたかというと、そんなことはない。
例えば、一冊でもいい。夏目漱石をちゃんと読んだことがあるって人が、どれほどいるだろうか。その割合は、20代でも50代でも大差ないのではないだろうか。
文学は「お文学」であり、大衆のものと言うにはまだまだお高いものだったのである。
大衆文学という言葉は、かなり前からある。いわゆる芥川賞ではなくて、直木賞を取るようなジャンルだ。
しかしまあ考えてみてほしい。偏差値50以下の高校なんかで、休み時間に春樹とか読んでるやつがいるだろうか? いやいない。いてもかなり希少だ。・・・どんなに売れたの流行ったの言っても、そんなもんなのだ。国民の過半数が「なにそれ?」というようなものを「大衆」文学とは言えない。
しかも皮肉なことに、今流行っているケータイ小説の内容は「私小説」だ。思いっきり「私」のことを書いている小説だ。
大衆小説と分けられ、「お文学」の代表であった私小説が今、お手軽になって大衆の中に浸透しているのだ。それも昨今忘れられていた私小説本来の武器である「共感を呼ぶ文体」を引っさげて。
危うい、と思うだろうか。・・・そんなことはない。「お文学」は、それはそれで残るだろう。みんながみんなギャル語や顔文字に共感できるわけではない。要は今まで読まなかった層が読むようになったということなのだ。文章としては非常に低いレベルで、しかし共感しやすい言葉で、今まで「難しい」と文学を避けていた層にも読める、そんな文学が現れたのだ。いいことではないか。
携帯メディアは大衆から語彙を奪う代わりに、新たな可能性を生んだ。それはそれ、これはこれで、弱点は他で補い、良い部分は認め、まずは若者に文学の楽しさ、言葉の面白さを、知ってもらおうじゃないか。そのことこそが、これからの文学の土台となり、我々の「文化」を作るのではなかろうか。
「普通」学級
普通学級と特殊学級・養護学校。障害児が進学するに当たって、好きな方を選べるようになるらしい。
良いことだ。
というよりも、今まで選べなかったことがおかしい。
・・・・・・と、現場を知らない人は思うだろう。
話はそう簡単でない。
教育と福祉は、現状、連動していない。要は普通の学校にいる教師は障害児に関して素人である。
また保護者の方も、子どもが小さいうちは、障害を受け入れられずにいることが多い。
多くの専門家は手厚い専門教育を受けられる養護学校を勧めるだろう。
学校・地域・保護者・周りの子ども達、全ての理解が必要である。ハードルは高いのだ。現実はなかなか・・・兎の眼 のようにはいかないだろう。
しかし個人的な意見を言えば、賛成である。障害児はどんどん普通学級に入っていくべきだと思う。
それは、その子のためではない。周りの、いわゆる「健常」の子達のためにである。
もっと大げさに言えば、未来のためである。
多くの人はあまりにも障害に関して無知で無関心だ。だからまず知るべきなのだ。世の中にはこういう人達がたくさんいるのだということを。
福祉に限らず、現場というのは保守的である。変化を嫌う。めんどくさいからだ。しかし、いつまでも社会のすみっこでひっそり生活していけると思ったら大間違いだ。その「波」は来ている。今の内に、未来のために、まず子ども社会に「問題」を投下しておいて損はないだろう。
まあ一番大変なのは、放り込まれる当の障害児なのだが。
おわったー
やることやった。俺にしてはお芝居がんばったし、立ち回りも間違えはなかったし、アドリブでコケたり「炎」やったり(見た人にしかわからんか)現状やれることはやった。
この一ヶ月ぐずぐず言って、皆には、特にリーダーには、申し訳なかったと思う。でもほんとにつらかったんすよー。俺、何事も理屈を整理してからじゃないと実行できない石頭さんだから・・・納得できないままやるというのはつらかったんすよー。
とにかく皆様お疲れ様です。今日は結果としてとても楽しかった。なんだかんだ言ってナックルは最高です。いやほんと。


