皆さん こんにちは~! パリ個人旅行案内のNOTRE PARISノートル パリです。
お元気でしょうか? ご訪問頂きありがとうございます。
パリに住んでいる方々だけでなく、観光の方々も恐らく1度は通過した事がある、パリで一番大きい『コンコルド広場』。
マリーアントワネットやルイ16世達がギロチンにあった場所としても有名ですね。
でも、意外と、この広場の美しい彫刻群や噴水やオベリスクをゆっくりと眺めた事のある方は、少ないのかも、、、
エッフェル塔も見えますよ~♡
◇コンコルドとは?
コンコルド=調和 を意味するのは、やはりフランス革命時に、ギロチンという悲劇が起きたからでしょうか。
◇この広場の歴史を簡単に。
13世紀// ルイ9世が、ルーブル宮殿から、サンジェルマン アン レイの森に狩りに行っていた時に、この王家の敷地内の広場を通って、真っ直ぐに馬を走らせたのが、現在のシャンゼリ―ゼ大通りです。
1564年// 一昨日に書いたように、カトリーヌ ド メディシスが建てさせた『チュイルリー宮殿』のお庭の一角だったのです。
1670年// ルイ15世が、広場を拡大させて、これだけ広くなったのです。当時は、ルイ15世の騎馬像が中央に飾られ、『ルイ15世広場』と呼ばれていたのですね。
1789年// フランス革命によって、『革命広場』と名前が変更。
1793年1月21日// ギロチン執行人サンソンが、ルイ16世の頭を持っています。
広場中央にあるルイ15世の騎馬像の台だけが下記の右手に見えます。
1793年10月21日// ギロチン執行人サンソンが、マリーアントワネットの頭を持っています。
1795年// 『革命広場』から『コンコルド広場』に名前が変わります。が、その後も『ルイ15世広場』になったり、『ルイ16世広場』になったりと、、、何度も名前が変わっていきます。
1830年// やっと、『コンコルド広場』という名前で落ち着きます。
1836年// ルイ フリップ王によって、1831年にエジプト王からの贈り物のオベリスク(3300年前の物)を広場の中央に設置。
1836年~1846年// 噴水などが置かれ、美しい広場に変わります。
下記は、1872年の絵画。今とほとんど変わりませんね。
◇2個の美しい噴水
ルイ18世が、弟ルイ16世やマリーアントワネットのオマージュとしてここに何かを設置したかったようですが。。。
最終的には、ギリシャ神話に由来する噴水が1840年に完成して設置されたのですが、ルイ18世がどこまで関与したのかは定かではないようです。
『川の噴水』 ローヌ川とライン川などのお陰で、ぶどうを始め多種のフルーツや野菜や穀物など農作物の繁栄を願って。
『海の噴水』 地中海からイギリス海峡など、海洋で取れる魚介類の繁栄を願って。
◇美しい2頭のペガサスの彫刻
チュイルリー公園の出入り口に設置されているペガサス。
ルーブル美術館内にあるマルリーの馬シリーズです。
マルリー城のルイ15世が飼育していた2頭の馬がモデルです。
『ペガサスに乗って』
『ペガサスに乗るメルキュール』 =メクリウス=商人や旅人の守護聖人
◇都市名になっている美しい8体の彫刻群
下記の〇印が置かれている場所です。2体づつ8体あります。
中央がオベリスクでその上下の2つが、噴水。
右がチュイルリー公園。左がシャンゼリ―ゼ大通り。
上記下のセーヌ川にコンコルド橋があります。その左手のボルドーから時計周りに写真を載せますね。
なかなか下から見えないのですが、
彫刻の足元に『ボルドー』と記載されています。
『ナント』
『ブレスト』
『ルーアン』
この彫刻が置かれている場所で、ルイ16世がギロチンにあったそうですよ。
『リル』
『ストラスブルグ』
『リヨン』
『マルセイユ』
◇この都市名が何を意味するかって?
オベリスクあたりの中央に行って、フランスの国の地図を広げると、理由がわかりますよ~。
( ´艸`)
1830年に、これらの彫刻を設置した建築家ジャック・イニャス・イトルフ氏が、きっと喜ぶでしょう!
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