11月15日は七五三らしい。七五三は3歳の女の子と5歳の男の子、そして7歳の女の子の健やかな成長を祈ってするお祝いだが、子供のころ女の子が2回でなんで男の子は1回なんだと不満を持ったことがある。その七五三と言えば千歳飴、男の子や女の子が盛装して千歳飴の袋をぶら下げて写真を撮るというのが定番。ある菓子屋の店主によると最近は千歳飴の袋があればいいらしい。店の側からは当然袋だけ売るというわけにはいかずお断りするようだが、では買った千歳飴はどうするのだろう。食べずに捨ててしまうのか?いくらなんでもそれはないでしょ、と思うのは昭和生まれの残滓だからかしら?
私が千歳飴を食べたのはそれこそ5歳のころだったと思うが、おいしかったという記憶がない。甘くてべとべとして食べにくかった。物のない貧しい時代でもそうだったのだから、味が同じなら今時買う人は少ないだろうとは思う。千歳飴は経験済み、それで巣鴨のとげぬき地蔵に行った折に千歳飴でなく金太郎飴を買ってみた。
どこから切っても金太郎さんの顔が出てくる金太郎飴。どうやって作るんだろうとちょっと不思議。で、Wikiを調べてみたら「顔の睫毛や瞳などを含む目・鼻・口・月代(さかやき)などの色を模した板状の飴をあらかじめ用意し、切った断面が顔の形になるように各部位に配置した後、適当な太さに細長く伸ばし切断して作られる。全ての工程は飴が熱く柔らかいうちに行われる。」とある。
なるほどと思うが、どうやら手作りであるらしく、となると結構な労力を使っていることになる。ちょっと馬鹿にできない手作業で、現在東京で作っているのは3社しかない。ミニ文化遺産というか、作り手の職人さんなんて人間国宝にしてもらいたいくらいだね。この手の飴細工はヨーロッパでは結構あるらしいが日本で見ることはほとんどない。製菓学校などで飴細工を教えるところはあるが、せいぜいショーウインドウをにぎわす程度で商品化されたものはこの金太郎飴以外に私は知らない。
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さて、お味は?というとまずまず。甘さも程よくべとついたりもしない。ちょっと口寂しい時にひと齧りする程度で、残りはほおっておいても日持ちもするし、悪くない。かといって、また買おうとも思わないだろうな、という金太郎飴初体験でありました。