ココハドコ? アタシハダレ? -19ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

前回、新型コロナワクチン接種の副作用によって死亡したと疑われる事例が多数あることを書いたが、そもそもファイザーやモデルナのmRNAワクチンにはどんなリスクが報告されているのか、ネット上からあらためて記事を拾ってみた。

今回拾ったのは日経ビジネスに10月28日と11月1日にUPされた「ワクチン接種の影」(上)(下)という副題のついた下の記事で、これは有料記事で読めない方も多いと思うので、あちこち抜粋しながら書き進めるとします。(『』で括った部分が引用です)

 

コロナワクチン接種後死亡、遺族が集団提訴も 国は因果関係認めず(日経ビジネス)

勇者か異端か 「コロナワクチン接種中止」へ声上げた550人の医師(日経ビジネス)

 

1)インフルエンザワクチンとの比較

記事によると、21年までの10年間でインフルエンザワクチンの推定接種回数は、約2億6800万回。で、ワクチン接種後の死亡例は20件しかない。一方、21年春から22年9月までに接種されたファイザー社製コロナワクチンは2億3800万回(5~11歳用ワクチンは除く)で副反応が疑われる死亡例が1670件報告されているという。

 

記事は厚労省のHPを参照しているので間違いはないだろう。母数がほぼ同じと見て単純比較すれば副反応で死ぬリスクは約80倍。ただし、この比較には意味がない。インフルエンザワクチンによる死亡例もワクチンと死亡の間に確かな因果関係が認められないものは除かれているだろう。コロナのワクチンもすべての死亡例について現時点で厚労省は因果関係を認めていない。つまり、1670件が0件になることもありうる。また、死亡例が20件とか1670件という数字は人数だろう。ならば分母も人数にならなければおかしい。インフルエンザワクチンの場合、毎年接種している人も相当数いるであろうし、数年に一度という人もいるかもしれない。10年間の累計で2億6800万回の中には相当数の重複する人数が含まれているはずで、実際には10分の1、2000万人程度かもしれない。それも副反応のなかった人が毎年接種を受けている可能性も大きい。コロナワクチンは3回目を接種済みの人数でどうやら約8400万人前後らしい。

 

ただ、インフルエンザワクチンと比較せずとも、いずれにせよ死者が出ていることは事実で、医療行為で死者が出ているとしたら、それはもちろん問題になるし、ワクチン接種との因果関係があるかないか当然究明されるべきだろう。

 

 

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2)mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの働きについて記事をそのまま引用する。

『ファイザーや米モデルナが開発した新型コロナワクチンは、「mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン」と呼ばれる医薬品で、ウイルスのたんぱく質「スパイクたんぱく」のもとになる遺伝情報の一部を注射する。体内でスパイクたんぱくが作られると、それに対する抗体が作られる。この抗体によって新型コロナウイルスに対する免疫を引き出すのが特徴だ。
 厚労省はこのスパイクたんぱくは、接種後短時間で消滅するとホームページなどで説明している。しかし、免疫学の医学雑誌の1つ、Journal of Immunologyに昨年10月掲載された研究論文では、健康な人の体で少なくとも4カ月間、スパイクたんぱくが血液中に行き渡っていることが報告された。』

 

3)スパイクたんぱくの危険性について記事からの引用を並べる。

『消えずに残ったスパイクたんぱく自体に「血管内皮細胞障害」などを引き起こす毒性があるとした論文もある。』

また、『スパイクたんぱくが消滅せず悪影響を及ぼしていることを示す論文も9月に公表された。高知大学の研究チームは、mRNAワクチン接種後に現れた帯状疱疹(ほうしん)と呼ばれる皮膚症状を調査し、スパイクたんぱくを検出した。』

 

mRNAワクチン接種後に帯状疱疹が発現する現象は昨年から報告はあったようだ。そこにスパイクたんぱくを検出したことによって、残り続けたスパイクたんぱくを原因とする免疫力の低下が起こり、帯状疱疹の原因であるスピロヘータが活性化するのではないかという説が浮上している。

その免疫機能について、

 

 『消えずに残ったスパイクたんぱくが細胞に取り込まれ、その細胞がスパイクたんぱくを生み出すと、免疫系が細胞を異物とみなし攻撃するようになる。その結果、肝臓や副腎、血管などに様々な障害が起きる可能性が出てくる。』

 『mRNAワクチンの接種を繰り返せば、免疫の働きがスパイクたんぱくばかりに偏ってしまう結果、悪性腫瘍(がん)や他の病原体に対する免疫力が低下してしまう恐れがある』

 

と言ったことが考えられている。また、加えて

 

『スパイクたんぱくは血液脳関門(血液から脳内に有害物質が入るのを防ぐバリアーの役割を果たす)を透過することが分かっており、脳への損傷も懸念される。スパイクたんぱくが脳で発現すると、炎症や脳細胞壊死(えし)の原因となる可能性がある』とも。

 

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4)ADE(抗体依存性感染増強)というリスク

中東呼吸器症候群(MERS)や重症急性呼吸器症候群(SARS)ではワクチンを打ってもADE(抗体依存性感染増強)を起こしてしまうという研究結果があり、同系統の新型コロナウイルスにもその可能性があるという説がある。

