日ごとに春めいて桜も咲き始めた。天気さえ良ければ多少の風など気にせず、河川敷や公園に出て運動したり、ベンチで本を読んだりする人を見かけるようになった。私のように1日中外で仕事をしていると、ポカポカした陽気はもうそれだけでうれしくなる。
「ああ、日向ぼっこ、、、日向ぼっこ、、、」
声にこそ出さないが、そんなことを口の中でもぐもぐと呟いてる。呟いているうちに、例によって疑問がわいてくる。「日向ぼっこ」ってなんだ?? いや「日向」はわかる。太陽の日差しがあたって明るく暖かい場所のことだ。わからないのは「ぼっこ」。
「ぼっこ、ぼっこ」とそれだけを呟いていると、次第に「ボッコ、ボッコ」と音だけになり、そもそもあるはずの意味が乖離してどこかに飛んで行ってしまうという、妙な感覚に襲われる。
あれ?もしかして「日向ぼっこ」じゃなくて「日向ごっこ」?
いや、まぎれもなく「日向ぼっこ」。
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「ごっこ」は遊びだ。鬼ごっこ、電車ごっこ、お医者さんごっこ。
辞書によると「ごっこ」とは…
1 いっしょにある動作のまねをすること、特に子供の遊びについていう。
2 交代して同じような動作をすることにいう。ばんこ。
とある。鬼ごっこでは鬼に捕まったものが交替で鬼になる。電車ごっこでは運転手や車掌、乗客の役を代わりばんこ。お医者さんごっこは大人も大好きだ。お医者さんと患者さんが代わりばんこ・・・(そういや、「ばんこ」という言葉もなんだか不思議な音だ)
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「日向ぼっこ」という言葉は、江戸中期の『俳風柳多留』に「日向ぼこ」が登場するのが最も古い例とされている。
日向ぼこ 禿へ雀の 糞が落ち
日向ぼこ 膝のあたりを 犬に貸し
『俳風柳多留』は投稿公募作品を集めたものだけに作者不明だが、面白おかしい「日向ぼっこ」の情景が目に見えるようだ。
さらに、「日向ぼっこ」の語源について調べてみると、文献上は平安時代の『今昔物語集』に登場する「日うららかにて日向誇らせむ」という一節が最古のものらしく、この「日向誇り(ひなたほこり)」が「日向ぼっこ」に変化したという説が有力らしい。
古語における「誇り」は「得意になる」「際立つ」「満足する」といった意味になるらしく、つまり 「太陽の光を存分に浴びて、それを満足そうに楽しむ」という様子から、「日向ぼこ(り)」になったと説明されている。 「ぼっこ」自体には独立した意味はなく、
「日向誇り(ひなたほこり)」⇒⇒「日向ぼこ」⇒⇒「日向ぼっこ」
と、ひとつの単語として音だけが変化したようだ。
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「日向ぼっこ」は言葉が古いだけに異説もある。
もうひとつは 「日向(ひなた)」+「火(ほ)」+「子(こ)」説。 火(ほ)は 太陽の熱や火を指し、子(こ)は 親愛の情を込めた接尾語。あるいは「〜すること」という意味らしい。つまり 「お日様の熱に当たる」という行為を親しみを込めて呼んだものが、時代とともに「ぼっこ」に変化したという説。
また、出典が明らかではないが、東北方言を由来とする説もある。
これは「日向惚け在り」が音変化したものとする説。つまり「ぼっこ」は、何も考えずぼんやりすることを指す「惚ける(ほうける)」が変化したものという説。いうなれば、陽だまりの中で「ボーッとしている状態」を指しており、東北地方などの方言で「〜ぼっこ」という言葉が使われていたことが由来とされている。実感としてはこちらの説に共感する人が多いのではなかろうか。
言葉はどのようにして磨かれてゆくのだろう。すぐに答えは見えないが、長い歴史を経て、今もなお使われている「やまとことば」にはどうしても美しさを感じてしまう。
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(うぐいす)



