ココハドコ? アタシハダレ? -28ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

時間がたつのは速い。安倍晋三元首相が殺されてもう10日が過ぎた。何かコメントをしておこうと思いつつ言葉が出ない日々だった。正直なところ、ニュースの第一報をネット上で知った時、ショックもなかったし、むしろ「やっぱり、、、」という感じのほうが強かった。

 

私は安倍晋三という人について、いずれ誰かに襲われたりすることもありそうだと、漠然とだが感じていたのだ。それはモリ・カケ問題が紛糾した当時から持っていた思いで、公文書改竄した財務省職員が不起訴になる一方で、近畿財務局の職員が自殺に追い込まれるなど、ニュースを見ていて、この人は恨みを買うだろうと、そう思ったのだった。もちろん、問題のもみ消しに安倍氏本人が直接かかわったとは思えない。役人が一方的に「忖度」したと考えるほうが自然なのかもしれない。

だが、「忖度」されるだけの権力を持っているがゆえによくよく脇は締めておく必要があっただろう。蓋をして終わりにしたい事件だったかもしれぬが、公文書改竄などこれこそ民主主義を大きく毀損させるもので、逆に政治不信を大きくした、その責任は安倍氏にもあったと思う。

 

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そして今回の事件。死亡と伝わった時から「暗殺」という言葉がニュース記事の中に踊るようになった。これは安倍氏がコメントを寄せていた宗教団体によって家庭崩壊を招いたという犯人の、広い意味での「怨恨による殺人」と言ったほうがいいような気がしていたが、その宗教団体と安倍氏のつながりを知ると、やはり「暗殺」といったほうがふさわしいような気もしてくる。

その本来の恨みの対象である宗教団体・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)についてはWikipediaに詳しい記事があるのでリンクを貼っておく。ぜひ読んでいただきたい。カリスマに率いられた反社会的な集団という意味で「カルト」と呼ぶにふさわしいだろう。

 

これによると、安倍氏や自民党政治家と統一教会の関係は安倍氏の祖父岸信介氏の時代までさかのぼり、関係のあった政治家として中曽根康弘、福田赳夫といった有力者の名前がずらりと並んでおり、しかも与野党を問わない。ということは今回の事件、政界の巨大な闇を白日の下の晒しているのである。政界は躍起になって火消しに走らざるを得ないし、これを告発できるマスメディアもおそらく存在しない。結局は火消しの仕上げは「国葬」という一大イベント、そういう筋書きになるのだろう。

 

安倍氏は祖父岸信介氏の縁もあるのだろう、ほかの政治家に比べても深いかかわりを持っていたようで、機関誌の表紙を何回も飾るなど広告塔としての役割は果たしていた。昭恵夫人が森友学園の広告塔であったように安倍氏も旧統一教会の広告塔であった。そこで恨みを買ったとしても、充分にありうることで、これを筋違いと言っても後の祭りとしか言いようがない。やはり脇が甘いのである。

 

「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ(JBpress)

「公開抗議文 衆議院議員 安倍晋三 先生へ 全国霊感商法対策弁護士連絡会」
 

上のJBpressの記事にもリンクされているが、全国霊感商法対策弁護士連絡会から安倍氏への抗議文の中に、

「本年9月12日、韓国の統一教会施設から全世界に配信された統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」と称するWEB集会において、安倍晋三前内閣総理大臣の基調演説が発信される事態が生じました。これを統一教会が広く宣伝に使うことは必至です。(中略)当連絡会としては深く失望し、今後の被害の拡大に強く憂慮しております。」という文面が見える。

山上容疑者が安倍氏を襲う決意をしたのはまさにこの「希望前進大会」の「基調演説」を見たからだった。この中で、安倍氏は文鮮明教祖(2012年死去)の後継の教祖韓鶴子氏に「敬意を表します」と述べている。家族崩壊のもととなった宗教団体に対し何も対策を講ずることなく、それどころか「敬意を表する」という政治家、憎悪が頂点に達することも当然ある事だろう。連絡会が憂慮した「被害」は安倍氏を直撃したのである。抗議文への回答はなかった。さて、残された政治家たち、襟を正せるだろうか?

