田舎のJRはよく工事をするようだ。


中途半端に田舎なので住居がそれなりにある場所で

線路工事を始められると

「せんは抜け」と言わんばかりの

扇風機のコードが抜いてある部屋に帰ってきて

また工作員がやらかしましたね!

とそのメッセージをいちいち受け取るわけだが

この町の工作員ときたら目立つのなんのって

人口が少ないのでカメラを持って歩いているだけで

デジタルの工作員だと思う人がたくさんいるのである。


JRとは意外と長い付き合いなのだ。

PCの休憩画面まで指示されるようになる前は

気持ちよくJRの画面を使っていたのだ。


電車の席から見える窓の外の風景は想像力をかきたてた。


しかし2度目の引っ越しの時に全てが変わった。

JRの駅に私が書いていたいろいろな設備ができていたのだ。

(密かに癒されていた、この風景や画面選びも全てどこかに繋げてしまったのだね)


ちなみにやっぱりこのブログを書いていると

とても揺れる脳内なのだ。

赤い画面にすると少々いい具合になったので

そちらに変えてみようと思うが

朗報がある。


「小さな傷」を見つけた。

小さな傷を好転させると犬はぐっすり眠れるようになった。

もうひとつの傷はおそらく「赤」についてだ。


それらのバランスを整えることで

身体の具合が奇妙におかしい人は改善できると思っているが

翌日すごしてみてからわかることだから

一日はあっという間に過ぎてしまう。


ラインダンスと宇宙の関係は

よろしくないのか。

それとも

豆屋のおやじが愚行に走っているのか。


まったくいい大人がなにをしているのか。


このブログでさえ弱い。



赤は意外と強い。


カナダは目の前が山なのがどうも苦手だ。




ヤッホー!

っていうより

グッド!

と言いたくなっている私だよ。






私のPCの中でまた異変があった。
CDでデータをコピーする機能が
PCを立ち上げると必ず1秒~2秒の間
画面に表示されているが
その場所をクリックすると
たくさんの仕事や昔に書いたものまで
仕分けされていたのだ。

読んだお礼に仕分けをしてくれたと考えるのが
いいのか盗人猛々しい!と声を大にして
騒ぎ立てるのが妥当なのか。

なぜ書籍に車が付いているのか考えてみると
竜馬伝もまた馬がついていて
何かしらの交通手段を確保していることがわかる。

そういえばゴーストの話を書くと言っていた
有名な脚本家もまた自分のシナリオとは異なった
ドラマがテレビで始まり、
悶えているのかそれともとっくに書き終わって
次々とやってくる作品の依頼にこたえているのか。
脚本家もまた「脚」という文字が付いている。

ブログもだれのブログを「脚」にして
アップしようかという取り決めがあった。
それぞれの業界で「脚」という移動手段の確保を
しながらまったく違う意味があることを
覚えるのは至難の業だと私は思う。

違う業界の人間同士が
それぞれのブログを交換して代筆するのは
そういった知識が手に入り
カンニングするが如く
お金持ちの作家は他人の書いたものを盗み読んでは
アレンジして世の中に出す。
その間、ある程度の主旨や内容がわかれば
オリジナルで書いた人間の作業を遅らせるような
ガスを送り込んで
自分たちこそ「オリジナルである!」
と躍り出るのだから貧乏人はいつまでたっても貧乏人でいろと言わんばかりだ。
龍馬のように「口がうまく、適度に大物感が有り、男らしい雰囲気」
を漂わせていれば、営業として取りかかり
のちに部下を持ち、社長や会社を興すのはたやすいことだろう。
なにゆえ暗殺されたのかと考えれば
考え方が新しすぎたのだ。
古い人間を刺激してこの普天間問題がどうの
尖閣諸島がどうだ、韓国に媚びすぎた総理がなにしたという
竜馬伝を書く作家にえさを与えるがための事件を
世界中で喜んで協力し合っているかと思うと
私が受けたマトリックス体験やアバター体験などは序の口で
そっちこっちに配信され尽くした後の
遅れに遅れたサービスを受けたまでだったのに違いない。

