久しぶりに展覧会の情報を検索したら国立西洋美術館でピカソをやってた。知らなかった。ピカソの作品をまとめた展覧会というのを私は見たことがなかったので、一度くらいは見ておこうと思ったのと、私の好きなパウル・クレーやアンリ・マティスもかなりの数が展示されるとあって行ってきた。ほとんどの作品が撮影OKで、しかもピカソ中心の展覧会であれば当然混むだろうと思ったが平日のせいもあったか拍子抜けするくらいすいていた。時間をかけて撮影OKのほとんどすべてを撮影してしまった(笑
展覧会場に入る前に、まずロダンを見る。ゆっくり見るのは久しぶりだったが、やっぱりすごいなあとひとりで感動。日本の街頭で見る彫刻作品はだいたいが記念碑的なもので、「カレーの市民」のような悲劇をリアルに表現したものを見る機会はほとんどないように思う。
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会場に入ると中はこんな感じで、あまり混んでなかった。日本では印象派の人気が圧倒的でピカソは人気がないのだろうか?
(多色の帽子を被った女の頭部 ピカソ 1939年)
私は抽象画も嫌いではない。あれこれ考えても画家の意図をくみ取ることは難しい。だから出来上がった作品を見て「きれい」だとか「面白い」だとか色彩とフォルムから来る印象が自分にとって好ましいものかどうか、それだけでよいのだと思う。だからあまり考えないことにしているし、それゆえストレスも感じない。
ピカソは「抽象画なんてものはない」と言ったらしいが、これは逆説で、どんな絵画も創造の過程で何らかの抽象が行われており、言い換えればすべての絵画は抽象画と言っても間違いではないのである。だから、「抽象画はわからない」という人は具象画を見て何をわかったと思っているのだろうと一考してみるのもいいかもしれない。「絵をわかる」とは絵の何をわかる事なのか?
一目見て、「こんな絵を自分の部屋に飾りたい」、そう思えたら、それがきっと自分にとっての「いい絵」なのだろう。私の場合、そう思いながら絵を見ていることが多い。
(室内、エトルナ マティス 1920年)
(青の風景 クレー 1917年)
パウル・クレーは私が最初に好きになった画家。中学時代、美術の教科書に出ていたと記憶する。深い光のない深海に金色に輝く魚が1匹。そんな絵だったと思うが、色彩の美しさが際立っていた。クレーの作品の一体どれが代表作とされているのか私は知らない。どれをとっても夢があり思わず微笑むような温かいユーモアがある。癒されるのである。今回の展示の中にはなかったが、まるで一筆書きのようなペン画がたくさんあってどれをとっても素晴らしい。
しかし、そんなクレーもナチスの弾圧にあっている。1937年の「退廃芸術展」でほかの表現派の芸術家やユダヤ人芸術家と並んで「退廃芸術」の烙印を押され、以後の芸術活動を禁止される。クレーはスイスのベルンに出国して創作を続けるが、ドイツで退廃芸術家として分類されていたためにスイスの市民権を得ることができず放浪に近い生活を送ったようである。
(広場 II ジャコメッティ 1948-49年)
ピカソやマティスの作品が展示されている中に、ほんの数点だがアルベルト・ジャコメッティの作品が展示されていた。ジャコメッティの作品の実物を見るのは初めてで感想も言葉で表現できるほどはっきりとはしてこない。ロダン作品の苦悩と悲しみに満ちた「カレー市民」の顔を見た後だけに顔のないジャコメッティの作品は「彫刻」というより単に「オブジェ」と言いたくなるが、そんなものは言葉の遊びでしかないだろう。
ジャン=ポール・サルトルはジャコメッティの作品を表して「実存主義的」と言ったらしい。「実存主義」という哲学思想を正しく知ってるわけではないのでそれが何を意味してるか想像するより他ないのだが、たとえば1950年代から60年代にかけて、ジャン=リュック・ゴダールやミケランジェロ・アントニオーニの映画は「実存主義的」と言われていたように思う。それは大戦後の廃墟から急速に復興し、産業化する社会の中で、そこから取り残され疎外された人々を描くような作品に対して語られた言葉だった。
「実存主義」という言葉と「疎外」という言葉は当時ほとんど同じ文脈で頻繁に使われた言葉なのだが、時代の流れとともにほとんど使われなくなった。そういう意味では当時を知る世代としては「時代の臭い」をぷんぷんと感じさせる言葉で、ジャコメッティがサルトルの評をどのように受け止めたかは別として、そういう「時代の臭い」のする作品ではあると思う。