その2 夢のような | ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

時々、何がきっかけというわけでもなく子供のころの出来事を思い出す。思い出すのは中学校や小学校での体験だったり、もっと小さかった時のことだったり、場所も時もバラバラなのだが、思い出すその遠い過去の自分、幼かった自分が長すぎる時間の向こうでじっと今のこの私が来るのを待っている、何を言うでもなく、ただじっと立ち尽くすようにして今の私を待っている、そんな気がしてならない。

 

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それは小学校の入学式の日。

校庭の桜は満開だったが、何かこれまでとは違った、異質な不快な日々が始まるらしいという予感のようなもので私は暗い気分に包まれていた。楽しめない気分のまま式が終わり、教室に入ってゆくと、自分の名前が書いてある机に座るようにと先生に言われた。言われたことは理解できたが、ところが私は自分の名前を文字でどのように書くのか、そもそもひらかなの読み書きをまだ知らなかった。家でも幼稚園でも読み書きの訓練など全く経験がなかった。入学式の前夜、おそらく母は私の名前を書いて、おまえの名前はこうやって書くんだよ、とかなんとか一夜漬けで教えたと思う。そんな記憶もおぼろにだがないわけではない。しかし生まれてこの方(といっても6年そこそこ)文字なんか知らなくてもやってこれたのに、急に自分の名前を書けるようになれ、読めるようになれと言われても、そう簡単に順応できない。

 

え、文字って何? ひらかなって何? なんで覚えなくちゃいけないの?

読み書きを身につける、半ば強制されたようにそういう未知の世界に入ってゆくことに好奇心など毫も感じず、ひたすら嫌悪感を覚えた瞬間、すでに私は学校嫌いだった。

 

その日は、所詮一夜漬けは一夜漬けで、私は教えてもらったことはすっかり忘れて、半ベソ状態でただウロウロと机と机の間を歩くほかなかった。結局、ほとんどの生徒が着席した後に先生に教えられて、やっと自分の席に着くしかなかったのだが、そこに貼ってあった自分の名前らしい「ひらかな」をしげしげと見つめ、それでもそれが自分の名前だとは実感できず、ただ茫然としていた。そして、それが初めての「文字」との出会いだった。

 

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「文字」を知るはるか以前。といっても4歳か5歳のころだ。私の住む街には時々セスナ機が飛んできて、高い空の上からたくさんのビラを撒いて行くことがあった。私たちはそれを「ビラ撒き飛行機」と呼んでいた。飛行機の窓から大量のビラが撒かれるとキラキラと光りながら風に舞って落ちてくる姿がなんとも幻想的で、子供たちは飛行機の後を追ってどこまでもビラを拾いに走ったものだった。子供の足が飛行機の速さについていけるわけもないのだが、どこかグリム童話の「ハーメルンの笛吹き」についてゆく子供の熱狂を思い出させるような風景だった。

 

ビラはせいぜいB6サイズくらいのものだったと思うが、たとえて言えばちょっと大掛かりな紙吹雪と思ってもらえばいいかと思う。それを何枚も拾って家に持ち帰り母親に見せたりしたが、母がそれに関心を見せたことはなかった。あれはいったい何のビラだったのか、何か文字が印刷されていたはずなのだが、その内容について知ろうとしたこともなかった。それくらい「文字」は遠いものだった。

「ビラ撒き飛行機」が子供たちの胸を騒がせたのはほんの短い期間で、しばらくすると飛んでくることもなくなった。ビラは気まま勝手に関心のない家の庭先や屋根の上にも舞い降りたし苦情が多かったのかもしれない。あるいはセスナを飛ばすだけの費用に見合わなかったのかもしれないし、住宅地の上空を気ままに飛行機を飛ばすこともできないような規制が敷かれたのかもしれない。

 

屈託ない子供の私には夢のような一瞬だったが、私の知らない遠いところで時代は激しく動いていた。

 

 

 

 

 


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