その6 「死」を道連れに | ココハドコ? アタシハダレ?

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自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

ひさしぶりにBLOGを書こうと思った。

そう思ったきっかけは、なんのことはない、ふと思い出したのだ。今日で手術を受けてちょうど2年になったことを。

 

手術後のこの2年間の健康状態は極めて良好で、今は新型コロナでジムにも行かなくなってしまったが、2月ころまでは週2回2時間ほど、ジムで筋トレやらストレッチやら結構きつい運動をこなしていた。これは一応「心臓リハビリ」という名目でこなしていたのだが、もともと体を動かすことは好きなほうで、少しづつ運動の負荷を大きくしていくことにちょっとした喜びを感じたりしていた。

 

ジムに行かなくなると、なかなか家でひとりで筋トレやるような気分になれず、今はやめてしまったが、それでもウオーキングだけはやっており、気分が乗ると暇にあかせて10㎞くらいは歩いてる。今年になって歩いた最長距離は28km、もちろん途中で休憩はするので、都合8時間かそれ以上かかったと記憶するが、自分の年齢を考えればかなり健脚の部類だろう。年内には更に距離を伸ばし30kmに挑戦、10年後には50km歩くことを目標にしようと思っている。

 

周りの人間からは呆れ顔で「ほどほどにしろよ」と言われるのだが、これには訳があって、私が受けた手術=大動脈弁の置換=で心臓に入れた生体弁には耐用年数があって、10~15年後にはもう一度手術で弁を交換しなくてはならないのだ。医師の話ではそのころには弁の置換もカテーテルでできるようになっているだろうとのことだが、そんなことはその時になってみないとわからない。

心臓の状態次第で、選択すべき術式だって変わるだろう。「やはり胸を切り開いて手術すべきですが、年齢的に体力が持たないかと、、、」などと言われたら目も当てられないではないか。全身麻酔での体力の消耗というのはかなり激しいものがあるのだ。

 

まあそれ以前に癌とか肺炎とか、新型コロナとかでくたばってしまえばそれはそれでしょうがねえって話ではあるんだけど。

 

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ところで、この心臓弁膜症の手術という経験を経て、何かが変わったような気がしている。手術前に比べると日々かなり活動的な生活を送っており、それはそれで非常にうれしいことではあるのだけれど、何かが違う。

それはこのBLOGの最初(その1)にも書いた「いのちをもらった」という感覚から来ている。それで、ある時はたと思いついて自分の受けた手術がどのように行われたのか調べてみた。不思議だったのは弁を取り換えるということは、心臓を切開するわけで、その時心臓は動いてるのか止まっているのかということ、血管に空気が入ると血栓になって死に至ることもあるはずで縫合に際して空気はどうやって抜くのだろうということ。それでわかったのは、どうやら心臓は止まっていた。どうやって止めたのだろう?加えて全身麻酔だから自発呼吸もできない。人口心肺装置につながれて、血液への酸素供給もそこで行われている。心臓が止まって呼吸もしていない。

 

これって 「死」んでるんじゃないか?

 

「仮死状態」とか「臨死」とか明確な定義があるのかどうか知らないが、そんな状態だったことは間違いない。手術にかかった時間は6時間くらいだったらしいのだが、手術された本人には全く時間の感覚がない。麻酔をかけられて数秒で眠りにつき、次の瞬間目が覚めて「無事に終わりましたよ」と告げられる。それだけだ。夢も見ない。

 

あれが「死」というものなら、死ぬのもそう怖いことではない。

 

私は今そう思っている。怖いのは死の間際まで病や怪我で苦しむことで、そうなったら根性なしの私は「さっさと殺してくれ」と医者に頼むだろう。

 

以来、私の胸の奥深くに「死」がどっかと居座っている、そんな気がする。

 

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十字軍遠征から故郷へ帰る騎士と彼を迎えに来た死神がチェスをしながら旅を続けてゆく「第七の封印」(イングマール・ベルイマン監督)という映画がある。私はチェスなどできないが「死」を道連れにする人生というのも悪くない。

 

決して死にたい願望があるわけではない。ただ「死」を包み込むことですがすがしく生きてゆけそうな気がする。

間違いなく「もらったいのち」で今の私は生きているのだ。

 

 

 

 

 


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