前回、夜来香の中華焼きそばの話題を書いた。昔に馴染みだった中華料理屋のあんかけ焼きそばを再現して、その懐かしい味に舌鼓を打った。それで中華づいたというわけではないが、天津飯が無性に食べたくなった。
天津飯は好きなメニューなので、中華料理屋に入るとよく頼む。しかし、ここでまたうるさい事を言ってしまうのだが、その辺の中華料理屋の天津飯で合格を出したためしがない。帯に短し襷に長しとでも言おうか、何かが違う。何かが足りない、或いはやり過ぎ、または理想と違う、時には根本的にマズイ場合もある。頑固者がそう簡単に満足するわけがないのである。
自分自身の理想の味というのが有り、それが食べたい。その理想の味とは、かつて名古屋の北区にあった「菱友園」(ヒシトモエン)という古い小汚い中華料理屋の大将が作る天津飯だった。これが理想通りの絶品であったのだ。だがこの店、息子に代替わりをする時に大改装をしてしまい、小奇麗なカフェのような店となり、同時に料理の味も変わってしまった。ハッキリ言って不味くなった。小汚い店とその味を愛していた自分を含めた常連客はそれを良しとせず、結局離れていった。結果、代替わりをした「菱友園」は潰れてしまったのだ。大改装などせず、親父の味をしっかり受け継いで、小汚い店を「老舗」として守り続けていれば、今でも店は健在だったと思うのだが。
そんなわけで、って、どんなわけか自分でもわからないが、とにかく天津飯が食べたく、「菱友園」の味の再現を試みた。そして、それは出来上がった。
今回も上出来である。ただ、よーこはまた実家に帰っており、食べさせれなかったのが残念だった。しかし、そもそもよーこは「菱友園」を知らないので、原本の味を味わったことがない。だから、食べさしたとしても、再現した味が合格か不合格かは判断できないのだが。
この夜は天津飯を中心に、ギョウザ、シウマイ、春巻き、そして夕べ作ったの残りのジャーマン・ポテトで、一人中華の宴となった。因みに、ギョウザ、シウマイ、春巻き、はチルドの既製品である。ボッチ飯で、これらまで手作りするのは流石にメンドクサくてやるわけない。
中華のお供は赤ワインにしてみた。ワイン通は料理によって赤だ白だ、どこどこ産がイイだとかうるさいらしいが、自分はワインにさほど拘りなく、肉料理だろうが魚料理だろうが、中華料理だろうが、その時に呑みたいものを赤でも白でも自由に選ぶ。だから今回は赤。
自作の天津飯に満足しながら、ふと思った。贔屓にしていた「夜来香」も「菱友園」も、もうこの世には存在していないのだなあと。実は好きだった店で、すでに無くなってしまった店は、他にも何軒もある。それらを思い出すと、つい食べたくなり、また再現しようとしてしまうのだろう。しかし、残念ながら原本を味わえる事は二度とない。兵どもは夢の跡である。