 

『ADEとはワクチンの接種によって体内にできた抗体が、何らかの理由によってウイルスの感染や症状をむしろ促進してしまう現象だ。ワクチン接種と死亡との因果関係は医学的に証明されるには至っていないが、その可能性を示唆する研究結果も出てきている。

(中略)「接種すれば、感染を防ぐとされる中和抗体だけでなく、感染を増強させる抗体が産出され、ウイルスに感染しやすくなる」可能性が研究で明らかになった。』

5)ワクチンが効かないケースも

『ブースター接種を巡っても「短期的には効果があるように見えるが、接種と次の接種に間をおかなければ、最初に打った時にできた抗体が次の抗体の生成を邪魔する。これでは(オミクロン型など)変異型に合わせたワクチンを接種しても対応した抗体はできにくく、免疫力がつかない」との指摘がある。』

 

『厚労省の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードに8〜9月に報告されたデータをみると、40〜49歳など約4割の世代でワクチン未接種者より3回目接種者の方が人口10万人当たりの新規陽性者数が多いことが明らかになっている。』

 

 

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冒頭で紹介した記事はワクチン接種が原因で死亡したと思われる被害者の遺族の会の紹介やワクチン接種をしないように呼び掛ける医師たちの活動を取材したもので、ワクチンの薬害を実証的に扱おうとした記事ではない。実際、現時点ではワクチンと死亡の因果関係は実証されたわけではなく、例によって厚労省は否定的な見解をとっている。また記事の内容を見る限り、厚労省がその因果関係を積極的に解明しようとしていることもなさそうだ。新型コロナウイルスはオミクロンに終わらずまだまだ変異し続けるだろう。「普通の風邪なみ」になったという政治家のふざけた言説もある。「責任」など「どこ吹く風邪」みたいな話で、「責任」が風邪をひいている、そんな時代になったらしい。

 

いやなニュースの多い一年ではありました。

 

 

 

 


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久々に新型コロナワクチン関連のニュース。記事の出どころはPRESIDENT ONLINE.。無料記事ですが、もしかすると会員登録は必要かもしれません。念のため。

 

元厚労省官僚が警鐘「ワクチン接種期に震災以上の超過死亡」(PRESIDENT ONLINE)

 

コロナに感染して10日ほど仕事を休んで自宅療養。そもそも発熱したのは1日だけで療養中はずっと平熱で、只々人様に感染させて迷惑をかけてはいけないと、それだけで家にこもっていた。ごく軽症で済んだのはワクチンを打っていたおかげだろうと思っていたら、実は全く逆で、ワクチンを打った人のほうが感染しやすいのではないかというデータが出てきた。

 

記事を書いてるのは元厚労省のキャリア官僚だったという人で、根拠不明の陰謀論やためにするフェイクとも思えない。記事が最初に指摘するのは22年の月次人口動態統計速報。21年よりも2月3月の死亡者数が激増している。2月は前年比で1万9千人増えていてこれは東日本大震災の死者数1万6千人よりも多い異常な数字だという。さらに8月も前年比で急増しており、ここまでの累計で死者の増加数はすでに戦後最大となっている。で、2月3月はワクチン接種3回目の時期に重なり8月は4回目の時期と重なる。

しかも週単位で1月から4月までのワクチン接種者数と死亡者増加人数をグラフにすると見事な正比例の相関関係を作っていることがわかる。

 

また新規陽性者数について母数の扱い方におかしなところがあり、そこを正して見直してゆくと未接種よりも2回目接種済み(3回目接種済みを除く)、3回目接種済みのほうが、新規陽性者数が多い年代も散見されるという。で、このワクチンを打った人のほうが打たなかった人よりも「感染しやすい」という現象は21年からすでに英国などで報告され、「新型コロナワクチンに感染予防効果はない」ということが、各国で示されていたのだという。とにもかくにも一読をお勧めすします。

 

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私の手元にワクチン接種5回目の案内が来ている。感染する1か月くらい前に届いていたのをほおっておいたのだが、接種する前に感染したおかげで体内に抗体ができた。だから、かかりつけ医は「5回目は2月でも大丈夫」と言ってる。

 

さてさて、、、どーしよう??

 

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プーチンは無責任で厄介なナルシシスト

ロシアはウクライナでなく日本攻撃を準備していた...

ロシア連邦保安庁(FSB)内部告発者からのメールをもとにしたNEWS WEEKの記事。時々トンデモな記事を飛ばすNEWS WEEKなのでどこまで?と思うけれど、検証記事がJBpressに出てた。

 

米NWの衝撃報道、ロシアの「日本侵攻計画」は本当に存在したのか?

