その界隈
歯医者さんで歯の治療をしてきた。
通院するのは、おおよそ1年半ぶり。
地元にいる時には半年に1度、口腔チェックに通い、
日頃のブラッシングで除去できなかった
歯垢や歯石を手入れしてもらうのが常だった。
しかし知らない土地で、
初めての医者に診てもらうのに抵抗があったので
上京中は虫歯にならないよう、歯磨きにはかなり気を遣っていた。
10数年前、歯の矯正治療をして後から、
食後の歯磨き、フロスによる歯間の手入れなど、
結構手間ひまかけているつもりだったが
前歯の裏側に少し虫が巣食っていたので、ショックだった。
それが、今日の治療できれいになった。
見た目もつややか。
受付で提出した健康保険証の記録を、
担当医でも確認できるようで、先週訪れた際
保険証に記された事業所(会社)の所在地を見た年配の院長が
「私も学生時代、この(住所:東京)界隈に住んでいたんだよ。
歌声喫茶とかあってね。楽しかったよ。この住所見て懐かしくてね~。」
と話していたら、別の女医さんが
「私もその付近に住んでいたことがあります。」
という会話があった。
今日はその院長の息子さんが私の治療にあたり
「実は僕も父と同じ学校に通い、この付近に住んでました。」
という。
先日、母の馴染みの服屋さんに行ったら
そこのお店の方も、その界隈に15年くらい住んでいたという。
先月行った、馴染みの美容室の方も
昔、住んでいたことがあると話していた。
うーん、偶然というか奇遇というか
各人、特に接点はないはずなのに…。
でも、郷里を同じくする者という共通項は大きいかもしれない。
私の職場はその住所付近だったけれども
千葉方面から1時間半かけての通勤だった。
既に懐かしい総武線。
電車っていいなあ…としみじみ。
東京って広いようでも、
実際に生活する場所って、案外限られているものなのかなとか。
道ですれ違う、見知らぬ他人と話してみて、
両者に意外な接点を見出すことができると面白いだろうな。
あ、人恋しい、寂しい暇人の発想かも。
いかんいかん。
先月海で泳いで以来、ひと月ぶりにプールで泳いだ。
ああスッキリ気分爽快。
くだもの
最近、バナナによるダイエットが評判で
店頭ではバナナが品薄状態だという。
我が家の畑からは、バナナを既に3株分収穫済み。
さらに1株でも次の収穫が待たれている。
母によると、バナナは一度の収穫でその株は終わり
その周辺からまた子ども(?)が勝手に生えてくるのだという。
きっと竹の子とか球根みたいな感じなのかな。
そのバナナは小ぶりで、
店頭販売されているフィリピン産やエクアドル産など商品と比べると
糖度は低いけれども甘いし、
自家栽培、無農薬なので安心して食べられる。
バナナは、ある程度の大きさになると緑色のうちに収穫。
もちろん黄色に熟するまで置いていた方が甘くておいしいけれど
その状態まで放置すると、鳥などに先を越されてしまう。
緑色の少し硬い状態で収穫して涼しいところに置いておくと、
追熟し柔らかくなり、見た目はあまり良くないけれど
その頃が食べごろです。
バナナの他に、
シークァーサーというかんきつ類やアセロラも実ってる。
シークァーサーはかなりすっぱい。
絞って砂糖を加えてジュースにしたり
ソーダなどの炭酸水で割ったり。
アセロラはその実のほとんどが種で、皮ごと口に含んで食べる。
果汁を多く含み、ビタミンがたっぷり充填される感じ。
他にも夏の果物ライチを楽しみにしていたが、
昨年台風で倒れてしまったとのこと。
すごく残念。
楽しみにしていたのに…。
そういえば、
昨年母がパッションフルーツの新しい品種の苗を植えていたけれど
それはまだ実がなっていない。
八百屋さんで買った柿もおいしかったな。
去年は京王線で稲城に梨やらぶどう狩りに行ったもの…
あっという間に1年経過です。
最寄スーパーでは見かけないが、きっとイチヂクもおいしい季節。
まだまだ暑い日が続くけれど、暦の上では秋。