言っておくが
フィクションを書くときのサービスと
ノンフィクションを書くときのサービスをごっちゃにして
やられたのではサービスでも何でもなく邪魔!でしかない。
そして今度は火事ときたもんだ!
いまもまだ休日だった余韻が残る、
外に干した洗濯物がそのまま外にあるのだ。
火事に見舞われたファミリーは「書いたことが現実になるサービス」を受けていた
私以外の人間の誰かにやられたのだ。
その人間が書いた2CHの文字は
朱色だった。
火事になった家は、青い。
心当たりの有った人間は二度と2chに軽々しく名前を出して
不吉なことを書くのを控えるようにしろ!


魚屋の親父が乗ったトラックと
20代の男が運転していた車が正面衝突を起こしたそうだ。
正面衝突を起こす方がどうかしている。
20代の男が中央からはみ出したそうだが
お互いの意見が割れた時にどちらか一方が死亡するなどという設定もまた
ブキミとしかいいようがない。
そのニュースは本当なのか
それともねつ造されたものなのか。
病の話を書けば
病体験などというサービスはほんとうに大きなお世話!だ。



おしまい


その文を見た時
父が書いた文だと思った。

ところが
それは娘が書いていたという。

発想の方法
スペースでの大胆さ


文章の力強さは
父のような年を食っている人間では
出せないパワーだったかもしれない
と考えてみると
私は父の若かった時の文を知っていたにすぎなかった。

年老いた父の文は
見たことがない。
もしかすると何度か見ていて
それはとてもヒステリックに
叫んでいる小さな男のような
文だったので
年老いることと若さというのは
身体の健康と繋がっているものだと
確信を得た。

私が書いたものが
とても病的だと感じると言ってきた人間は
ほとんどの場合
精神科への通院歴がある。

体調もすぐれず
それが精神的に
私の文を見ると
触る個所があるらしい。

ところが
それは私の気持ち次第で
癒す文にも変わるものなのだ。

私の怒りは
一瞬にして
目の前で綺麗に咲いていた花を
翌日に枯らすほどだと
気付いていたが
最も信頼している人に
奇妙な嘘や
その後に起こった障害などを
偶然と考えて
笑って前に進むほど
お気楽な大物でいられるほど
余裕があったときは
笑っていられたが
余裕どころの騒ぎじゃないやい!
と急いでいる時に
妨害などがあったり
私のためだと聞いた話の通りに行動して
旨く行ったためしがない時には
やっぱり人間だもの
相手を信頼するに値するかどうかから考えてしまうものよ。
しかも面白半分に
やられ放題だったというのでは
どんなことをして防いでも
漏れなかった日がないので
黙って行動することになり
黙って行動すると旨く行くとなった時には
「ひとりで行動する人生なのかしら?チームはないの?」
と「勇気と行動力」さえあれば
生きていけるかもしれないなんて
考え始めるわけで。
その裏側にある
「もしかして孤独死ウェルカム?」
というマイナス面も見えるわけで
しかし前向きな考えを持って「勇気と行動力」を味方につけて
自分が進めば
新しい仲間が生まれるかもしれない!
と前向きな考えには
いいことばかりが付いてくる。

しかし孤独死ウェルカムのことを考えると
ひきももりになっちゃって悪循環なのよ!

ひとりでも行動できる!
というのが
二人でも行動してうまくいく!
というものに繋がって行くのかもしれないな…
客観的に自分の考えを見られる余裕がある場合は
ちょっと使ってみたい
刺激的な言葉で
内心笑っている心の余裕が
ちょっと好きなこの頃の言葉の楽しみ方。

でもそれは
ブログではわからないの。
わかった人は健康なんだわ!


おしまい