知識の海で溺れたい
おー、前回の記事から約一ヵ月かあ。前回のは就活の初々しさが感じられる記事ですね。はい、あれからすったもんだして、ちょwwwホンット初心者丸出しだなお前wwwwwwwってな感じで自分でもかなり笑える情況になったりしたけれど、まあ何とかやってます。そっちのことはまた落ち着いたら書くとして。この約一ヵ月、何故にこっちを書かなかったという問いに答えるのであれば、ひたすら着地点を探していた、というのは回答の一つではある。あー、あっちの世界の話なんで。悪しからず。あー。ああーーー。あああああーーーーーーーーーーーーーーーー。見つからねえなあ、と。腰を落ち着ける場所が。足を止める地点が。全ての起点と、そして終点となるべき場所が。少し前に、ひとつの話を書き上げようと決心してからというもの。考えて、考えて、ひたすら考えてきた。メモ帳を常に持ち歩き、電車に乗っている時も、カフェで一服する時も、ラボでチップを詰めたりなんかしている時も、案を立ち上げては却下し、別案を検討してはその行く先を書き留めて、頓挫して。一向に見つからない着地点にイライラしてくるのは必然で、けれども、絶対に投げ出したくない所だと自覚しているのも確かなわけで。そこが決まらないと、この世界は何もかもが不確定なものになってしまう。足場の覚束ない世界なんぞ、あっという間に崩壊するのが目に見えている。だから。だから、ここはすごく大事な所なんだよなあ、と。再認識。多分、最初から順序を間違えてたんだよなあ。自分の中では各人物が勝手に話を持ち込んでくるから、物語の断片は沢山あるんだよ。その断片を、如何に矛盾なく、如何に自分の中で納得できるように繋げるか。作業としてはそんなもん。しかしそれが極めて難しい。それで色々と考えて、調べ物をしたりしながら、どうにかこうにか繋げられないか、どうすれば自然な形でピースが埋まるか、あーでもないこーでもない、と考えに考えた結果。うん、(今は)無理だ。という結論が出た。現状で、話を終着点まで持っていけるだけの内容を創り出すには、バラバラのピースを繋げてパズルを完成させるには、そのアイデアを生み出すには、あまりに知識が無さすぎると。大学の頃は通学に片道2時間半かかってたから、図書館で気になった本を片っ端から読み漁っていた。推理小説、SF小説、精神分析、倫理、サイエンス書、宗教、環境、etc・etc。未だにその頃の読書メモは大事な資料になっている。最近は仕事のこともあるけど、ほとんど本を読まなくなった。だから、少しでも知識に触れようと、そう思った。きっと、今のアタマで考えても、これ以上良いアイデアは出てこない気がするんだ。勿論考え続けるのは大事だし、この作業は続けていこうと思うけど、今ほど切羽詰まって考え込むのは止めにしようかなと。本を読んだり、映画を観たりして色々な知識やアイデアに触れていく中で、自分の中でも新しい閃きが生まれるかもしれない。もしくは、既存のピースが形を変えるかもしれない。なんだか、物忘れが酷くなってきたからと焦ってジタバタしていた自分が馬鹿らしく思えたのだ。イヤ、焦りがあるのは確かなんだけど。少なからず、焦燥はある。けれど、所詮は趣味なワケで。別段急ぐ必要は無いのだし、断片を磨きながら、各人物の在り方を温めながら、いつか、自分の中で「ここだ!」と満足できる着地点に足を下ろせたらいいなと思う。そんな訳で、早速本を読んでます。今年中に読み終わるか心配なページ数の本をチョイスしてしまい、若干不安。