 

謹んで故人のご冥福をお祈りします。

 

 

合 掌

 

 

 

 

 

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さるところから圧力鍋をいただいた。前々から欲しいと思っていたので、これ幸いとあれこれ料理してみている。ちょっとハマった感じ。写真は「豚の角煮」。つくるのは2回目で、1回目はレシピに忠実すぎたためか薄味すぎて口に合わなかった。が、今回はうまくいきました!

 

写真では形も悪いし色合いもよくないが、結構おいしかった。

 

 

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圧力鍋で一番試してみたかったのは、ご飯を炊くこと。圧力鍋でおいしく炊けるとどこかで読んだ記憶があったのだが、レシピ通りにやってみたけれど、まるでダメ。まずいことこの上なく、1回であきらめた。

 

子供のころ食べたご飯のうまさが忘れられない。噛めば噛むほど甘みが出ておかずなんていらないと思わせる、あの味をどうすれば出せるのか、ずっと考えてる。南部鉄の羽釜やうまいと評判の伊賀焼の土鍋とか試してみたけどイマイチ。米が悪いのか水が悪いのか、何が悪いのかわからない。米そのものがまずくなってるのかもしれないが、とにかくわからない。誰か教えてくれないかと思ってる。

 

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圧力鍋のレシピ本を買った。好きだけど自分で作れるなんて思いもしなかった料理が結構出てて、暇なときに少しずつトライしようと思ってる。このブームは長くなりそうだ。

 

 

 

 

 

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所沢のはずれで仕事が早く終わって、少し歩こうかと東村山に向けて住宅地を歩いていたらちょっとしたたたずまいの、静かな寺があって、見ると時宗と書いてある。

 

(所沢市の時宗寺院 長久寺)

 

時宗と言えば一遍上人を開祖とする阿弥陀仏信仰の一派である。私は無宗教な人間で仏教に深い知識があるわけではなく、まして時宗という一宗派についての知識など皆無に等しい。ただ一遍上人については「踊り念仏」の人だというだけでなく、若い頃に読んだ和讃「百利口語」の言葉の激しさ、新鮮さに撃たれた記憶があり、あまり見ることのない時宗の寺を見てそんなことを懐かしく思い出したりした。

    
    六道輪廻の間には ともなふ人もなかりけり
    独りむまれて独り死す 生死の道こそかなしけれ
    或は有頂の雲の上 或は無間の獄の下
    善悪ふたつの業により いたらぬ栖(すみか)はなかりけり
    然るに人天善所には 生をうることありがたし

                                 百利口語(ひゃくりくご)

 

(一遍上人像  藤沢市 清浄光寺(別名遊行寺))

 

一遍上人(1239 -1289)の生きた時代は鎌倉時代中期、仏教界では釈迦の入滅2000年を経てその教えが正しく行われない末法の時代に入ったとされていた。平安末期から鎌倉時代にかけての戦乱の時代、武士の台頭や治安の乱れ、さらには仏教界の退廃など、民衆の目にも世は不安に満ちた終末の様相を呈していた。そんな時代に家も土地も捨て、寺も持たずに全国を遊行する。何もかも捨てて遊行へと旅立つ、だから「捨て聖」とも言われた。遊行は今の時代からは想像もできない、草深い道なき道を行くような過酷な旅、命のかかった旅だったろう。

 

    暫くこの身のある程ぞ さすがに衣食(えじき)は離れねど
    それも前世の果報ぞと いとなむ事も更になし
    詞(ことば)をつくし乞ひあるき へつらひもとめ願はねど
    僅かに命をつぐほどは さすがに人こそ供養すれ
    それもあたらずなり果てば 飢死こそはせんずらめ
    死して浄土に生まれなば 殊勝の事こそ有るべけれ
    世間の出世もこのまねば 衣も常に定めなし
    人の着するにまかせつつ わづらひなきを本とする
    小袖・帷子・紙のきぬ ふりたる筵・蓑のきれ
    寒さふせがん為なれば 有るに任せて身にまとふ
    命をささふる食物は あたりつきたるそのままに
    死するを歎く身ならねば 病のためともきらはれず
    よわるを痛む身ならねば 力のためとも願はれず
    色の為ともおもはねば 味わいたしむ事もなし
    善悪ともに皆ながら 輪廻生死の業なれば
    すべて三界・六道に 羨ましき事さらになし