実りの秋を満喫。
父とおでかけ
先週水曜日、父と博物館の企画展に行った。
終戦直後、米軍が当地で発行していた新聞の展示会だ。
ところが行ってみると前日が公休日の為、振替休館になっていた。
なので隣の史跡のある公園を散策。
霊所でもあるそこは、きれいに手入れされてはいるが、
所々うっそうとした木々の生い茂る場所もある。
父は植物とか自然の石積みとかが好きで
「ここを横切るとどこにでるかな?」
などと言って、草の生い茂るけもの道に入って行く。
私もその後を追ってみたが、斜面になっていて
互いに、ぬかるみに足をとられて転倒しないか心配だし、
次々と襲ってくるやぶ蚊の攻撃にひるむ。
「どうかな~。どこかに通じるかもしれないけど
この格好だと無理があるし、蛇が出てきそうだからやめよ~。」
それでも歩を進めるが、しばらくすると
「そうだな」
と、なんとか引き止めることができた。
普段、出不精な父なので、
こんな風に夢中になる姿を見ると、連れ出したかいがある。
なので引き止められ、残念そうな姿をみるとすごく悪いとは思うのだが
いかんせんこの、博物館の展示会仕様の服装では無謀すぎる。
冒険するならフル装備で付き合うので、今回は勘弁してくれと。
その後、父が先の戦の慰霊の塔がある施設めぐりを所望。
その施設には今でも多くの観光客が訪れる。
当時の父は確か12歳くらい。
その頃、当地の女子師範学校の生徒たちは
従軍看護婦として召集された。
海から艦砲射撃による雨のような砲弾、
空からは爆撃機による爆弾投下
地上においては戦車や火炎放射器による攻撃
危険な戦地で、壕の中、血と排泄物の異臭漂う劣悪な環境のもと
手当ての間に合わない患者の傷口からはウジがわき
うめき声や、正気を失った人の怒声をあびながらも
傷ついた兵士の手当てにあたっていたという。
戦況が思わしくなくなり、その壕を撤収する時
けがで歩けない友だちを、その場に残して別れることになるのだが
壕の外では、渦中をかいくぐらなければいけない訳で
もしかすると、このまま壕に留まったほうが生き残るのかもしれない。
しかし、敵に壕を見つかり、投降を拒んだ場合には
手榴弾を投げ込まれたりするという。
「生きて虜囚の辱めをうくるより…」との教えに従い自害することも多く
「今わたしが生き残っているのは、
あの時、その場に手榴弾を持っている人がいなかったから」
「生き残った人は運が良く、死んだ人は運が悪かったと言うのは
死んでしまわれた方に対して、大変申し訳ないことだと思う」
それらの証言が印象的。
実際、米兵たちによる捕虜の対応はまともだったという。
人間として扱われたことに対し感激の証言も見られた。
旧日本軍による情報操作で、かなり誤解があった模様。
残された重症患者には、
青酸カリ入りの牛乳が支給されることもあったという。
戦中も危険だが、司令官の自害によって解散命令の後も
水や食料もなく、あちこちに死体が転がる荒野、
生き抜くのに大変な苦労があったとのこと。
当時の看護婦さんたちの、その証言映像コーナーでは
修学旅行の学生さんたちや観光客に交じり1時間超あまり見入っていた。
この施設はこれまでにも、友だちの観光案内として訪れたりしたが
戦争の悲惨さと、平和について考えさせられる場所。
とかく癒しの島とか、きれいな海、楽しい観光で注目されがちな島ですが
過去のこうした出来事に、少しでもふれることにより
今後の社会のあり方にも、何らかの良い影響があると良いなと思います。
父は最近の日本の社会情勢が、
当時の戦に匹敵、あるいはそれをしのぐような、
大変な状態になっていると感じているという。
久しぶりの父とふたりでのお出かけは、充実した一日となりました。
後日今度は母とふたりで、先の目的の博物館企画展に訪れた。
そこで、面白い出会いがあり…
それはまた次の機会に記せたらと思う。
いつの時代も生き抜くには相応の覚悟が必要なのだな
と、ひとまずしめくくっておきたい。