3月、奈良・明日香へ、ほぼ50年ぶりに行ってきた。緊急事態宣言がそろそろ解除になりそうだという頃、解除になれば桜の季節も近く混むだろうと予想、その直前を狙った。顰蹙を買いそうだとは思ったが、何カ月も家に籠ってると、あと10年生きるか20年生きるかわからないが、残り少ない人生の貴重な時間を無駄にできない気分にもなってくる。光陰矢の如しというが、まったく人生の時間はあっという間に過ぎてゆく。50年ぶりといえば半世紀だ、それが昨日のことのように思えてくる。
東大寺南大門。これを過ぎて少し行ったところに東大寺ミュージアムがある。そこでもともとは戒壇院に置かれていた四天王像を見た。前に来た時には見ていないので初めて見る像だが良かった。無論仏教彫刻について専門的な知識など持ってるわけではない。美術史的にも無知であるし、まして造形的にどうとか語る蘊蓄もない。ただ、素人が「良い」と感じただけである。思ったのではない、体が感じたので、感じたままに書いておく。
四天王像というのは多くの寺院にあって、どこにどんな四天王像があったか忘れてしまったが、なんであんなに怒っているのか、なんであんなに偉そうにしているのか、増長天なんて文字通り増長してるとしか思えないものが多いように思う。東大寺の四天王像にはその表情に抑制が効いていて好感を覚えたのはそのあたりかもしれない。撮影禁止で写真がないのが残念だが、私は実を言うと踏みつぶされている邪鬼の哀れっぽい表情のほうにはるかに大きな親近感を覚えている。
華厳宗総本山である東大寺のご本尊は大仏さんで、正しくは廬舎那仏。東大寺のHPによると「盧舎那仏の名は、宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・ひかり輝く仏の意味。左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられる。」とある。またWikipediaによると「密教では大日如来と同一視される」とも。
無宗教で仏教を信じない私は、ま、縁なき衆生なわけで、やっぱり度し難いということか。
ただそれでも写真撮影させてくれる数少ない仏様である大仏さんはカメラ好きの私にはありがたい被写体で、ちゃんとちゃんとお賽銭もさしあげてお参りもさせていただきました。
(この項 続く)