                                百利口語

 

 

一遍上人は阿弥陀仏信仰の人で、旅の道々人々の前で踊りながら念仏を唱え、「南無阿弥陀仏」の6文字を書いた木算を配って歩いた。踊り念仏について、一遍は「念仏が阿弥陀の教えと聞くだけで踊りたくなるうれしさなのだ」と説いたと伝わっている。

 

*****

 

では、一遍上人の教えとはどんなものだったのか、少し調べてみた。一遍上人語録の中にこんな言葉がある。興願僧都という人への返事の文である。

 

    念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、

    地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事を

    すてて申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ。

    ・・・・・・善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず、厭うべからず。

    よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずと

    いふことなし。人ばかり超世の願に預るにあらず。

    ・・・・・・・念仏は安心して申も、安心せずして申も、他力超世の本願にたがふ

    事なし。弥陀の本願に欠けたる事もなく、あまれることもなし。この外にさのみ

    何事をか用心して申べき。ただ愚かなる者の心に立ちかへりて念仏したまふべし。

    南無阿弥陀仏。

 

一遍上人は観念的な思惟よりも、ひたすら六文字の念仏を称える実践に価値を置いたとされる。念仏を唱えれば阿弥陀仏の本願により往生可能であり、そこには信じているとか信じていないとか、心の浄不浄といった人智とか人力の介在する余地はなく、仏のはからいがあるだけである。「南無阿弥陀仏」の名号をとなえればそこに浄土がある。「善悪の境界、皆浄土」なのである。浄土はどこか他の場所にあるものではない、浄土は自然の中にも人の心にも本来的に存在するものと考えていたのだろう。そうでなければ念仏を唱えることで湧き上がる「うれしさ」を理解できないような気がする。自身の内なる浄土に大いなる喜びを感ずれば踊ることは極めて自然なことのように思える。舞踏の本義は宇宙との一体化と言われる。自身の内なる宇宙=浄土と一体となる、そういう「踊り」だったのだろうと考えられる。

 

*****

 

一遍上人は1289年50歳で亡くなっている。その死に臨んで「我が化導は一期ばかりぞ」と持っていた書物のうち少数を書写山の僧に託して奉納した後、手許に残った自身の著作や書物すべてを「阿弥陀経」を読み上げながら焼却したと伝わっている。「一代聖教皆尽きて南無阿弥陀仏に成り果てぬ」と宣言して教学体系を残さなかったし、宗門を開くこともなかった。「時宗」は一遍上人を追慕する弟子たちによって開かれ、その事績や教えも弟子たちによって編纂されたものである。素人考えかもしれないが、法然の「他力」や親鸞の「絶対他力」を遊行という実践によって突き抜けてしまったような教えに思える。過激と言えば過激、シンプルと言えばシンプル、そんな印象を持った。

 

    身を観ずれば水の泡  消ぬる後は人もなし 

    命を思へば月の影  出で入る息にぞ留まらぬ
                                別願和讃

 

 

(時宗総本山 清浄光寺、別名遊行寺)

 

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以下、余談。

一遍上人の遊行には時に尼僧を含む数十人の弟子が付き従っていたといわれ、それらの多数の弟子たちが念仏踊りの時には救済される喜びに衣服もはだけるほどに激しく踊り狂い、法悦境へと人々を巻き込んでいった。集団的なトランス状態のようなものが生じたのだろう、眉をひそめる向きもあり批判を浴びたこともあるようだが結局は一大ブームになったらしい。そうした流れから、やがて時を経て念仏踊りは宗教性よりも芸能に重点を置いたものへと変化、盆踊りの原型となり、能や歌舞伎にも影響を与えた。また、時宗では男子の法名に「阿弥」をつけることが一般的で、能の世阿弥や観阿弥も時宗の人であったことがうかがわれる。

 

 

 

 

 

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