 

最近になって、ロシアを擁護するような論を見かけるようになった。いろいろな人がいろいろな事を言っており、それぞれに根拠もあるのだろう。ただ納得いかないのは「プーチンはホントは良い人」みたいな訳の分からぬ擁護で、リアルな国際政治の場でそんな人情論にどんな意味があるのか。エリツィンの後を継いで大統領になったころのプーチンはロシアの民主化を推し進めるだろうと期待され本人もその気だったらしい。だからアメリカでもヨーロッパでも歓迎されたが、国内問題に足元をすくわれるようになり次第に専制政治に向かってゆく。次々に政敵を暗殺し今ではKGBがロシアを乗っ取ったという論者もいるくらいで、今も昔も変わらぬプーチンなどというのはほとんど寝言だろう。そう思う。

 

 

 

 

 

 

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久しぶりに展覧会の情報を検索したら国立西洋美術館でピカソをやってた。知らなかった。ピカソの作品をまとめた展覧会というのを私は見たことがなかったので、一度くらいは見ておこうと思ったのと、私の好きなパウル・クレーやアンリ・マティスもかなりの数が展示されるとあって行ってきた。ほとんどの作品が撮影OKで、しかもピカソ中心の展覧会であれば当然混むだろうと思ったが平日のせいもあったか拍子抜けするくらいすいていた。時間をかけて撮影OKのほとんどすべてを撮影してしまった(笑

 

 

 

展覧会場に入る前に、まずロダンを見る。ゆっくり見るのは久しぶりだったが、やっぱりすごいなあとひとりで感動。日本の街頭で見る彫刻作品はだいたいが記念碑的なもので、「カレーの市民」のような悲劇をリアルに表現したものを見る機会はほとんどないように思う。

 

 

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会場に入ると中はこんな感じで、あまり混んでなかった。日本では印象派の人気が圧倒的でピカソは人気がないのだろうか?

 

(多色の帽子を被った女の頭部  ピカソ 1939年)

 

私は抽象画も嫌いではない。あれこれ考えても画家の意図をくみ取ることは難しい。だから出来上がった作品を見て「きれい」だとか「面白い」だとか色彩とフォルムから来る印象が自分にとって好ましいものかどうか、それだけでよいのだと思う。だからあまり考えないことにしているし、それゆえストレスも感じない。

ピカソは「抽象画なんてものはない」と言ったらしいが、これは逆説で、どんな絵画も創造の過程で何らかの抽象が行われており、言い換えればすべての絵画は抽象画と言っても間違いではないのである。だから、「抽象画はわからない」という人は具象画を見て何をわかったと思っているのだろうと一考してみるのもいいかもしれない。「絵をわかる」とは絵の何をわかる事なのか?

 

一目見て、「こんな絵を自分の部屋に飾りたい」、そう思えたら、それがきっと自分にとっての「いい絵」なのだろう。私の場合、そう思いながら絵を見ていることが多い。

 

  

(室内、エトルナ  マティス 1920年)

 

(青の風景  クレー 1917年)

 

パウル・クレーは私が最初に好きになった画家。中学時代、美術の教科書に出ていたと記憶する。深い光のない深海に金色に輝く魚が1匹。そんな絵だったと思うが、色彩の美しさが際立っていた。クレーの作品の一体どれが代表作とされているのか私は知らない。どれをとっても夢があり思わず微笑むような温かいユーモアがある。癒されるのである。今回の展示の中にはなかったが、まるで一筆書きのようなペン画がたくさんあってどれをとっても素晴らしい。

しかし、そんなクレーもナチスの弾圧にあっている。1937年の「退廃芸術展」でほかの表現派の芸術家やユダヤ人芸術家と並んで「退廃芸術」の烙印を押され、以後の芸術活動を禁止される。クレーはスイスのベルンに出国して創作を続けるが、ドイツで退廃芸術家として分類されていたためにスイスの市民権を得ることができず放浪に近い生活を送ったようである。

 

(広場 II  ジャコメッティ  1948-49年)

 

ピカソやマティスの作品が展示されている中に、ほんの数点だがアルベルト・ジャコメッティの作品が展示されていた。ジャコメッティの作品の実物を見るのは初めてで感想も言葉で表現できるほどはっきりとはしてこない。ロダン作品の苦悩と悲しみに満ちた「カレー市民」の顔を見た後だけに顔のないジャコメッティの作品は「彫刻」というより単に「オブジェ」と言いたくなるが、そんなものは言葉の遊びでしかないだろう。

 

ジャン=ポール・サルトルはジャコメッティの作品を表して「実存主義的」と言ったらしい。「実存主義」という哲学思想を正しく知ってるわけではないのでそれが何を意味してるか想像するより他ないのだが、たとえば1950年代から60年代にかけて、ジャン=リュック・ゴダールやミケランジェロ・アントニオーニの映画は「実存主義的」と言われていたように思う。それは大戦後の廃墟から急速に復興し、産業化する社会の中で、そこから取り残され疎外された人々を描くような作品に対して語られた言葉だった。

「実存主義」という言葉と「疎外」という言葉は当時ほとんど同じ文脈で頻繁に使われた言葉なのだが、時代の流れとともにほとんど使われなくなった。そういう意味では当時を知る世代としては「時代の臭い」をぷんぷんと感じさせる言葉で、ジャコメッティがサルトルの評をどのように受け止めたかは別として、そういう「時代の臭い」のする作品ではあると思う。

 

 

 

 

 

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