その223 ニュース雑感 | ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

AIで「ビートルズ最後のレコード」制作、新曲もリリースへ ポールが発表(CNN.CO.jp)

死んだジョン・レノンやジョージ・ハリソンの声を昔のデモテープからAIを使ってきれいにして、新たにミキシングして発表ということらしい。私はビートルズのファンでもなかったし、「まあ、すごい連中だな」と思ってはいたが、追いかけてあれもこれも聴こうとは思わなかった。なので、今更なんだという感想しか湧いてこないのだけれども、ファンを自称するような人たちは喜ぶのだろうか?

 

記事の最後に、

『AIには「良い面と怖い面がある」とマッカートニーは言い、「それがどこへつながるのかを見極めなければならない」と話している。』というコメントがあり、実は私は、このコメントの方が気になったのだ。

 

トランプ氏、「極秘情報」の機密解除しなかったと認める 過去の音声記録で(CNN.CO.jp)

トランプ前大統領が37の罪状で起訴されて、罪状認否ではその37件のすべてについて無罪を主張したと報道されている。特別検察官ジャック・スミス氏が公開した起訴状はかなり精緻なもので、トランプ氏はほぼほぼクロだろうと言われている。トランプ政権で司法長官を務めたビル・バー氏は、起訴状の内容が正確なら、「前大統領はおしまいだ」と話したとも伝わっている。

 

で、私が気になったのはリンクを張ったCNNの記事。これは通話記録ではなく、会話の音声記録。これは、証拠になるだろうか?「AIが作ったフェイク」と主張したら覆せるのだろうか。音声認識の技術は相当進んでいるらしい。そう思わせてくれたのが上のビートルズの記事。

今時、ちょっとネットの中をのぞくとフェイクと思しき映像が氾濫している。犯罪における証拠の評価が異様なくらい難しい時代になっているんじゃなかろうか?機密文書山積みの写真なんて証拠として評価されるのだろうか。

 

トランプ氏は馬鹿のひとつ覚えのようにバイデン大統領による「魔女狩りだ」と叫んでいるが、バイデン氏は共和党の候補がトランプ氏になれば自分は勝てる、怖いのはむしろフロリダ州知事の若いデサンティス氏だと思ってるらしい。つまり、陰謀論にはあまり説得力がないのだが、あくまで戦い続けるトランプ氏の事だから、有罪になってもなんでも最後は最高裁まで行くだろう。最高裁より先に大統領選になる可能性は高いと言われている。そこで、トランプ氏が当選したら裁判の行方はどうなるのだろう。興味尽きないトランプ劇場と、果たして笑っていいものかどうか。

 

 

*****

 

米小説家C・マッカーシー氏死去 「ザ・ロード」「血と暴力の国」(jiji.com)

コ―マック・マッカーシー氏が死去した。なんだか不意を突かれた。この人の作品が日本でどのくらい読まれているのか知らない。私はこの作家が好きなわけではないのだけれども、なんだかんだと6冊くらい読んでる。以前買ったハードカバーの腰巻に「村上春樹と並ぶノーベル文学賞最有力候補」とか書いてあって、アメリカでは非常に高く評価されている作家であることを知ったのだが、非常に読みずらい文体で、日本ではおよそベストセラーにはほど遠い。読み始めたきっかけは映画「すべての美しい馬」を見たことがきっかけだったと思うが、記憶は定かではない。どの作品も理解するにはある程度高い知性が求められている、そんな難解さがあって、わからないままに、わかりたくてついつい6冊も読んでしまった、そんな感じである。

 

 この作家には映画化された作品が多く、「すべての美しい馬」「ザ・ロード」「ノーカントリー」などが映画化されている。加えてリドリー・スコットの「悪の法則」もこの人が脚本を書いている。これらの作品に共通しているのは、我々が日常ほどんど意識することなく身にまとってしまっている「社会規範」を剝ぎ取ってしまった世界、そこで露になる人間が本来持っているものとしての「暴力」の世界である。

 小説「血と暴力の国」の原題は「No Country for Old Men」と言い、映画「ノーカントリー」の原作なのだが、冒頭で引退間近の保安官が「最近はわけのわからない事件が増えた、もう自分たちが生きてきた時代とは違う世界にいるようだ」という独白から始まる。そして何の感情もなく家畜屠殺用の銃で人を殺すアントン・シガーが現れる。映画ではハビエル・バルデムが演じアカデミー賞をとった。そして殺人のありようは「悪の法則」ではさらに過激になっているように感じる。

 

 作家は暴力を肯定している。「流血のない世界などない。”人類は進歩しうる、みんな仲良く暮らすことは可能だ”というのは本当に危険な考え方だと思う。こういう考え方に毒されている人たちは自分の魂と自由を簡単に捨ててしまう人たちだ。そういう願望は人を奴隷にし、空虚な存在にしてしまうだろう」。

 これは比較的初期の作品で、19世紀半ばに実在した「インディアン討伐隊」をモデルにした小説「ブラッド・メリディアン」についてのインタビューの抜粋である。小説の中には更に過激なセリフも出てくる。「倫理とは強者を犠牲にした弱者の保護に過ぎない」とか「人間は戦争をこよなく愛しているから戦争はなくならない。人間は戦争によって文明や科学を発展させてきただけでなく戦争をするからこそ高貴なのだ」と。解説によるとニーチェの思想に近似しているらしいがニーチェは読んだことないので私にはわからない。ああ、そうなんだと思うだけである。

 

 この小説のモデルとなったのは「グラントン団」という一味らしいが、日本語で読めるネット上の資料ではほとんど見つけることができない。どうも、米墨戦争のころに現在のニューメキシコ州あたりで暴れていたらしいが、先住民に限らず、メキシコ人であろうが白人であろうが殺しまくった強盗団というのが実態だったらしい。「法」が全く機能しない辺境のフロンティアでは「暴力」こそが「法」であったかもしれない。

 小説とは異なるが、同じ時代に先住民虐殺事件として知られるサンドクリーク事件が起きている。この先住民500名余を無差別に虐殺した事件を主導したジョン・チヴィントン大佐は、もともとはキリスト教メソジスト派の牧師だったが、「インディアンに同情する奴は糞だ!... 私はインディアンを殺さなければならない。そして神の天国のもとではどのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。」という言葉を残している。

 

「法」も「倫理」も顧みられることのない世界。それは戦争の世界でもある。ロシアとウクライナの戦争を見ても分かる。戦争も「何でもあり」の世界で、行くところまで行けばロシアが核を使うこともあるだろう。アメリカの保守派は左派との対立を「戦争だ」という。21世紀になっても南北戦争の遺恨を引きずっているようにも見えるし、そうでなくてもトランプ氏は何でもありの世界に生きているように見える。

 

 太平洋に浮かぶ島国ニッポンから見ると遠い世界の出来事のようにも見えるが果たしてそうか?我々は何でもありの「暴力」にどこまで対峙できるのだろう。自衛隊がNATO軍と共同で演習する時代である、われわれは奴隷状態の空虚な人間になっていないか、そろそろ再考してみてもよいのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 ニュースブログへ

にほんブログ村 ニュースブログ 話題のニュースへ

社会・経済ランキング